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☆沖縄県内の「告別式」最新情報。
沖縄テレビ 6月19日
県 平和宣言から「県外移設」削除へ動画再生 [Low] [High]
今月23日の沖縄全戦没者追悼式典で仲井真知事が読み上げる「平和宣言」について、県は普天間基地の県外移設を求める文言を盛り込まない方向で調整していることが判りました。
去年の仲井真知事平和宣言「一日も早い普天間基地の県外移設そして日米地位協定の抜本的な見直しを強く求めます」…仲井真知事は、2期目の就任から過去3回にわたり沖縄全戦没者追悼式の「平和宣言」で、普天間基地の県外移設と地位協定の抜本的な見直しを強く求めていました。去年仲井真知事が名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認してから初めてとなる式典では沖縄の基地負担の軽減に向け政府の取り組みを求めるものの、県外移設の文言は削除する案で調整しています。これについて県は、「犠牲者を追悼する場に政治的なメッセージはふさわしくない」と理由を説明しています。
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同じニュースを報じる19日付沖縄タイムスは一面トップを次の大見出で飾っている。
「県外」平和宣言から削除
県、埋め立て承認関連否定
県外移設の文言を削除することについて県は、「犠牲者を追悼する場に政治的なメッセージはふさわしくない」と理由を説明している。
まさに正論である。
むしろこれまでの平和宣言がイデオロギーまみれだったことが異常であり、政治的メッセーを削除することは仲井真県政のGJである。
昨年12月の辺野古埋め立て承認以来、仲井真県知事は何かが吹っ切れたようだ。
次々と打つ手打つ手が「正常運転」を回復した。
これで、11月の県知事選挙に仲井真氏が立候補することはほぼ確定と筆者は考える。
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次々と仲井真県知事に追い風が吹く中、本日のエントリーは、琉球新報の社説高江訴訟上告棄却 罪深き最高裁の政府追従を論評する予定だったが、本日は用件が午前中、午後、及び夜と重なり、朝から家を留守にせねばならず、琉球新報の発狂社説を相手にしている暇もないようだ。
というわけで、本日は昨日の那覇高生の恩人、高山大尉の続編をエントリーすることにした。
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続・二中の恩人高山大尉2010-09-03よりの引用。(一部編集)時々、ずいぶん前のエントリー記事を読んで感想や激励のメールをいただくことがある。
ブロガーとしては近々エントリーのアクセスも気になるものだが、古い記事を読んでいただいて感想文をメールしていただくことはブロガー冥利に尽きるもので、その瞬間は「人気ランキング」などどうでもよい気になってしまう。
前稿で高山大尉のご親族の方からメールをいただいたと書いたが、「2008年12月19日の記事について、お礼を申し上げたく突然のメールお許し下さい」という書き出しで始まるそのメールには概ね次のようなことが書かれていた。
<高山 代千八(高山大尉ー引用者注)は私の祖父(母方)にあたります。
祖母は戦時中悪い事をした人の妻と言われ、多くを語らずにいましたが、今回、貴方様のブログを拝見し祖母へ読んで聞かせたところ、涙をためて感謝しておりました。
また、私達孫世代も改めて戦争というものを知るきっかけとなりました。>
最後に丁重な文体で当日記への感謝を表し文を結んでいた。
二年前(2008年)高山大尉について書いた記事を紹介する。
なお文体の怪しい部分は一部訂正してある。
当日記を愛読していただいている方には再三の繰り返しで恐縮だが、しつこいのを承知であえて繰り返す。
最近の沖縄紙を見るたび、沖縄戦で戦った日本兵は、米兵を敵にして戦ったというより、むしろ沖縄住民を虐殺するために戦ったような印象を受ける。
事実、そのような記事を教材に使って、「日本兵は残虐非道」であったと授業で教える教師もいる。
マスコミの扇動にのった地元大学生は、同じく「日本兵の悪行」を訴える演劇を上演し、沖縄教育界が一丸となって日本兵の悪行を糾弾している現状である。
■全国から20万人もの兵士が沖縄に集結した■
沖縄戦には日本全国、北は北海道から南は鹿児島、そして地元沖縄からも数多くの若者が兵士として動員され、その数は実に20数万人にも及ぶ。
現在のおよそ半分の人口しか居なかった当時の沖縄で、この20万人という数字は島中に兵隊が溢れていたといってもおかしくはない状況であった。
だが、いつの世でも人間にはいろんな種類の人がいるもの。 20万人もの人間が沖縄に集結したら、中には悪さをする人が出てきても不思議ではない。
日本兵の中に不届きな日本兵が一人もいなかったとは思わないが、はたして沖縄紙が報じるように日本兵は犯罪者集団のように沖縄住民に危害を加えたり略奪だけをしていたのか。
いやそうではない。
日本兵に救われた沖縄人も多数居たのだが、イデオロギーまみれの沖縄紙が報道しないだけの話である。
ところが沖縄タイムスも、戦後のある時期までは日本兵と沖縄住民との心温まる交流談や日本兵に命を救われたといった回顧証言も報道されていた。
その頃までは沖縄紙も、「沖縄住民を助けた心優しき日本兵」の記事を報じる余裕があったのだ。
昭和56年12月20日付の沖縄タイムスに次のような記事がある。
≪ニ中の犠牲が少なかったのは配属将校の勇気ある決断
「ニ中の鉄血勤皇隊に犠牲者が少なかったのは、配属将校・高山代千八大尉(鹿児島県出身)の勇気ある行動があったから・・・」−さる10月、本紙夕刊連載中の「私の戦後史」に掲載された城間盛善氏(77)=沖縄市胡屋13、城間学園校長・当時ニ中英語教師=は、このような沖縄戦秘話を公表した。 連載終了後、鹿児島地裁判事をしている長男の盛俊氏(47)を通じて高山さんの遺族を捜していたが、14日鹿児島に遺族がいるという連絡が入った。
城間氏は当時のもようを「私の戦後史」にこう書いている。
“ニ中の鉄血勤皇隊は、初め戦闘予想地域である南部の高嶺村に配置される予定だった。 しかし、高山大尉は、前途ある若者を無為に殺したくはないと思われたのだろう。 連隊区司令部会議で「ニ中は校舎が焼けたので、金武小学校へ移動した」と強引に主張。 それで、急転直下、北部へ配置換えになったのである。
ところが実際には、まだ移動していなかった。 高山大尉の言葉を裏付けるため、実績を作らなければならない。 移送係だった城間氏は、急いで生徒を北部へ送った。
高山大尉はニ中に赴任する前、ガダルカナル島の戦闘に参加した経験を持っていた。 おそらくアメリカの強力な設備、偉大な戦闘力を知っていたのだろう。 悲劇を見通していた高山大尉の英断は、さらに続いた。
城間氏が後を追って金武に着いた時は、既に勤皇隊は解散された後。 「勤皇隊の参加承諾書に親のなつ印をもらって来い。だが米軍の上陸は間近だから、無理に帰隊することはない」と、高山大尉が合法的に親元へ帰していたのだった。 南部地区に配置された一中と師範が多くの死者を出したのに対し、ニ中はどれだけの若い命が救われたかしれない。
城間氏が長い間、口を閉じていたのは、高山元大尉の気持ちも考えてからだった。 合法的で軍規律に反するものは何もないが、あの時代には裏切り行為ともとられかねない。 もしかしたら発表されたくないのでは、と思っていたという。 この事実を知っていたのは、校長と教頭、城間氏の三人だけ。 だがその中で生き残っているのは城間氏一人になった。 「いつか言わなければ事実が埋もれてしまう。 そこへ戦後史執筆の依頼。 本当にいいチャンスを作ってくれた」と話す。
新しい秘話だけに、反響は大きかった。 二中卒や勤皇隊の人たちはは、「そんな裏話があったとは・・・」と驚いているという。(「沖縄事始め・世相史事典」編著 山城善三)≫
◇
ニ中の学生が戦火の少ない北部に急遽配置換えになり、多くの学生の命が戦火を免れたが、一方激戦地の南部に配置された一中(現在の首里高校)の学生には多くの犠牲者が出た。
一中の学生の戦没者を顕彰する碑文。
多くの戦没者を顕彰するのも大事なことだが、高山大尉のように犠牲者を出さないように努力した人のことも我々は忘れるべきではない。
記事に出てくるニ中(県立第二中学)は、現在の那覇高校で筆者の出身校であるが、多くの先輩が配属将校・高山大尉の勇気ある決断により命拾いしたことは聞いた事はなかった。
本来だったら「ニ中勤皇隊の命の恩人」として高山大尉の顕彰碑を、校庭の片隅にでも建立してバチは当たらないだろう。
高山大尉のような軍人の人間的行動を顕彰したり、記事で紹介することは、
現在の沖縄の風潮では「戦争を賛美する」として、イデオロギー論争にすり替えられてしまう。
激戦地のガダルカナルでの米軍の壮絶な攻撃を経験した高山大尉が、配属将校として赴任したニ中の学生たちをむざむざ死が待っている南部への配置することを不憫に重い、嘘をついてまで強引に、安全な北部へ配置転換させた。
この重大な「軍事機密」を知っていたのは「首謀者」の高山大尉と学校側では校長、教頭そして移送係りの城間先生の三人だけであった・・・・。
三人の先生は「軍事機密」を墓場の中まで持ち込むことを誓い合った。
だが校長、教頭が次々物故する知らせを受け、一人残された城間先生は遂に誓いを破る決意をする。
これは決して「戦争賛美」のドラマではない。
平和な時代にも戦争の時代にも自分のことより他人の命を慮り勇気ある行動をする人がいる。
高山大尉と三人の先生の「秘密」は「戦争賛美云々」を飛び越えて、人間の心優しさを訴える人間ドラマである。
このドラマチックな逸話をどなたか小説にでも書いてくれませんかね。
◇
高山大尉のご親族の方から丁重な感謝のメールをいただいたので早速お礼の返事を出し高山大尉の生前のお話など知らせて欲しいと申し出た。
だが、高山大尉は昔の武人らしく生前、奥様(祖母)にも沖縄戦のことは一切話しておらず、記事に出てくる城間さんの勇気ある証言によって家族一堂(祖母も母達も)知ることができたとのこと。
そして、偶然閲覧した当日記によって祖母をはじめ親類一同が、改めて祖父の勇気の大きさを知る事ができたとのことで、高山大尉に関する新しい話は残念ながら聞くことはできなかったが、返信には次のようなことが書かれていた。
「多くの犠牲になられた方々、そのご遺族のお気持ちを考えると、私達が堂々と話す事ではないのかもしれません。
ただ、祖父の勇気に身内ながら感動しました。」
「祖母は昨年だったと思いますが、沖縄へ母の妹と旅行。沢山の写真を片手に今でも思い出話を聞かせてくれます。」
いまどきの人間なら自分のやったことを針小棒大に宣伝するのが通常だが、ダルカナルの激戦や沖縄戦を経験した高山大尉は、生き延びた奇跡を喜びより、散華した戦友のことを考え、家族にも語らず寡黙な一生を過ごしたのではないかと推測する。
特に沖縄戦に関しては、沖縄紙を中心に異常とも思えるほどの日本兵バッシングを見聞きし、複雑な思いのまま亡くなられたと思うと、一人の沖縄県人、いや日本国民として心が痛む。
だが、遅まきながらも高山大尉の奥様が、ご主人様の武人らしい行動を知ることが出来、晴れ晴れとした気持ちで沖縄旅行を楽しむことが出来たと知って少しは高山大尉へのご冥福に寄与できたと感じ、沖縄県民として救われた気がした。
【おまけ】ボギーテドコンさん
スズキ自販沖縄の関係者からの情報。
先日公開されたスズキハスラーのCMにつきまして、下記の報告がありました。
? TVCMは放送中止になりました。
? 演芸集団FECが掲載されていたポスターは、全販売店店頭から撤去、回収されました。
以上謹んでご報告させていただきます。
<form id="u_0_23" class="live_682846571785803_316526391751760 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{"tn":"]"}" data-live="{"seq":0}"> 「天皇陛下万歳」は自決命令!陛下を侮辱するヘイワ団体 </form><form id="u_0_23" class="live_680647515339042_316526391751760 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{"tn":"]"}" data-live="{"seq":680760788661048}">
■御知らせ■
</form> <form id="u_0_23" class="live_680647515339042_316526391751760 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{"tn":"]"}" data-live="{"seq":680760788661048}">日本と台湾は運命共同体、沖縄はその絆の中心たれ!
黄文雄先生の講演会があります、学生以下無料です。
若い世代にも是非聞いて頂きたい内容です。
日時:6月21日(土)開演18時30分(開場18時)
会場:沖縄県立博物館美術館 講堂
会費:500円(学生以下無料)
講演者:黄 文雄氏
演題:自由アジアの生命線、日本と台湾の絆は慰霊碑建立から
第四回「島守・防人に感謝する集い」、「殉国沖縄学徒顕彰六十九年祭」
【日 時】平成26年6月23日(月) 13:30~
【ところ】沖縄県護国神社 大ホール、社殿
※参加費無料(カンパ大歓迎でございます。)
沖縄戦は壮絶を極めましたが、鉄血勤皇隊や通信隊、また、ひめゆりなどの学徒看護隊は家族と郷土を守るべく、自らの意志で沖縄戦を戦ったのであり、その思いを無視することこそが、戦争の歴史の風化へとつながると思います。
集団的自衛権行使が容認されれば、「戦争する国になる」、「沖縄戦の悲惨さが繰り返される」等と、現在の問題と短絡的に結び付けたり、イデオロギーに囚われた目で見るのではなく、壮絶を極めた沖縄戦の事実や、学徒隊の方々の思いをありのままに記憶することが大事ではないでしょうか?
慰霊の日に、我々沖縄の大学生で、沖縄戦を戦われた学徒の方々に「鎮魂と敬いの心」を捧げる顕彰祭を行います。お気軽にご参加くださいませ。
【主催】琉球大学公認サークル「沖縄から日本を考える学生の会」(実行委員長:琉球大学3年 野田拓志)
【お問い合わせ】070-5279-1139(部長:外間) new.okinawa.proud.japan@gmail.com
天皇陛下、皇后陛下のご来県が今月26日(木)、27日(金)に予定されています。
昭和19年8月22日の学童疎開船「対馬丸」の事件より70年を迎える本年、那覇市若狭の「小桜の塔(対馬丸慰霊碑)」と「対馬丸記念館」を慰霊の為ご訪問されます。
下の予定表をご参考に、出来る限りご参加くださいませ!!
6月26日(木)
集合時間
13:00 那覇空港国際線ターミナルビル1階(ANA側)
13:30 安次嶺交差点、赤嶺交差点、瀬長交差点
13:40 西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
13:50 平和記念公園中央口(入り口付近)
14:10 平和記念公園中央口(入口付近)
14:20 西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
14:30 豊崎にじ公園の向かい側
14:35 瀬長交差点
14:40 沖縄産業支援センター前
14:45 明治橋交差点〜旭橋交差点間の歩道(琉球銀行側)
6月27日(金)
集合時間
9:30 松山公園前(那覇商業高校付近)
9:30 若狭中通り(「味の店三郎」側)
9:35 波之上自動車学校前
11:20 久米交差点(若狭大通りの公園側)
11:20 松山公園前(那覇商業高校付近)
13:00 県民広場(県庁前の広場)前の歩道
13:00 明治橋交差点〜旭橋交差点間の歩道(県庁側)
13:05 産業支援センターの向かい側
13:15 那覇空港国内線ターミナルビル1階(ANA側)
「沖縄内なる民主主義5」(A4版・60ページ)を4月25(金)より発売。
狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
価格850円(税・送料込み)
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
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沖縄の出版界が出版拒否した禁断の書! 『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1800円(税・送料込み)
著者:又吉康隆
ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
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