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続・普天間第二小学移転頓挫の真相

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普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市

 

「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。普天間飛行場の危険性の象徴として、市民団体が第二小を移転させずに反基地運動に利用しているという趣旨だ。同校は1980年から10年以上も移転問題に揺れた。なぜ、学校は動かなかったのか-。

? 基地と原発のニュースをフクナワでも

 この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

 ネットで引用されているのは当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材をもとにした2010年のある全国紙の報道だ。

 報道によると、第二小はこれまで82年の米軍ヘリ墜落事故をきっかけに2度移転計画が持ち上がった。安次富氏が米軍と交渉し、キャンプ瑞慶覧の一部を学校用地として返還させることで合意し、予算も確保した。だが、市民団体が「移転は基地の固定化につながる」「命をはってでも反対する」などと抵抗したため、計画が頓挫したという。

 「こんな話は、聞いたことがない」。教育次長や企画部長などで同問題にかかわり、のちに宜野湾市長を務めた比嘉盛光さん(77)は首をかしげる。報道内容とは逆に、予算の補助を国に求めたが、最後までかなわなかったからだ。

 第二小は普天間小学校の過密化を解消するため69年、普天間小敷地内に暫定的に設置。翌70年、普天間飛行場に隣接し、滑走路延長上にある現在の場所に一部校舎が完成した。だが、文部省(当時)基準の4割にも満たない狭い敷地だったため、市は70年代から普天間飛行場の一部を返還させて敷地の拡張を模索する。79年には山口県岩国基地や、返還予定だった北谷町のハンビー飛行場から米軍ヘリなどが普天間飛行場に移駐。第二小の騒音は悪化し、教育環境の改善は、さらに急務となる。

 80年9月25日。安次富氏は、ある方針を打ち出す。

 「騒音で中断を余儀なくされ、適正な教育活動もできない。移転することが得策だ」。第二小の移転先として普天間飛行場と500メートルほど離れたキャンプ瑞慶覧の一部(現在の西普天間住宅地区)返還を求め、那覇防衛施設局(当時)へ要請書を出した。

 わずか1週間後の10月2日、滑走路で離着陸訓練中のOV10ブロンコが墜落。第二小移転の機運はさらに高まった。(「沖縄基地」取材班)

                                 ☆

>「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。

 >この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

ここで言う「インターネット上の流布話」とか「市民運動に批判的ブログ」とは当日記の指摘のことと思われる。(笑)

記事では移転が頓挫した理由として、国が移転に掛かる経費を補助する制度がなかったかとしているが、そもそも国が市の小学校移転に補助する制度などあるはずがない。 ただ、「子ども達の生命を守るため」と、市長が本気で取り組んだら移転が頓挫するはずはない。

市長が移転を断念した一番の理由が「市民」や「PTA役員」だったことは次の記事を見れば明白である。

誤解だらけの沖縄基地】(10)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)

2016年2月2日 07:01   PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

「危険と同居 仕方ない」「PTA苦渋の決断」

? 誤解だらけの沖縄基地(9)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)

 1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。

 なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。

 たとえ移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50~60億円に高騰。市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるか分からない-。

 PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。

 当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し。私たちにできることは、老朽化による危険から子どもたちを守ること。米軍基地からの危険を取り払うのは政治にしかできなかった」と振り返る。

 比嘉さんは新校舎落成記念誌に、沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかったことに、こう記している。

 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」

 さらに、学校を移転しても米軍基地の整理縮小、市全体の危険性にはどう向き合うのか。移転計画は基地あるがゆえの問題に阻まれた。

 一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江洲安儀さん(80)は「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、市に危険がそのまま残るということだ。近くにはほかの学校もあり、第二小を移転したとしても、根本的な解決につながらない。普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。

 報道は、歴史的背景や経緯が不明なままネット上で拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している。

 沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)は「報道を利用した反対運動への批判は、沖縄への米軍基地の集中を正当化したい心理があり、沖縄をおとしめて、罪悪感を拭いたいという気持ちがある」と指摘。その上で、「若者がネット上の虚偽の言説を受け入れてしまうのはなぜかも考える必要がある」として、歴史の知識の欠如に警鐘を鳴らした。(「沖縄基地」取材班)

                  ☆ >1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。     >なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。   子供たちの生命を守るために、一体何をもって「苦渋の決断」をするのか。   皆で一致団結して国に移転経費の補助を求めることは出来なかったのか。(怒)   子どもを隣接する普天間基地の危険から守るために移転するのに「苦渋の決断」もないだろう。   >建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。   決断もクソモない。   現在地での建て替えは結局、逆の意味での「普天間の固定化」を子供たちに押し付けたことになるのではないか。   これって、親のイデオロギーで子供たちを犠牲にしたのでしょうが。(怒)   >PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。   増改築だって金が掛かる。   沖縄タイムスは「市民」の意見や「PTA決議」に責任転嫁しているが、彼ら「市民」や「PTA役員」こそ、ネットが普及していないその当時の「プロ市民」であったことは間違い。   良識ある市民やPTA役員だったら、子供たちを危険から守るための移転に反対決議などするはずがないからだ。   沖縄タイムスは当時の新聞を提示して「危険と同居仕方がない 普天間第二小移転を断念」などと報じているが、こんなバカな話はない。   「危険と同居仕方がない」。   これが「プロ市民」や沖縄タイムスの本音ではないのか。   【拡大】⇒PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面   沖縄タイムスが3回連載で「普天間第二小学校の移転頓挫の真相」を弁解していたが、弁解すればするほどブーメランとなって己を直撃するのには、滑稽でさえある。   結局、普天間第二小学校が移転を断念した理由は、プロ市民の妨害によるもの。   これが真実である。   よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします  

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