■那覇市立中央図書館の言論封殺に、断乎抗議する! (抗議文例はこちらで)
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2013年05月20日08時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。同じ復讐だったが結果は違う。ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる。
2006年に私はポーランドのアウシュビッツ収容所遺跡を訪問したことがある。ここでユダヤ人100万人余りがガス室で処刑された。どれもがぞっとしたが、最も衝撃的な記憶が2つある。ひとつはガス室壁面に残された爪跡だ。毒ガスが広がるとユダヤ人は家族の名前を呼んで死んでいった。苦痛の中で彼らは爪でセメントの壁をかいた。
もうひとつは刑罰房だ。やっとひとり程度が横になれる部屋に4〜5人を閉じ込めた。ユダヤ人は互いに顔を見つめながら立ち続け死んでいった。彼らは爪で壁面に字を刻みつけた。最も多い単語が「god」(神)だ。
ナチとヒットラーの悪行が絶頂に達した時、英国と米国はドレスデン空襲を決めた。軍需工場があったがドレスデンは基本的に文化・芸術都市だった。ルネッサンス以後の自由奔放なバロック建築美術が花を咲かせたところだ。3日間に爆撃機5000機が爆弾60万個を投下した。炎と暴風が都市を飲み込んだ。市民は火に焼けた。大人は子ども、子どもはひよこのように縮んだ。合わせて3万5000人が死んだ。
満州のハルビンには731部隊の遺跡がある。博物館には生体実験の場面が再現されている。実験対象は丸太と呼ばれた。真空の中でからだがよじれ、細菌注射を打たれて徐々に、縛られたまま爆弾で粉々になり丸太は死んでいった。少なくとも3000人が実験に動員された。中国・ロシア・モンゴル・韓国人だった。
丸太の悲鳴が天に届いたのか。45年8月に原子爆弾の爆風が広島と長崎を襲った。ガス室のユダヤ人のように、丸太のように、刀で頭を切られた南京の中国人のように、日本人も苦痛の中で死んでいった。放射能被爆まで合わせれば20万人余りが死んだ。
神の懲罰は国を改造して歴史を変えた。ドレスデン空襲から25年後、西ドイツのブラント首相はポーランドのユダヤ人追悼碑の前でひざまずいた。しとしと雨が降る日だった。その後ドイツの大統領と首相は機会があるたびに謝罪し許しを請うた。過去に対する追跡はいまでも続いている。ドイツ検察は最近アウシュビッツで刑務官を務めた90歳の男性を逮捕した。
ところが日本は違う。ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった。
安倍はいま幻覚に陥ったようだ。円安による好況と一部極右の熱気に目をふさがれ自身と日本が進むべき道を見られずにいる。自身の短い知識で人類の長く深い知性に挑戦することができると勘違いしている。
彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。
キム・ジン論説委員・政治専門記者
☆
最近の韓国の日本に対する誹謗中傷をみると、一世紀以上前、福沢諭吉翁が「脱亜論」で示した洞察力の深さにいまさらながら脱帽せざるを得ない。
「韓国は日本と自由、民主主義、法による秩序など価値観を同じくする友好国である」などと発言しないで欲しい。歴史認識一つとって日本とは全く異質の国だと断定せざるを得ない。
日韓基本条約で解決済みの慰安婦保障の問題を蒸し返すなどは法の秩序を重んじる姿勢とは程遠い姿勢である。
さらに韓国の一流紙が、ドイツ、ドレスデン空爆はナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だったのと同じように、広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった、と断定してはばからない。
こんな無法な国と今後価値観を共有しているなど、不可能なことは福沢諭吉の指摘の通りである。
央日報の記事の日本誹謗には、韓国人記者が、ナチドイツと日本軍国主義を意図的に関連付けている“作為”がみてとれる。
日本政府は、これらの発言に対して、即座に反撃できる組織体制をつくらなければなりません。
下記 動画をご覧ください。(西尾幹二氏、外国人特派員協会での慰安婦問題 緊急声明)
日本は、そういうことを、国家ぐるみで計画的にやる国ではない!そういう歴史の事実はない!
ドイツのそれは、ナチスによるユダヤ人虐殺があまりに巨大だったため,隠れてしまった。
アメリカGHQが日本当局に公然と要請した、慰安所開設の話もある。
日本への非難決議をするアメリカ人よ・・あなた方の親たちが犯したこと、知ってますか?
韓国兵がベトナム戦争でどれだけの落とし子を生みましたか? 8000〜20,000人、いやそれ以上?
河野談話の背景に、日本の官僚による「強制性はあった」という隠微かつ“曖昧”な表現使用、それが
どちらにもとれるような意味合いで、これが誤解を生んだ!と。
その後の韓国は「日本が謝れば許す」・・・、日本人の
「謝罪文化」を利用し、「レイプ国家日本」というウソを世界に喧伝する結果となっている。
【動画】西尾幹二 4月4日の外国人特派員協会 での 慰安婦問題についての 発言
46分27秒
この西尾幹二発言に対して、特派員側からは 質問 ただ一つという。
☆
■宜野湾よりさんのコメントです。
☆
既にご存知の方も多いとは思いますが、以下は1944年に連合軍によるビルマ(当時)ミイトキーナ(ミッチーナ)掃討で捕らえられた20人の朝鮮人comfort girlsと2人の民間日本人の取り調べ報告です。
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html
冒頭でcomfort girlとはprostitute売春婦以外の何者でもないとの説明から始まり、
・日本の業者(宜野湾より注:業者が日本人か朝鮮人かは記載なし)が朝鮮において、借金や前借りとその返済手段があるとして募った
「シンガポールで新生活」など虚偽の惹句もあった
・慰安所は陸軍が規定した方針の下にhouse master慰安所の主人が運営
・慰安婦は陸軍の正規配給は受けておらず主人から物品を購入していた。
化粧品や服など好きなものが買え、買い物に出ることもできた。
だが、主人が女の子たちに売る食糧などの値段を高くして女の子たちの生活を圧迫することがあった
・慰安婦たちは兵士とスポーツに興じたりピクニックに出かけたりし、兵士は実家から送られ物資から女の子たちに贈り物をした
兵士が慰安婦に結婚を申し込み、実際に結婚する例があった
・慰安婦には客を断る権利があり、客が酔い過ぎている時など、しばしばこの権利が行使された
・陸軍の規定により軍医の診察があり、慰安婦の健康状態はよかった
・慰安婦は借金額に応じてあがりの50%〜60%を主人に持っていかれたが、借金が終わった者の帰国を陸軍が認め、朝鮮へ帰った者もいた。
・この慰安婦たちが怖れていたのは中国人兵士とインド人兵士だった
などが書かれています。
こういう事柄を地方議員は興味もなく知らないでしょうが、アメリカ中枢は知っているはずで、自らがアナウンスしないのはズルいよなと思いますが、情報が公開されているだけマシとも。
中山成彬議員の質疑 英語版
http://www.youtube.com/watch?v=ra7Dj51AniI
☆
リンクされている「朝鮮人comfort girlsらの取調べ報告書」の和訳と文字お超し英文のリンクを以下に貼り付けます。
海外発信の資料に使用して下さい。
★
第二次大戦中に米軍が独自に行ったビルマ(ミャンマー)での、朝鮮人慰安婦20名
と慰安所経営者2名の尋問調書
Report No. 49:Japanese Prisoners of War Interrogation on Prostitution
報告第49号:売春に対する日本人捕虜の戦時尋問
UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION
PREFACE
序文
このレポートはビルマ、ミーチーナ陥落後1944年8月10日前後の、掃討作
戦により捕らえられた、20人の韓国人「慰安婦」と、2人の日本民間人の取調
べから得られた情報である。
このレポートは日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女ら
の生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事
情勢に対する理解度を明らかにする。
「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは「野営追随プロ」、軍人の利益の
為日本陸軍に付属する。「慰安婦」と言う言葉は日本人特有のものである。
他のレポートでは「慰安婦」とは日本陸軍が戦う為に不可欠なものであり、どこ
でも見受けられると記されている。このレポートではしかし、日本人に募集され、
ビルマにて彼らの陸軍に付属していた韓国人「慰安婦」のみを扱うものである。
日本人は1942年、ビルマに703名のこれらの女性を送ったと報告している。
RECRUITING;
募集:
1942年5月上旬、東南アジアの新しく勝ち得た属領で、「慰安奉仕」をさせ
る韓国人女性を募集する目的により、日本人代理業者は韓国に到着した。この
「奉仕」の本質は特定されず、病院の負傷患者の訪問、包帯を巻いたり、軍人を
明るくする事に関連する物と考えられた。
この代理業者が動機として利用したものは大金、家族の借金の返済、簡単な仕事、
新天地シンガポールで新しい人生を送れるなどである。この虚偽の説明に基づい
て、多くの女性が海外勤務に志願し、何百円かの前金を受けた。
これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。しかし、わずかながらだが以
前から売春と関連があった者も居る。彼女らはサインした契約書により、家族の
借金返済の為受けとった前金の金額により、6ヶ月から1年間、軍規と「舎監」
に束縛された。
おおよそ、800名の女性がこのように集められ、彼女らは1942年、8月2
0日前後ラングーンに彼女らの舎監と降り立った。彼女らは8人から22人のグ
ループで到着した。ここから彼女らはビルマの各地、大抵は近くに日本陸軍基地
があるまあまあ大きな町へに分散していった。
最終的に4つのグループがミーチーナにたどり着いた。彼らはキョウエイ、キン
スイ、バクシンロ、モモヤマであった。キョウエイの一家は「マルヤマクラブ」
と呼ばれていた。が、彼女らがミーチーナに到着した後、ミーチーナ駐屯地の司
令官であるマルヤマ大佐と同じ名前の為変更された。
PERSONALITY;
性格:
取調べでは、平均的韓国人「慰安婦」は約25歳、無教養、大人気なく、利己的
であることを見せる。彼女は白人の基準からも、日本人の基準からも可愛くはな
い。彼女は自己中心的な傾向があり、自分の事を話すのが好きである。彼女の知
らない人の前での態度は静かで、控えめだが、彼女は「男を手玉に取る方法を知
っている。」
彼女は自分の「専門職」が好きでない事を申し立て、その事や、家族の事に付い
て話したがらない。ミーチーナとレドゥーでの米国軍人から捕虜として受けた扱
いにより、彼女は彼らの方が日本軍人よりも感情的だと感じている。彼女は中国
とインドの部隊を恐れている。
LIVING AND WORKING CONDITIONS;
住居と仕事の状況:
ミーチーナで彼女らは大抵大きな2階建ての建物を宿舎として与えられ、各女性
に個別の部屋が割り当てられ、各々の女性は生活し、睡眠をとり、業務に勤めた。
ミーチーナでは彼女らの食事は、日本陸軍からの配給が無い為、舎監によって、
準備されそして購入していた。
彼女らはビルマの他の所と比べて高級地近くに住んでいた。この事は彼らのビル
マ2年目では特にそうである。彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物
質は大量には配給されず、彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持って
いたからである。彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、実家から慰問
袋を受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。
ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、ピクニ
ックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。彼女らは蓄音
機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。
PRIOR SYSTEM;
優先システム:
彼女らの業務状態は陸軍規定の元にあり、過密地域では規則は厳格に実施された。
陸軍は過密地域では金額、優先順位、各種の部隊が過密して働いてる地域での計
画が必要だと考えた。取調べによると、平均的なシステムは以下の通り。
1 兵士 10AM〜5PM 1.50円 20〜30分
2 NGO 5PM〜9PM 3.00円 30〜40分
3 将校 9PM〜12PM 5.00円 30〜40分
これらは中央ビルマでの平均金額である。将校は12円で一晩留まる事が許され
た。
ミーチーナではマルヤマ大佐が平均金額のほぼ半分まで金額を削減させた。
SCHEDULES :
日程:
兵士はしばしば建物内の混雑に不満を漏らした。陸軍は長居をする事に対し非常
に厳しかった為、多くの状況で彼らは奉仕を受けずまま去らなければならなかっ
た。この問題を解決する為に陸軍は特定の曜日を特定の部隊に割り当てた。大抵
1日に付き、部隊から2人が兵士らを識別する為、建物に駐在した。秩序維持を為
に、憲兵も見回りを勤めた。下記に記したものがナイミョウに滞在していた間、
第18師団の各種部隊がキョウエイで使用した日程である。
Sunday ----- 18th Div. Hdqs. Staff
Monday ----- Cavalry
Thuesday ----- Engineers
Wednesday ----- Day off and weekly physical exam.
Thursday ----- Medios
Friday ----- Mountain artillery
Saturday ----- Transport
日曜 18師団、司令部、所属
月曜 機甲部隊
火曜 工兵
水曜 休日、毎週の健康診断
木曜 衛生兵
金曜 山岳砲兵部隊
土曜 輸送部隊
将校は週7日来る事が許されていた。彼女らはこの日程でも過密極まりなく、そ
の為、全ての客に構っていられないと文句を言い、それ故多くの兵隊に悪感情を
もたらした。
兵士は建物を訪れ、支払いをし、左側に順番、右側に名前の書かれた約5センチ
四方のボール紙のチケットを受け取る。「彼の順番が来た時」に各々の兵士の身
分、階級が明らかにされる。彼女らは客を拒否する特権を与えられており、個人
が酷く酔っていた時等、頻繁に行使された。
PAY AND LIVING CONDITIONS;
給料と居住状況:
「舎監」は彼女達が契約した時に被った債務金額次第で彼女らの総収入の50〜
60%を受け取る。これによると、月平均で女性は1500円を総収益をあげ、
彼女は750円を「マスター」に返済する事になる。多くの「マスター」は食事
や品物に高値を付け、彼女らの生活を困難なものにした。
1943年後半、陸軍は債務を返済した女性へ帰省を命令し、何人かの女性は寄
って、韓国へと帰国した。
この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。彼女らはあらゆる種類
の避妊用具を十分に支給され、しばしば、兵士自身も陸軍から支給された物を持
って来る事があった。彼女らは衛生の問題において客と自分の世話が出来る様、
良く訓練されていた。
かかりつけの日本軍医が週に1回訪れ、病気が見付かった女性は皆治療を受け、
隔離され、最終的には病院へ送られた。この同じ手順が陸軍内部でも遂行された。
が、興味深い事には兵士は彼が拘束された(病気による隔離)期間の間、給料を
失う事は無かった。
REACTIONS TO JAPANESE SOLDIERS;
日本人兵士への反応:
取調べにより、彼女らと将兵との間柄に置いては、二つの名前に帰結した。それ
らは、ミーチーナ駐屯地の司令官である、あのマルヤマ大佐と援軍を率いて来た
ミズカミ少将である。二人は対照的で、前者は堅物で利己的で冷淡で、部下への
配慮も無い。後者は善良、親切な男で、立派な軍人であり、彼の元で働く部下へ
も最大の配慮をする。
大佐は彼女らの常連であり、少将が訪れた事は聞かれた事が無い。
ミーチーナの陥落とともに、マルヤマ大佐は逃亡したと思われ、一方、ミズカミ
少将は、部下を撤退させることができなかった故に自決した。
SOLDIERS REACTIONS;
兵士の反応:
普通の日本軍人は慰安ハウスで見られる事は、ばつの悪い事のようで、ある女性
の言う所によると、「満員で列に並んで自分の順番を待つのにも恥ずかしがりが
ち」しかしながら、極めて多くの結婚の申し込みがあり、ある場合に置いては実
際に結婚した。
全ての女性が彼女らの所へ来た将兵のうち、翌日前線へ向かう兵士と、酔った物
が最悪であると同意した。しかし同様に、酷く酔った日本人兵士であっても、彼
女らと機密や軍事問題を話題にする者が居ない事にも同意した。
しかし、女性の方から軍事問題の会話を始めても、将校又は下士官兵は話さず、
むしろ「そのような女性らしくない話題について話す事を説教された。酔っ払っ
たマルヤマ大佐でさえ決してそのような問題について話す事は無かった。」
兵士はよく実家からの雑誌や、手紙や、新聞を受け取ることをいかに楽しみにし
ているか表現したと言う。彼らはまた、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、
小さな人形、口紅や服であふれた慰安袋を受け取った事にも言及した。
口紅と服は女性の物であり、彼女達は何故実家の人達がそのような物を送るのか
理解出来ないが、送り主は彼女自身か、現地の女かしか受け入れられなかったと
憶測する。
MILITARY SITUATION
軍事情勢
アメリカ軍の爆撃で慰安婦の中には死亡したものもいる。(大略)
RETREAT AND CAPTURE
撤退と捕獲
慰安婦達が撤退する日本軍と別れ、アメリカ軍の捕虜になった経緯
石原です
橋下維新の会副代表の慰安婦発言が、日本のみならずアメリカ、韓国、中国を
巻き込んで沸騰しています。つくる会の会員としてはこの事態を静観しているわ
けにはいきません。何故ならば、そもそも「従軍慰安婦」が中学校の歴史教科書
に取り上げられた事を受け、その欺瞞と自虐を正すためにつくる会は発足し、此
を教科書から追放するという成果を上げたにもかかわらず、爾来16年を経てま
た再び「従軍慰安婦」問題で日本が危機に陥っている状況を等閑視するわけには
いきません。つくる会として何らかのメッセージを発し、この汚名を晴らす行動
をしなければならないと思います。
今や「従軍慰安婦」問題は、強制連行があったかどうかと言う論点から、「従
軍慰安婦」そのものの存在がセックススレイブであると言う論理に変わり、「戦
場慰安婦」の存在を認める日本を女性の敵として、世界が糾弾するという厳しい
状況に変わったのです。
今までに何度も日本が韓国に対して安易に謝罪を繰り返してきた事がもたらし
た当然の結果と言えます。日韓基本条約で解決済みだと言いながら謝罪を繰り返
さざるを得なかった根本原因は93年の「河野談話」にあります。マイクホンダ
がアメリカ下院議院を説得して日本非難決議を成功させた根拠も、「河野談話」
でした。
「河野談話」に替わる別の談話を安倍内閣が発するとしても、慰安婦募集に軍
が関与していない事実や強制連行を強く否定するのが限度であり、戦場慰安婦の
存在が事実である以上、この事態を沈静化させるのは難しいでしょう。だからと
いってこの儘泣き寝入りをすれば、「河野談話」と「従軍慰安婦」のセットが、
いつでも好きな時に日本を押さえ込む道具として世界の国々に重宝されるに違い
ありません。
この事態を回避するための唯一の方法は、日本政府が総力を挙げて各国の「戦
場慰安婦」に関する資料を徹底的に調べ上げ、その実態について各国に問いかけ、
日本と同じ土俵に引きずり込むしかありません。「戦場慰安婦」を持たなかった
国に対しては、兵士が犯した強姦や婦女暴行などの事実を告発しその責任を問う
のです。日本だけが全世界の過去の所業の責任を背負って一人裁かれるのは、民
族の浮沈に関わる重大な危機であると認識し、日本政府は非常の覚悟を決めて世
界と対峙するしかありません。いかなる犠牲を払っても、この汚名を晴らす決意
を安倍内閣は世界に向けて発するべきです。
日本の美意識では、「やったのは俺だけではない。ほかの奴らもやっているで
はないか」という責任回避は余り褒められたことではありませんが、そんな格好
を付けている場合ではありません。過去の出来事を現在の価値観で裁くことの不
条理は法の不遡及の原則と同様であり、本来あってはならないことですが、未だ
に法治主義を理解しない愚かな中国や韓国に煽られて付和雷同する法治国家が存
在する以上は、日本も名誉を守るためには非常手段を取るしかありません。
もともと「従軍慰安婦」問題を捏造し韓国をたきつけ世界に広めたのは朝日新
聞であり、それに同調し国連を通じてセックススレイブなる概念を広め日本を危
機に陥れたのは左翼弁護士や反日学者達ですが、何としてもこの売国奴達を国会
に喚問し糾弾しその罪を問わなければ、世界と戦う場合に身内を放置したことで
片手落ちになります。
橋下氏の投げかけた問題は全てが正しいとは言えませんが、「やったのは日本
だけではない」という問いかけは、西尾先生が4月4日に外国特派員協会で行わ
れた意見陳述で述べられた「アメリカよ、恥を知れ」と軌を一にするものであり、
お二人の身を賭したこの問いかけにつくる会も同調し、何らかのメッセージを発
するべきであると思います。
安倍首相も「日本は今まで大人しい国であったが、これからは言わねばならぬ
時は言う」と国会で明言したからには、是非とも勇気を持って立ち上がって欲し
いものです。
慰安婦聞き取り調査米軍公式資料は日本人にとって重要ですが
外国人にも見せたい資料ですね。特にアメリカ人やイギリス人に。
英文はこれ。
Prisoners: 20 Korean Comfort Girls
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