よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
次に引用するのは「正す会」が昨配信した「メルマガ第103号」の抜粋です。
私たち「正す会」は東京MXテレビの検証とは別に、独自で日本の大手メディアが抱える各種のタブーに挑戦し、検証していきたいと考えています。 これまで日本の大手メディアは「朝鮮総連問題(北朝鮮=北朝鮮民主人民共和国)、部落問題、在日朝鮮人問題など多くのタブーを見て見ぬ振りをしてきました。 近年、大手メディアの朝鮮総連問題や部落問題へのタブー化は薄らいできた感がしますが「在日朝鮮人問題」については依然として喉に突き刺さった骨の状況にあります。
今回、辛氏は、公開討論の要請文に記載されていた次の文言を「人種差別問題」にすり替えたと思われます。
「貴女は、沖縄県を日本の植民地と言い、ありもしない沖縄ヘイトに論理をすり替えた。日本国民である我々沖縄県民が、”在日朝鮮人たる貴女”に愚弄される謂れがどこにあろうか。」
私たち「正す会」が人種差別に関わっていないことは言うまでもありません。 しかし辛淑玉氏が在日朝鮮人(韓国人)であり外国人であることは、紛れもないファクトです。
ファクトをファクトとして主張して何の問題があるのでしょう。
私たちは在日外国人である辛氏が我が国の国防問題や安全保障問題に関し抗議集団を扇動したり抗議団を沖縄に送り込んでいることを批判しているのです。 この際、一般の在日朝鮮人や韓国人を批判(差別)しているわけではありません。
私たちは図らずも大手メディアがタブーとしている「在日朝鮮人問題」に切り込んだのかもしれませんが、あくまでも私たちの本来の目的は「フェイクニュース」の是正であり、結果的にはフェイクニュースにより歪められているわが国の民主主義の回復です。
☆
沖縄県民「在日沖縄人」あるいは「在日琉球人」と呼称し、「沖縄は日本国に植民地にされた被害者」と扇動し、沖縄を祖国日本から分断しようと目論む勢力がある。
紛れもない日本人の沖縄県民としては、要らぬお節介でありこんな迷惑な話は無い。
現在沈黙を守っている辛淑玉氏の発言に、在日琉球人と共闘する在日朝鮮人の影を垣間見ることができる。
今回の辛氏をターゲットにした公開討論なども、その趣旨には賛同できるが「在日朝鮮人たる貴女」の文言が気になるという人も存在する。
理屈では理解できるが大手メディアが作り上げた「戦後民主主義の亡霊」に怯えているのだろう。
亡霊に怯える方は次の文言を胸に刻んでいただきたい。
≪私たち「正す会」が人種差別に関わっていないことは言うまでもありません。 しかし辛淑玉氏が在日朝鮮人(韓国人)であり外国人であることは、紛れもないファクトです。
ファクトをファクトとして主張して何の問題があるのでしょう。≫
保守系ブログのアクセスを増やそうと思うなら「嫌韓・嫌朝鮮」をテーマにすればよいといわれる。
ところが、当日記は「従軍慰安婦問題」以外で特に「嫌韓・嫌朝鮮」テーマにしたことは記憶に無い。
そこで辛淑玉氏が当日記に登場する以前に「在日朝鮮人」を、どのように表現していたか。サルベージしてみた。
以下政府、月内に県提訴、琉球処分 2015-11-08 の引用である。
「琉球処分」を韓国併合と同じ視点で見ると沖縄差別論が噴出する。
だが、歴史学者で現在副知事である高良倉吉氏によると、明治政府が沖縄に対して差別政策をした例は皆無だという。
明治政府の近代化改革である明治維新を全国の各藩と同様に生真面目に「琉球藩」にも適用したのが「琉球処分」である。
したがって、韓国併合による朝鮮籍日本人と異なり、「沖縄県民」に対しては明治憲法も適用され 明治政府が全国で一斉に実施した廃藩置県の沖縄版である。
明治政府は大日本帝国憲法を制定して、法の下での平等を目指して身分制度を廃止した。
義務教育も全国一律に実施したため識字率も本土並みに引き上げられた。
沖縄県民には朝鮮籍日本人に対するような教育や戸籍の差別存在せず、参政権も本土並みになった。
☆
個々に見ればいずれの時代にも程度の差こそあれ差別は存在する。
年配の沖縄県民にはヤマトンチュウーに個人的に差別されたと恨み節を唸る人がいるかもしれない。
しかし歴史学者の高良倉吉氏によると、明治政府が沖縄に対して差別政策をした例は皆無だというのだ。
一方、琉球処分こそ明治政府が断行した差別政策と主張する学者もいる。
同じく以下は政府、月内に県提訴、琉球処分 2015-11-08 の引用である。
★
沖縄2紙が、「国対県民の戦い」と捏造報道するとき、しばしば登場する「琉球処分」という便利な言葉がある。
5日付沖縄タイムスの第二社会面にこんな記事が・・・。
権力誇示の「琉球処分」 宮城公子・沖大准教授
<辺野古に警視庁の機動隊投入は・・・政治が権力を誇示するための動きではないか。>
<政府が中国の脅威を叫び、安保法も新基地建設も必要だと言う人もいるが、それは日本を守るというより、沖縄が日本のために犠牲になってもいい、沖縄を差し出せという”琉球処分”にも見える。>
宮城先生にはお気の毒だが、安保法も「新基地建設」(実際は辺野古移設)も、中国の脅威を避けては語れない。
■ 「琉球処分Ⅲ」■
「琉球処分」も廃藩置県も日本各県が経験したという視点で見れば日本史流れのの中の共同体験だと言うことが出来る。
廃藩置県は全国諸藩の意志に関係なく、反対する藩があれば容赦なく武力で討つという明治政府の威圧の元に断行された。
その意味で言えば、確かに「琉球処分」は廃藩置県の一種だといえる。
明治維新の原動力となった薩長土肥の下級武士は出身藩の兵と資金でもって幕府を倒した。
それにも拘らず、倒幕から成立した明治政府によって倒幕を支援した藩そのものも潰され、更には武士の誇りも特権も経済基盤である禄高制さえ取り上げられ四民平等の「国民」に組み込まれた。
自分の資金と人材により幕府を倒し新政府を作ったら、その新政府が今度は自分の全ての権益を取り上げ更には解体を迫る。
倒幕派の藩主から見れば、歴史上これほどバカバカしい話はない。
現在の例えで言えば投げたブーメランに己が身を打ち砕かれたようなものだろう。
島津藩主久光が家来の西郷隆盛や大久保利通が突きつけた「廃藩置県」の断行に怒り狂った気持ちは一世紀以上の時を隔てても理解できる。
明治の群像を『飛ぶが如く』や『坂の上の雲』でみずみずしく描いた司馬遼太郎氏は、
「琉球処分」という言葉が多くの琉球史では一見琉球のみに加えられた明治政府の非道な暴力的措置のように書かれていることに疑念を投げかけている。
「(琉球処分と)同時代に、同原理でおこなわれた本土における廃藩置県の実情については普通触れられてはいない。 つまり、本土との共同体験としては書かれていない。」(「街道をゆく 6」)
琉球が特殊な歴史・文化を持っていることは認めても、「琉球処分」はウチナーンビケン(沖縄独特)ではないという。
日本史の明治国家成立の過程で見られる普遍的な歴史的現象だというのである。
「琉球の場合は、歴史的にも経済的にも、本土の諸藩とはちがっている。 更には日清両属という外交上の特殊関係もあって、琉球処分はより深刻であったかも知れないが、しかし事態を廃藩置県とという行政措置にかぎっていえば、その深刻のどあいは本土の諸藩にくらべ、途方もない差があったとはいえないように思える。」(「街道をゆく」⑥27頁)
しかし、このように「琉球処分」を琉球独自の歴史ではなく日本史の中の明治維新の一過程と捉える司馬氏の歴史観には沖縄の左翼歴史家は猛然と反発するだろう。
その例が先日取り上げた某大学講師の、
「琉球は日本ではないのだから、琉球処分は明治維新の国造りの過程ではなく、海外侵略である」という論である。
その論に従うと「琉球処分」は無効だという。
煩雑を承知で、その無効論を再引用する。
<「人道に対する罪を構成」
戦争法規の適用
では、日本による琉球統治は正当だったのか。 日本が琉球の領土支配正当化するためには、日本が琉球を実行支配してきたか、もしくは琉球人に日本人としての帰属意識があることを証明する必要がある。
紙幅の関係上結論を先に述べると、日本による琉球の日本の領土編入は、国際法上の主体である琉球の意志を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである。(上村英明『先住民族の「近代史」』>(琉球新報 1月15日)
このような論が当時から沖縄に存在するのを司馬氏は先刻ご承知のようで、自分で表立って反論せずに沖縄民俗学の大家・比嘉春潮氏の著書からの引用でやんわりと対処している。
<何にしても、私は10年ばかり前では、沖縄と本土とが歴史を共有しはじめた最初は廃藩置県からだ、とばかり思っていた。 しかし、そのことはすこしのんきすぎたようでもある。 ホテルの部屋にもどって~ベッドの上に寝転がっていたが、このことを考えはじめると、眠れそうにない。
雑誌「太陽」の1970年9月号に、比嘉春潮氏が「沖縄のこころ」という、いい文章を寄せておられる。
≪沖縄諸島に日本民族が姿をあらわしたのは、とおく縄文式文化の昔であった。 このころ、来た九州を中心に東と南に向かって、かなり大きな民族移住の波が起こった。 その波は南九州の沿岸に住む、主として漁労民族を刺激して、南の島々に移動せしめたと考えられる。 この移動は長い年月の間に、幾度となくくりかえされた。 そしてここに、言語、習俗を日本本土のそれと共通する日本民族の1支族ー沖縄民族が誕生する。≫
沖縄人の由来について、これほど簡潔に性格に述べられた文章はまれといっていい。 さらに「沖縄民族」という言葉については、氏はその著『新稿沖縄の歴史(三一書房)の自序において、「フォルクとしての沖縄民族は嘗て存在したが、今日沖縄人はナチオンとしての日本民族の1部であり、これとは別に沖縄民族というものがあるわけではない」と、書いておられる。
日本民族の中における沖縄人の巨視的関係位置はこの優れた民族学者のみじかい文章で尽くされているわけで、いまさら私が、那覇の町で思いわずらうこともなさそうである。
しかし、という以下のことを書く前に、1氏族が1社会を構成する前に歴史の共有ということが大きい、ということを、つい思わざるをえない。 日本の本島のなかでも、歴史をすみずみまで共有したのは、さほどの過去ではない。 例えば奥州の青森・岩手の両県が九州の五島列島とおなじ歴史の共同体験をするという時代は、秀吉の天下統一からである。(略) 豊臣政権下で大名になった五島氏は、明治4年の廃藩置県で島を去り、東京に移された。 旧藩主を太政官のおひざもとの東京に定住させるというのは、このとうじの方針で、薩摩の島津氏の当主忠義も、長州の毛利氏の当主も東京にいわば体よく長期禁足されていて、丘陵地に帰ることを許されていない。 このことは最後の琉球王尚泰においても同じである。>(「街道をゆく 6」)
大きな流れで言えば沖縄民族は日本民族の支流である、の一言で某大学講師の「琉球処分=違法な植民地侵略」論を粉砕している。
それでも司馬遼太郎氏は「共同体験をしたから結構だといっているのではない」と断り書きを入れて、
琉球藩が廃藩置県以前、250年にわったて薩摩藩から受けた「痛烈な非搾取の歴史」を述べて日本史上他の藩と異なる特殊性を完全に無視はしていない。
司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、
封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。
その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。
DNA解析のない時代に碩学の比嘉俊春潮氏は、「沖縄人は言語、習俗を日本本土のそれと共通する日本民族の一支族、」と喝破していた。
では最新科学のDNA検査は沖縄人の人種的解析にどのような結論をだしていたか。(※注1)
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします