1952年4月28日わが国が独立を果たした講和発効の日、当時の沖縄タイムスと琉球新報は紙面を祖国の独立を祝う慶賀の記事で埋め尽くした。
祖国日本が独立することにより沖縄の祖国復帰の日が一歩近づいたと実感したからだ。 このときの両紙の論調はまぎれもなく沖縄の民意を反映していた。
これは米軍政府から日の丸の掲揚を認められたときの喜びと同じ種類の喜びだった。
昨今の両紙が示す「沖縄の民意は我々が作る」といった傲慢不遜な態度は微塵もない。
1昨年、安倍内閣が講和発効の日の主権回復を祝賀する式典を開くと言い出したとき、沖縄2紙が「突発性発狂」の症状を示した。
「沖縄を米軍政府統治下に置いたまま独立したの日は『屈辱の日』」というのだ。
沖縄2紙の突発性発狂に対して、当日記は複数回反論のエントリーをした。
その一部かこれだ。
自爆した琉球新報!「屈辱の日」で 2013-04-214・28主権回復の日」に賛否両論 2013-04-27
本日決行!「屈辱の日」抗議の狂態! 2013-04-28 笛に踊らぬ沖縄県民!「屈辱の日」抗議大会 013-04-29
昨日の沖縄タイムスは「屈辱の日」についての発狂はそれほど激しい症状を示さなかったので、スルーしようかと思った。
だが、琉球新報の発狂症状は相変わらず激しいものだったらしい。コメント欄にもその余波を感じものがあるので紹介する。
Unknownさん
「屈辱の日」とか難癖にも程があるだろ。
当時、そんな事を考えてた人が県民に本当にいたのかね(笑)
いつか、日本にってのが当時の沖縄県民の願いだったと思うんだが、沖縄マスゴミや左巻きの基地外どもときたら、数年前の造語を、さも当時の真実みたいに歴史を捏造するんだから(笑)
マジで死んでくれないかな。
凛さん
いつまでウダウダ恨み節垂れ流してるんだ、って話で、自分達が差別されてる、虐げられてるって言うなら、なおさら「負けるか、見てろよ」って相手を見返すぐらいの気概を見せて欲しいのですが、その気配すら見せず、唯々恨み節を垂れ流すだけ。前に進む気も、そもそも前を向く気すらも無い、そんな事で「未来志向」なんて夢のまた夢ですね。
沖縄2紙のダブルスタンダードは翁長知事の報道で実証済みだが、「屈辱の日」についての二枚舌を検証する意味で当時の両紙の紙面を再現してみよう。
当時の両紙の紙面はこの通りだ。
1952年4月28日・29日の沖縄タイムスと琉球新報の新聞記事である。
※画像をクリックすると拡大。
1952年4月28日の沖縄タイムス。
1952年4月28日の琉球新報の記事。
念のため両紙の翌29日の社説を検証しても「屈辱の日」どころか祝福の気持ちのあふれた内容である。
沖縄の主権も回復せよ... 04/28
八重山毎日によると、国の専権事項である「辺野古断念で主権回復」とある。
夜郎自大にも程がある。(怒)
ハワイ州のイゲ知事の聡明な判断を見習うべきだ。
県系3世で米ハワイ州のデービッド・イゲ州知事は安慶田光男副知事との初会談で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する翁長雄志知事の立場に理解を示しながらも「両政府間の問題であり、直接解決できるものではない」と語った。25日夜、4日間のハワイ訪問を終えた安慶田氏が那覇空港で明らかにした。
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