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2013年04月10日
【東京】文部科学省が竹富町教育委員会に対し、同一採択地区内の石垣市、与那国町と同じ保守色の強い育鵬社版公民教科書を採択するよう指導している件で、諸見里明県教育長は9日、同省初等中等教育局の永山裕二教科書課長を訪ね、八重山採択地区の教科書が一本化に至らなかったことを報告した。諸見里氏は「年度の途中で教科書を変更することは厳しい」と述べ、東京書籍版の教科書を配布した竹富町教育委の決定を尊重する考えを示した。
同氏によると、永山課長は「引き続き指導を続けてほしい」と育鵬社の教科書への一本化をあらためて求め、両者の話し合いは平行線に終わった。
諸見里教育長は同日午前9時40分ごろから約30分間、省内で永山教科書課長ら担当者と面談した。面談後、同省で本紙などの取材に対し、教科書採択について(1)県は中立的な立場で業務を遂行していく(2)竹富町の決定を尊重せざるを得ない(3)年度の途中で教科書を変更するのは厳しい−の3点を同省教科書課に伝えたことを明らかにした。
東京書籍版の教科書の配布を決めた竹富町教育委員会の決定を事実上容認した県の方針に対し、永山教科書課長は「竹富町を指導し、教科書を一本化させてほしい」と述べ、文科省の方針に変更がないことをあらためて示した上で、町の回答内容を見て対応を検討する考えを示した。
一方、下村博文文科相は同日の会見で、竹富町教育委員会が東京書籍版の教科書配布を決定したことについて「教科書無償措置法に反する違法状態であることは変わりない。まだ竹富町からペーパー(文書)による回答が来ていない。回答を見てから対応を検討したい」と述べ、引き続き県に指導するよう求めた。
これまで、義家弘介文科省政務官が県や竹富町に対して教科書の一本化を指導したが、県は3日付の文書で一本化できなかったことを文科省に報告した。
竹富町は採択権は町教委にあるとして保守色の強い育鵬社の教科書ではなく、東京書籍版の教科書を配布した。(琉球新報)
☆
>諸見里教育長は9日、文科省訪問し教科書採択に関し次の3点を伝えた。
(1)県は中立的な立場で業務を遂行していく
(2)竹富町の決定を尊重せざるを得ない
(3)年度の途中で教科書を変更するのは厳しい
諸見里県教育長のコメントには大きな誤解が有る。
先ず県教庁と竹富教育委は教科書採択に関し、現在文科省と協議したり議論する立場に有るのではない。 監督官庁としての文科省に「違法状態」を指摘され指導を受ける立場にある。
したがって「(1)県は中立的な立場で業務を遂行していく」は大きな間違いであり、「法律に則って業務を遂行する」が正しい。
当然「(2)竹富町の決定を尊重せざるを得ない」も間違いであり、「竹富町の違法状態を指導する」が正しい。
「(3)年度の途中で教科書を変更するのは厳しい」というが、これまでタップリ時間があったのを怠慢で放置したのは県教委のはず。
遵法精神や民主主義を学ぶ公民教科書が違法状態のままで放置されることを考えれば、僅か32人の生徒の公民教科書を年度途中で変更しても、厳しいはずはない。 むしろこれが民主主義と順法精神を学ぶ生きた教育になるのではないが。
その際、違法なごり押しを2年にわたって続けた県教委と竹富町教委の面子が潰れるのは自業自得で仕方がない。
遵法精神に立ち返れば、先輩・大城浩前県教育長の違法行為を認めることになり、新聞の攻撃の矢面に立たされることになる。
一方、大城前教育長の方針を踏襲すれば自分が違法行為をすることになる。
現在の諸見里県教育長はまさに悩めるハムレットの心境なのだろう。
繰り返すが現在の竹富町の状況は議論する段階を終了し、違法状態を是正する段階にある。
八重山日報の仲新城記者の次の解説文を読めばその点がよくわかる。
■八重山日報 2013年4月10日
「違法解消の責任は町」 町は東書版配布 両者の主張検証 衆院予算委員会で答弁する下村文科相(8日)=衆院ホームページより八重山教科書問題は、新学期が始まった8日、竹富町が東京書籍版の公民教科書を各中学校に配布し、育鵬社版を使用する石垣市、竹富町とは異なる教科書を使用することになった。教科書無償措置法に基づいて3市町(八重山採択地区)は同一の教科書を採択しなくてはならないが、現状のままだと同法の違法状態が2年連続で続く。文科省と竹富町の主張を改めて検証した。
「文科省が答申に基づいて採択することを求める根拠はどこにあるのか」
8日の衆院予算委員会で、赤嶺政賢氏(共産)は下村博文文科相に詰め寄った。答申とは、2011年8月、3市町の代表で組織する八重山採択地区協議会が、育鵬社版を選定したことを指す。竹富町は、その答申に従う必要はないと主張しているのだ。
教科書無償措置法では、採択地区を構成する各市町村に対し「採択地区協議会の答申に従え」とは書いていないためだ。県教委も前教育長の時代には、竹富町を指導しない理由として、同様な論法を使っていた。
しかし教科書無償措置法では、教科書採択は、各市町村の「協議の結果」に基づいて行うよう求めている。どの教科書を選ぶか協議するために、各市町村が設けた機関が協議会であり、育鵬社版を選んだ答申が「協議の結果」であることは疑う余地がない。県教委も国の指導を受けたあと、従来の論法は持ち出さなくなっている。
下村文科相も「竹富町には、法にのっとり、協議の結果に基づいて教科書の採択を行ってもらえるよう指導してきた」と答弁した。
しかし赤嶺氏は「協議会の答申はあくまで答申。各教育委員会を拘束するものではない」と反論した。
「答申に拘束力はない」という言葉も、東京書籍版を独自に採択した竹富町を擁護する根拠として常に引用される。しかし「答申に拘束力はない」とは、協議会がAという教科書を選定する答申を出した場合でも、各市町村が合意すれば、Bという教科書を採択することは可能だ、という意味だ。
そうした合意が存在しない以上、答申こそが「協議の結果」であり、石垣市、与那国町だけでなく、竹富町も当然、拘束されることになる。これが、国が竹富町に育鵬社版を採択するよう指導している法的根拠だ。
赤嶺氏の批判はさらに続き「協議会のルールやメンバーが大幅に変更され、まともな議論もなく、調査員の報告書で最もマイナス点が多かった育鵬社版が無記名投票で選ばれた」と述べた。
これも、竹富町を擁護する人たちが協議会の答申に従わない理由として何度も持ち出してくるせりふだ。しかし、協議会の規約やメンバーの変更はすべて総会で承認されており、違法性はない。当時の会長だった石垣市の玉津博克教育長が独断で決定したわけでもなかった。
「調査員の報告書」うんぬんに関しては、教科書を選定するのは調査員でなく、協議会の委員であることを指摘すれば議論は事足りるだろう。
下村文科相は「3日付で竹富町に対し、違法状態の解消に向けた方策を明らかにするよう文書で指導した」と述べ、違法状態を解消する責任は町にあるという見解を鮮明にした。県教委にも町を指導するよう要求している。
ただ県教委は「町に動きがない以上は県も動けない」としており、町や県内マスコミの反発をにらみながら、かなり弱々しい指導に終始した。
教科書の調達を法的根拠のない「寄贈」に頼り続ける事態の異常性が、町民に十分に認識されているとも言い難い現状だ。 (仲新城誠)
☆
■新聞に平伏した仲井真県知事
今朝の沖縄タイムス一面トップはこれ。
4・28式典 知事不参加
副知事代理 県民の意見尊重
やはり予想通りだ。
常々新聞の顔色を窺い、それを行動指針にしていた県知事が沖縄2紙の前に平伏した、・・・ということだ。
「県民の意見尊重」などというが何時県民の意見を調査したというのだ。(怒)
新聞の見出しを県民の意見と見立てただけではないのか。
かつて「沖縄イニシアティブ論」で沖縄紙に真っ向から反旗を翻した高良倉吉副知事だが、数を頼んだサヨク学者の袋たたき遭い、新聞による村八分を経験した。 今回副知事抜擢され昔の意気を示してくれるのか、と期待したが、これは大きな誤算であった。
沖縄紙の顔色を窺う県知事の斥候の役目に成り下がってしまったようだ。 「明治期以来日本政府が沖縄に政策として差別を行った事実はない」と断言した昔の姿は今はない。
歴代政府が17年かけても実現できなかった普天間移設について、高良副知事は自己保身に汲々として「県外が現実的」と発言している。
沖縄に対する差別を根拠とする式典不参加を唯々諾々と認めているのを恥とは思わないのか。人間、地位や経済力が向上すると自己保身に走ると聞くが、かつての敵の靴を舐めるのも平気なのだろう。
高良倉吉県副知事よ、あなたを見損なった!
「嘘をつくのに耐えられない」と吐露し、新聞と反対意見を堂々と述べた西銘恒三郎氏のつめの垢でも飲んでほしい。
【追記】 13:57
仲井真県知事も「ワジワジー」と「ガティンナラン」を叫ぶし能がないくせに「沖縄独立」を目指す照屋寛徳氏に褒められるようではおしまいである。⇒仲井真知事「4・28政府式典」を欠席
沖縄タイムスや琉球新報が講和発行日前後の社説で「4・28」を祝賀の意を表しているが、60数年経過した現在は「差別」「屈辱」の文字で紙面を覆い尽くしている。
八重山教科書問題では沖縄2紙に追随し「発狂3紙」と揶揄された八重山毎日の講和発効当時の社説を志士が着在住の読者から提供していただいたので紹介する。
■以下引用
当時の「八重山毎日新聞」、創刊3年目の報道より。
1951年9月8日 対日平和条約・日米安全保障条約調印
→1952.4.28発効
当時の「八重山毎日新聞」報道、当日、翌日の紙面に直接閲覧に当たって
いませんが、平成12年8月15日発行、「八重山毎日新聞50年史」62P、
1953年(昭和28年)の1・5の「社説」が掲載されています。
ちなみに、1953年は「八重山毎日新聞」創刊3年であったようです。
・・・・・・・・・・【書き起こし引用】
八年ぶりに見た日の丸
「社説」街は八年ぶりに観る日の丸の波波波だった。中には白紙に食紅を
まあるく塗って、石垣にちょこんとさしてあったのを見たとき、この家の
人の心がしのばれ、目がしらの熱くなってくる思いがした。まぶたの底に
えがいていた母国の姿に、八年ぶりにめぐりあったようだとの声も元日の
話題であった。
・・・あわれ日の丸、やがて吾々琉球人の記憶からうすれかけるところ
だった。・・・
米国の限りなき国際愛と寛大な心によって、今年始めて母国のはたを立てる
ことが許される郡民と共に祝福し、乾盃を捧げようではないか。
・・・前途を思えば心もくもりがちであるが、一日も早く祖国へ帰る日を四万
住民と共に祈り続けよう。(53.1.5)
・・・・・・・・【引用終わり】
対日講和条約が1952.4.28に発効した翌年の正月5日の
「八重山毎日新聞」の社説。
当時の郡域住民の母国日本を思う心のシンボル、八年ぶりに観る「日の丸」の
波波波・・・。目がしらが熱くなる、まぶたの底にえがいていた母国の姿に
めぐりあったようだ・・・・
米国の限りなき国際愛と寛大な心によって、今年始めて母国のはたを立てる
ことが許される。郡民と共に祝福し、乾盃を捧げよう・・・
短文の社説ですが、「日の丸」に母国の姿を思い、喜びに満ちた内容であり、
「屈辱の日」などという表現はまったく述べられていないのです。
ところで、「八重山毎日新聞文化正賞」受賞者「大田静男」氏、月刊「やいま」
4月号「壷中天地」に「主権回復の日」?と題する歴史認識に無知な恥ずべき
書き物の文中、「過去の歴史を学ぶことは現在を理解するため」と述べています。
「大田」氏、この社説(歴史)を歪めて現在を理解してはならない、のです。
観光客、子供達も手にするであろう月刊誌「やいま」の「無知の恥」の恥さらし
の殴り書き。これまでの「八重山毎日新聞文化正賞」受賞者の名誉を汚し、郡域
住民の恥となりかねない劣悪な書き物です。
いい加減にしろ!、静かにしろ!、寺の鐘を聞いて念仏でも唱えてろ!(怒)
以上、ご参考まで
石垣島読者
■引用終了
60数年前の先輩記者より記者としての資質が著しく劣化した最近の同紙社説はこうだ。
2013年4月10日
「主権回復の日」式典に統一行動は取れないのか
■八重山も集会を計画
28日の「主権回復の日」式典の県内の対応が割れている。県議会野党と中立系が抗議の県民大会を呼び掛けたのに対し、自民県連と県市長会が不参加を決め、公明も難色を示したためだ。野党中立系5会派は超党派の大会を断念、単独で当日、沖縄大会を開催することを決めた。
県市長会が不参加を決めたのは、普天間県外移設やオスプレイ配備反対で統一行動をしてきた沖縄が、この問題で県議会与野党が一致を見ず、「沖縄が割れている印象を与えるのはよくない」として、県民大会以外の別の方法で県民統一行動を展開できないかを模索し提起するためという。ぜひ統一した行動で沖縄の意思を示したい。
八重山も市議会野党6人が式典開催の撤回を求め、3日までに臨時議会の招集を市長に要求した。遅くとも23日までに開かれる予定だが、抗議決議採択を退席した県議会同様、与党自民党の対応が不透明で決議のめどはついていない。
さらに市議会野党は抗議集会も計画しているが、県民大会同様、野党系単独の開催となりそうだ。ここは県市長会がどういう統一行動を提起するのかに注目したいが、どういう形であれ八重山も抗議の声を上げるべきだ。
■届かぬ「小指の痛み」
政府の「主権回復の日」式典は、県紙のアンケートで多くの県内各市町村長が「沖縄切り捨ての屈辱の日を祝うなんて許せない」と反発している。
確かに「基地負担軽減」で知事詣でを繰り返す一方で普天間の辺野古移設を強硬に推進、オスプレイも強行配備し、全く沖縄の訴えに耳を貸さない政府の対応にはやりきれない思いと不満がうっ積している。そういう中でのさらに沖縄県民の心情を無視しての主権回復式典は「到底許せない再度の沖縄切り捨て」というものだ。
八重山3市町長のうち川満栄長竹富町長と外間守吉与那国町長は式典開催に反対の意思を示したが、中山義隆石垣市長は「どちらでもない」と賛否を明確にしなかったのはどういうことだろうか。ここは「屈辱の日」としてこれからでも反対を明確にしてほしい。
政府が「主権回復の日」として祝う1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効以降、沖縄は日本から切り離され差別的扱いを受けていることについて、本土復帰運動を展開していた喜屋武真栄祖国復帰協議会長が1969年2月の衆院予算委員会の公聴会で、「沖縄同胞の心情を人ごとと思わず、小指の痛みは全身の痛みと感じ取ってください」と訴えた言葉は今に伝わる有名な言葉だ。
■危険な兆候
しかしこの言葉は、1972年5月15日27年間の米軍支配から解放され、本土に復帰して41年になる今なお本土の人々には伝わらず、逆にオスプレイ反対の東京行動では「売国奴」とののしられ、「屈辱」の日々は変わらず続いている。それをなぜ沖縄の人々が祝うことができるというだろうか。
そこにはこうした沖縄の苦難の歴史を知らない若い世代の政治家が、与野党ともに圧倒的多数になったということもある。そういう沖縄への無理解の弊害は今後さらに強くなるだろう。
そういう状況下で沖縄はもっとまとまるべきが、逆に県外移設を疑問視し辺野古移設に同調する動きが出るなど自民党の国会議員や県議に足並みの乱れが出てきた。危険な兆候だ。それだけに沖縄としてできるだけ統一してしっかり抗議の声を上げる必要がある。
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