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今朝の沖縄タイムスは、社会面トップを次のような扇情見出しで飾ってはいるものの、いくら扇動しても行動するのはジジババ活動家では、所詮鍛えぬいた機動隊や「海猿」の敵ではない。
悪足掻きに終わった抵抗の空しさが紙面に満ち溢れている。(涙)
作業続行に怒号
市民ら「暴力やめて」
辺野古 機動隊100人 強制排除
結局ジジババの反乱に対し、次の見出しが全てを物語っている。
防衛相「準備整った」
辺野古工事再開で
中谷元防衛相「必要な準備が整ったので開始した。一日も早く移設が進むよう工事している」
一方、官房副長官に振興予算確保の謝意は述べたが、辺野古移設反対の抗議はしなかった、と産経にすっぱ抜かれた翁長知事が、「抗議した」と弁解したようだ。
だが、本日の沖縄タイムスで、山口沖縄相に対しても謝意は述べたが、「基地には触れず」と報じられている。
これに対し翁長知事は「・・・10分間の会談で、帰り際に言うことは失礼だ」と弁解したが、「辺野古移設は中止して欲しい」というだけなら1分以内でいえるのではないか。 言い訳も段々苦しくなってきたようだ。
いずれにせよ、国民の生命と安全を守る国防事案であり、日米安保の合意の下に実行されている普天間移設を暴力で阻止する行為は国に対する反乱であり、クーデターの一種である。
そしてこれを扇動する過激派のアジビラのような沖縄2紙は沖縄県民の敵である。
★
「いま沖縄が危ない」とよく言われる。
日常茶飯事のように中国が尖閣近海を侵犯している事実を見れば、いますぐにでも中国が尖閣奪取を狙って侵攻してくるように危機感を煽るむきもある。
だが、現在の強固な日米安全保障体制や国際世論の動向、そして尖閣はわが国が実効支配している現実をみると中国侵攻の危機が目前に迫っているとは考えにくい。 現在沖縄が直面している危機は中国の沖縄侵略といった目に見える危機ではない。
それより沖縄県民の中に巣食う法治国家を否定する心情、つまり民主主義の崩壊という目に見えぬ危機の方が深刻である。
では沖縄における民主主義の崩壊を目論んでいるには誰か。
「沖縄の民意を我々が作る」と豪語する沖縄2紙である。
そう、沖縄2大紙、沖縄タイムスと琉球新報こそ民主主義の破壊者であり、沖縄県民の敵である!
民主主義を支える基本が言論の自由と公正な選挙に有るとすれば、昨年10月に行われた県知事選挙ほどメディアが言論の自由を盾に、公正な選挙を自ら否定した例を筆者は寡聞にして知らない。
沖縄2大紙を筆頭に沖縄メディアが、特定の候補を支援するがあまり有権者の判断の基礎となる情報を隠蔽したり、争点の文言を意図的に歪曲して有権者を混乱させるなど、新聞の不公正な報道は枚挙に暇がないほどだ。
つまり沖縄2大紙は民主主義の根幹となる公正な選挙を否定することにより、自分の支援する候補者を県知事の座につけたのである。
そもそも県知事選における沖縄紙の「世論作り」は一昨年一月の「危険な欠陥機オスプレイの沖縄配備反対」の東京抗議行動に始まる。 周知の通りオスプレイの沖縄配備は使用期限の過ぎた旧型ヘリを廃棄して新型ヘリのオスプレイを配備する機種更新に過ぎないが、地元メディアやプロ市民など反基地運動の関係者は、オスプレイに対し海兵隊は説明責任を果たしていないという批判を繰り返してきた。
しかし海兵隊がオスプレイの説明会や試乗会を開催し、何度も沖縄メディアに取材の機会を与えても、驚いたことに、取材拒否をするのは何時もメディア側であった。
取材される側が取材拒否をすることはままあることだが、沖縄メディアに限って言えば、取材者側が取材拒否することは日常茶飯事である。
沖縄県知事選に関する沖縄2紙の「選挙妨害」ともいえる捏造報道については後述するとして、沖縄メディアが海兵隊に対し取材拒否をして県民の知る権利を奪った例を訴える海兵隊関係者の投稿を以下に紹介する。(本件に関し、沖縄2大紙に何度投稿しても黙殺とのこと)
★
メディアによる情報の欠如は、日米の相互理解に影響を与え日米関係を傷つける
ロバート・D・エルドリッヂ博士 2015年1月14日、私は地元高齢男性の命を救った一人の海兵隊員を称える式典に出席する機会に恵まれた。
男性は昨年12月23日、沖縄県北部の金武町において交通量の多い海岸道路で自転車から転げ落ちた。キャンプ・ハンセンに向かう道中でのジェイコブ・バウマン軍曹が男性を安全な場所へ移動して蘇生させたという行為は、とっさの機転と勇敢なものだ。
式典は司令部で行われ、彼の所属する第3海兵師団・第12連隊の上司や同僚、そして彼の若き妻が同席した。
式典は短く簡潔で威厳のあるものだった。司令官のランス・マクダニエル大佐は、歴史や神話上だけでなく、人間の生活における勇気について語った。「英雄的行為とは普通の人が他の人のために並ならぬことをすることである」と彼は述べ、他の運転者が行わなかったバウマン軍曹の行動を賞賛した。救助の後バウマン軍曹はこの行動について聞かれ、他者を助ける、という考えから引き起こされた行動だと答えた。これこそが海兵隊だと筆者が思い、海兵隊以上に「良い友はいない」という表現の由来だ。
報道関係者も招待されていたが、一人の兵隊によって地元住民の命が救われたにもかかわらず、驚くことに地元新聞二社だけでなく放送局も出席はしなかった。
琉球新報と沖縄タイムスが訪れなかったことは大変残念だ。なぜいなかったのか理由は定かではないが、「招待を耳にしなかった」「より重要な取材が入っていた」といった言い訳をよく聞く。この場合は、この主張が事実でないなら、知らせを前もって受け取っており、人助けは賞賛に値することであり「命どぅ宝」だと同意するだろう。
事実、この良い出来事についての記事の欠如は数万件の例のうちの一つに過ぎず、それが意図的であれそうでなかれ、私はこのことを情報の「欠如」と呼んでいる。これらの話は友好、人道的な行動、善行、地域交流、米軍の存在や日米関係の多くの他の側面を含んでいる。前向きな出来事を報道しないことによってメディアは実際に存在している日米関係を表現できなくなり、その代わりに、多くの事実や良い出来事を犠牲にした否定的で扇動的な滅多に起こり得ないことに焦点を当てるのだ。
実際には前向きなニュースを報道するいくつもの機会がありますが、これらを報道しないという意図的な決断が存在しているとしか考えられる。
最初の機会は警察や救急隊員が現場に駆けつけた際、すぐに事故を追うことだ。そして実際にはそうでないにしても、その事故が地元住民と米兵との事故であるとメディアは耳にしたのではなかろうか。
どんな理由であれ、その事故や事故当時の救助について知らなかったとしても、12月31日に在沖海兵隊のホームページで発表され、1月5日には日本語でも発表された目撃者による論説によって知ることはできたはずだ。メディアがそれらを発信することはないが、彼らは米軍によって発表された情報の全てを必ず得ているからだ。
もしそれでも情報が出された後も知らなかったのであれば、1月の式典への招待を受けて調査をするなり記事を発表するなりできたはずです。しかし彼らはそれを行いませんでした。
そして残念なことに、彼らは式典に出席してそのことについて報告をすこともなく、私達の隣人である沖縄県民の方々のために、その日示されたメッセージを読者に届けることも無かった。
以上からすると、新報新報と沖縄タイムスは偏向報道をしており、これが2000年採択された日本新聞協会の『新聞倫理綱領』に反すると結論せざるを得ない。
那覇在住の平良哲氏が昨年11月6日付けの『琉球新報』の「論壇」では、「新聞は大きな公共性があり、民主主義の根幹をなす中立・公正に基づく正確な報道が求められている。私たちは新聞に民主主義を維持するための機関として購読料を払い、深い関心と期待をもって読んでいる」。そのご主張に同感。沖縄の二紙が、上記の綱領や読者の期待に満たしていないことに反省し、改善すべき。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エルドリッヂは大阪大学大学院の准教授(日米関係論)を経てから、現在在沖海兵隊政務外交部次長を務めている。
ロバート・D・エルドリッヂ博士 2015年1月14日、私は地元高齢男性の命を救った一人の海兵隊員を称える式典に出席する機会に恵まれた。
男性は昨年12月23日、沖縄県北部の金武町において交通量の多い海岸道路で自転車から転げ落ちた。キャンプ・ハンセンに向かう道中でのジェイコブ・バウマン軍曹が男性を安全な場所へ移動して蘇生させたという行為は、とっさの機転と勇敢なものだ。
式典は司令部で行われ、彼の所属する第3海兵師団・第12連隊の上司や同僚、そして彼の若き妻が同席した。
式典は短く簡潔で威厳のあるものだった。司令官のランス・マクダニエル大佐は、歴史や神話上だけでなく、人間の生活における勇気について語った。「英雄的行為とは普通の人が他の人のために並ならぬことをすることである」と彼は述べ、他の運転者が行わなかったバウマン軍曹の行動を賞賛した。救助の後バウマン軍曹はこの行動について聞かれ、他者を助ける、という考えから引き起こされた行動だと答えた。これこそが海兵隊だと筆者が思い、海兵隊以上に「良い友はいない」という表現の由来だ。
報道関係者も招待されていたが、一人の兵隊によって地元住民の命が救われたにもかかわらず、驚くことに地元新聞二社だけでなく放送局も出席はしなかった。
琉球新報と沖縄タイムスが訪れなかったことは大変残念だ。なぜいなかったのか理由は定かではないが、「招待を耳にしなかった」「より重要な取材が入っていた」といった言い訳をよく聞く。この場合は、この主張が事実でないなら、知らせを前もって受け取っており、人助けは賞賛に値することであり「命どぅ宝」だと同意するだろう。
事実、この良い出来事についての記事の欠如は数万件の例のうちの一つに過ぎず、それが意図的であれそうでなかれ、私はこのことを情報の「欠如」と呼んでいる。これらの話は友好、人道的な行動、善行、地域交流、米軍の存在や日米関係の多くの他の側面を含んでいる。前向きな出来事を報道しないことによってメディアは実際に存在している日米関係を表現できなくなり、その代わりに、多くの事実や良い出来事を犠牲にした否定的で扇動的な滅多に起こり得ないことに焦点を当てるのだ。
実際には前向きなニュースを報道するいくつもの機会がありますが、これらを報道しないという意図的な決断が存在しているとしか考えられる。
最初の機会は警察や救急隊員が現場に駆けつけた際、すぐに事故を追うことだ。そして実際にはそうでないにしても、その事故が地元住民と米兵との事故であるとメディアは耳にしたのではなかろうか。
どんな理由であれ、その事故や事故当時の救助について知らなかったとしても、12月31日に在沖海兵隊のホームページで発表され、1月5日には日本語でも発表された目撃者による論説によって知ることはできたはずだ。メディアがそれらを発信することはないが、彼らは米軍によって発表された情報の全てを必ず得ているからだ。
もしそれでも情報が出された後も知らなかったのであれば、1月の式典への招待を受けて調査をするなり記事を発表するなりできたはずです。しかし彼らはそれを行いませんでした。
そして残念なことに、彼らは式典に出席してそのことについて報告をすこともなく、私達の隣人である沖縄県民の方々のために、その日示されたメッセージを読者に届けることも無かった。
以上からすると、新報新報と沖縄タイムスは偏向報道をしており、これが2000年採択された日本新聞協会の『新聞倫理綱領』に反すると結論せざるを得ない。
那覇在住の平良哲氏が昨年11月6日付けの『琉球新報』の「論壇」では、「新聞は大きな公共性があり、民主主義の根幹をなす中立・公正に基づく正確な報道が求められている。私たちは新聞に民主主義を維持するための機関として購読料を払い、深い関心と期待をもって読んでいる」。そのご主張に同感。沖縄の二紙が、上記の綱領や読者の期待に満たしていないことに反省し、改善すべき。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エルドリッヂは大阪大学大学院の准教授(日米関係論)を経てから、現在在沖海兵隊政務外交部次長を務めている。
狼魔人日記読者の皆様
このほどは、皆様のご支持ご支援を賜りまして心より感謝申し上げます。
那覇市住民訴訟は、昨年5月に那覇市と前市長の翁長雄志氏(現知事)を相手に提訴しました。この間、被告代理人等は真面な反論もせず、無意味な質問を重ねる法廷引き伸ばし戦術を行い、一般傍聴者が参加することの出来ない、弁論準備が繰り返されて参りました。今月も20日、21日と弁論準備が行われますが、この日は提訴よりまる8ヶ月となる日となります。
しかし、彼らが引き延ばせば延ばすほど、新たな証拠が発見されていることをやがて思い知ることとなるはずです。
以下の通り報告会を行いますので、ご都合の許す方は是非とも参加下さい。
記
那覇市住民訴訟報告会
日時:1月20日 開場13時30分開会:14時00分、閉会:15時30分
会場:県立博物館美術館の美術館講座室
会費:無料 主催:住みよい那覇市をつくる会
お問合せ:090‐9780‐7272 ニシコリまで
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