■那覇市立中央図書館の言論封殺に、断乎抗議する! (抗議文例はこちらで)
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■崩れ去る「オール沖縄」
日米両政府が5日、嘉手納以南にあるアメリカ軍6施設の返還計画を発表した。 小学生が考えても沖縄の基地負担がこれで軽減されることは明らか。
だが日米政府がやることには何でも反対の沖縄タイムス。
今朝の朝刊でもあたかも「オール沖縄」で県民が反対しているかのような発狂記事で合計7面を埋め尽くしている。
目を覆うような発狂見出しを全て拾うのは疲れるので社会面の発狂見出しだけを拾うとこうだ。
辺野古前提に怒る
名護「絶対許さぬ」
市民集会 政府へ猛反発
嘉手納以北「掃きだめか」
「掃きだめ」という文言の意味を理解したうえで、この見出しを書いたかどうかの詮索は止めにする。 なぜなら発狂記者が書いた発狂記事なら、意味などどうでも良いことだから。
従来、稲嶺名護市長並んで反基地運動のシンボルに祭り上げられ新聞にもその発言が大きく取り扱われていた佐喜真宜野湾市長。
本日の沖縄タイムスでは10面と11面を大きく使った特集で、今回の返還表明に対し反対意見の首長を代表し稲嶺名護市長のコメントを掲載し、これに対抗するように評価する首長の代表として佐喜真市長のコメントを大きな見出しで掲載紙ているのが興味深い。
名護市長「非現実的だ」
辺野古前提を批判
「負担軽減 誰も思わぬ」
宜野湾市長「一定前進」
返還時期明記を評価
県内前提に「条件整備を」
これまで沖縄2紙の操り人形のような言動を繰り返してきた、佐喜真宜野湾市長が、ほとんどの首長が「反対」や「不満」を述べ新聞に媚を売っている中、「一定前進」と評価する発言をしたことは大いに評価に値する。
「県内前提に『条件整備を』」ということは、「条件は有るが辺野古容認」と言うことだ。
どうやら佐喜真氏も沖縄紙の憑依から解放され本音で政治を語る勇気が出てきたようだ。 この辺で「本物のバカ」呼ばわりしたことをお詫びして撤回したい。
西銘衆院議員の「嘘をつき続けることに耐えられない」という発言に続いて、佐喜真宜野湾市長が沖縄2紙媚びない発言をしたことの意義は大きい。彼らに続いて、本音で政治を語る誠実さのある政治家の登場を期待する、
だが肝心の仲井真県知事の発言は「県、地元要望集約へ」と有るだけで知事発言は見出しにはなっていない。 ということは「不都合な発言」をしたのかと考え、知事発言を探したら、こうだった。
「沖縄の過重な基地負担の軽減につながるものであり、実施にあたっては十分に地元の意向を踏まえるべきだ」
ん?
いくらカニハンリ発言の知事でも小学生でもわかる「負担軽減」はちゃんと評価しているではないか。
事実を隠蔽する沖縄紙の報道では「沖縄の真実」は理解できない。
そこで、本土マスコミを見ると、偏向した本土マスコミでも沖縄タイムスよりまだまともなのがよくわかる。
返還は基地負担軽減につながる〜仲井真知事(沖縄県)
■ 動画をみる
日米両政府が沖縄県の嘉手納基地(嘉手納町など)より南にある普天間基地(宜野湾市)などアメリカ軍6施設の返還計画を発表したことを受け、沖縄県の仲井真弘多知事は5日、「返還は沖縄の過重な基地負担の軽減につながるものであり、実施にあたっては、十分に地元の意向を踏まえるべき」とのコメントを発表した。 5日夜には、政府が先月行った名護市辺野古沖の埋め立て申請に対する抗議集会が開かれた。普天間基地については「2022年度またはその後」に返還するとされているが、名護市の稲嶺進市長は、「(返還は)県内移設が前提となっている」「県民は誰一人として負担軽減になると思っていない」と述べた。
[ 4/6 0:28 NEWS24]
☆
沖縄タイムスの発狂報道の印象では佐喜真宜野湾市長以外の「オール沖縄」が反発しているかのような印象を受けるが・・・。
石破氏、普天間返還「実現へ総力」=民主・維新は評価、共社反発 自民党の石破茂幹事長は5日、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)を含む施設・区域の返還計画で日米が合意したことを受け、国会内で記者団に「実現のために政府・与党の総力を結集する」と強調した。民主党と日本維新の会も一定の評価を示したが、共産、社民両党は反発した。石破氏は「具体的にスケジュールが明示されたのは大きな意味を持つ」と指摘。普天間の同県名護市辺野古への移設に根強い反発があることには「いかに県民の理解を得るか。逃げることなく正面から訴える」と語った。
公明党の山口那津男代表も「計画の実現こそ県民の期待を信頼に変えていく一歩になる」と記者団に述べ、自民党と歩調を合わせた。
民主党は「返還時期日を明らかにすることは民主党政権が強く求めていた。一歩前進と評価できる」との談話を発表。ただ、合意文書の中で返還の年限に「またはその後」と先延ばしの余地が残されたことを取り上げ、「早期返還を担保したものとは言えない」と懸念も示した。
維新の橋下徹共同代表はBSフジの番組で「一歩進んだことは評価しなければならない。県外移設ができればいいが、辺野古移設しかない」と述べ、普天間の県内移設を含め、日米合意を容認する姿勢を示した。
これに対し、共産党の市田忠義書記局長は「新しい大型の基地を造るという合意だ。一層、県民の怒りに火を付ける」と反発。社民党の福島瑞穂党首はコメントで「移設を名目に新基地を建設する計画は、負担軽減ではなく新たな負担の押し付けだ」と強く批判した。(2013/04/05-22:06
☆
結局、沖縄タイムスが「オール沖縄」「県民の総意」などと喧伝するのは共産党や社民党等の反日サヨク複合体による「オール沖縄」であることがよく理解できるのが上記時事通信の報道である。
反日サヨク複合体の「総意」を「県民の総意」と歪曲報道する沖縄2紙は、「4・28屈辱の日県民大会」の開催に必死の様相だった。
琉球新報などは、自民党県連の分裂に、もはや恫喝では効果なしと見たのか、このような「煽てあげ」作戦に及んだのだが。
琉球新報が自民会派宛に、涙で書いたラブレターならぬ社説がこれ。
琉球新報社説 2013年4月4日
4月28日の対日講和条約発効の日を「主権回復の日」として祝う政府主催の記念式典に抗議する県民大会の開催に向け、県議会各会派による調整が続いている。
3日に開かれた準備会合に公明県民会議は出席したが、自民は欠席した。何らかの形で大会を開くことで一致し、自民も含めた超党派の大会を目指し、努力を続けることを確認したという。
県民の思いをしっかり示せるような大会を、ぜひ実現すべきだ。各会派は英知と使命感を持って大同団結してほしい。特に自民県連には、民意を確実に受け止め、参加に向けて前向きな論議を急ぐよう求めたい。
先月の県議会の抗議決議の際にも、自民は退場して決議に加わらなかった。自民は、4・28の記念式典開催が昨年の衆院選で自民党全体の選挙公約だったことなどを理由に挙げている。
しかし、これは県民には分かりにくい理由だ。そのことを支持して自民候補に投票した県民が、どれだけいたと言うのだろうか。
衆院選で自民候補が支持を得たのは、公約破りの民主党への失望もさることながら、自民県連が民意を体する形で変化し、米軍普天間飛行場の県外移設を県民に約束したからにほかならない。
そして、4・28記念式典と普天間問題は関係ない、とは断じて言えない。講和条約発効とともに沖縄は日本から切り離されて、過重な基地負担を強いられてきた。その延長線上に普天間問題もあり、曲折を経ながらも「県外移設」で一丸となった県民世論もある。
4・28に事実上の「主権回復」祝賀式典を開催することは沖縄の歴史と現状が許さない。それが県民の思いだ。その民意から離脱して、自民県連は自らの存在意義をどう位置付けようと言うのか。
記念式典の次は普天間問題と、政府は沖縄世論の切り崩しを図ることだろう。後ろ向きな姿勢は政府の動きに手を貸すだけである。
民主政権下で野党も経験し、民意から見放されることがいかに致命的かを自民は学んだはずである。政権復帰で気が緩み、もう民意を軽んじても構わないと思っているのなら、重大なしっぺ返しも覚悟すべきだ。
党中央との“ねじれ”による重圧は民主党以上に厳しいだろう。苦労は分かるが、民意に背を向けるべきではない。今こそ、自民県連の度量と気概を見たい。
☆
涙なしには読むことの出来ない琉球新報の血を吐くような呼びかけだ。
だが、「オール沖縄」の堤防に入った亀裂はいまや決壊が寸前である。
いくら猫なで声で煽てても、一旦亀裂の入ったダムの決壊を止めることは困難だ。
「オール沖縄」東京行動では翁長那覇市長と共同でリーダーを務めた県議会が、自民党会派の反対で「オール沖縄」が空中分解し手しまった。(爆)
県議会が分解したのに、いくら翁長那覇市長が豪腕を発揮しても無駄なこと。
市長会もドミノ現象で空中分解した。
沖縄タイムスが涙目で書いた記事がこれ。
政治 2013年4月5日 09時46分
県議会の野党・中立会派が、4・28政府式典に抗議する県民大会を同日に開催するよう呼び掛けていることを受け、自民会派の照屋守之会派長は4日、野党側に大会参加は困難との認識を伝えた。県民大会の呼び掛け人で、野党・中立代表者会議の座長を務める仲宗根悟氏(社民・護憲)と県議会内で会談し、意思表示した。
照屋氏、野党に伝達
公明県民無所属の所属議員からも「伝家の宝刀である県民大会を軽々に開くべきではない」との意見があり、与野党が一致した超党派の開催は困難な情勢だ。
照屋氏は取材に対し「政府は自民県連の要請を受け、県民の苦難の歴史への配慮と基地負担軽減に努める意味を式典に込めると説明している」とした上で「オスプレイの配備撤回を含め、県民大会は問題解決の手法だと認識している。しかし、今回の大会は政府式典と同時刻の開催であり、県民大会としてはなじまないのではないか」と述べた。
自民を除く他会派は5日、大会のあり方を話し合う準備会を県議会で開く。呼び掛け人の仲宗根氏は「自民の考えを準備会で各会派に伝え、今後の対応を話し合いたい」と述べた。
市長会の参加 困難視
那覇市長 「まとまり難しい」
県市長会会長の翁長雄志那覇市長は4日、政府が「主権回復の日」として4月28日に式典を開くことに対し、県議会の野党・中立会派が開催を主張する県民大会について、市長会として組織参加を困難視する見方を示した。一方で、翁長市長は同日開かれた市長会臨時総会で、28日当日に何らかの意思表示をする必要性を確認し合った。
翁長市長は「28日は沖縄にとって残念、無念な日であり黙って見過ごすことはできない。いま一度、28日の意義を考える日にし、県民の意思統一を図りたい」と述べた。県民大会への組織参加に難色を示した理由として「今のように県議会が分裂している状態では、式典への抗議、撤回で県民がまとまることは難しく、県民大会にも行ける状況ではない」と説明した。
また、那覇市独自で統一色のリボンや旗などを作り、28日にリボンを付けたり、街中に旗を置いたりすることで、アピールする考えがあることを述べた。
☆
■「4・28主権回復の日」は「屈辱の日」か
果たして沖縄は「切り捨て」られたのか
政府が四月二十八日を「主権回復の日」とし、式典を開催することとなったことは遅きに失したとはいえ、大いに評価したい。
たしかにこの日は「主権回復の日」であると同時に、奄美、小笠原、沖縄が復帰から取り残された日でもあり、その事実を抜きにした「主権回復」の意義確認はあり得ない。当然のことながら、式典ではこの事実もまた痛みの思いをもって確認されるべきだろう。
とはいえ、その一方、この「主権回復」を「沖縄を切りすて、その犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日でもある」とか、「沖縄などを『質草』にしての主権回復だった」とか(いずれも朝日記事)、一方的に決めつけるのは、果たして公平な議論だろうか。歪曲が過ぎるとともに、質の悪い「ためにする議論」といわざるを得ない。
まず「沖縄を切りすて」というが、一体その主体は誰なのだろうか。当然、政府といいたいのだろうが、実は意外なことに、当時政府はむしろ沖縄の「潜在主権」を日本に残すことに全力を傾けていたのである。それを示すのがこの講和条約を締結した際、吉田茂首相が講和会議で行った以下のような受諾演説の一節だ。首相はその演説冒頭、「敢えて数点につき全権各位の注意を喚起せざるを得ないのはわが国民に対する私の責務と存ずるからであります」とし、次のように述べている。
「第一、領土の処分の問題であります。奄美大島・琉球諸島・小笠原群島……の(潜在的な)主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及びイギリス全権の前言を、わたくしは国民の名において多大な喜びをもって諒承するのであります。わたくしは世界、特にアジアの平和と安定が速やかに確立され、これらの諸島が一日も早く日本の行政のもとに戻ることを期待するものであります」
今日の時代感覚では戸惑う方もおられようが、吉田首相はこれらの島々の返還どころか、むしろこれらの島々に、日本の主権が残ったことを「多大な喜び」としているということだ。それをすら強く拒否する勢力が当時米英には存在したからだ。それゆえ首相はこの講和条約を高く評価し、その上でこれらの島々が「一日も早く日本の行政のもとに戻ることを期待するものであります」と、これらの島々の施政権返還を更に国際社会に求めているのである。これをどう評価するかは自由だが、これが当時の日本が置かれた国際環境の率直な現実だったのである。
吉田首相はそれとともに、千島南部の択捉・国後、北海道の一部たる色丹島及び歯舞諸島が、過去一度たりともソ連領となったことがない事実を指摘し、今日いう北方四島の領土権主張につながる注意喚起もしている。また、未だに本国に帰還できていない未引揚者の早期帰還、日本の国連加盟等々も訴えている。これを読むだけでも、当時の敗戦日本の厳しい状況が想起され、「主権回復」の意義が再認識されるともいえる。
これは最近知ったことだが、それゆえ沖縄でも、当時の県民の思いは、今日のようには型にはまった反対ではなかったという。
「…平和会議もここに和解と信頼の精神を基調として歴史上類例を見ない寛大な条約が締結された。…我等の祖国日本が完全に独立性を回復して新しい国家理念、平和的文化国家として新発足せんとして居ります。我々は祖国のために満腔の祝意を表したいと思いますが、一面我々の淋しさは如何ともし難いのであります」(後の初代知事・屋良朝苗氏の言葉)
「淋しさ」はむろん痛切だが、同時に独立を回復して新たに出発しようとしている祖国への「満腔の祝意」もまた語られているということだ。ただ「屈辱の日」とだけいうのとは微妙に異なる、沖縄県民の心がここにはあろう。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)
〈『明日への選択』平成25年4月号〉
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>吉田首相はこれらの島々の返還どころか、むしろこれらの島々に、日本の主権が残ったことを「多大な喜び」としているということだ
吉田首相が拘った沖縄の「潜在主権」については、その裏で昭和天皇が発した「天皇メッセージ」の影響力が大きかったことは過去ブログで詳述してあるので参照されたし。
【おまけ】
沖縄2紙は1951年9月8日に調印、翌1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約を県民が「屈辱の日」と捉えていると喧伝するが、条約発効当時の沖縄2紙も同じように「屈辱」だと報道していたのか。
当時の両紙のコピーを取寄せ検証してみた。
驚いたことに紙面のほとんどは「祖国日本が独立し、世界の仲間入りした」という事実を祝す記事はあるが、これを「屈辱」と表現した記事は一行もない。
一例を挙げると、条約調印の翌日の琉球新報(1951年9月10日)は次のような大見出しで新生日本の門出を祝福しているではないか。
対日講和
慶びの新生日本の門出
瞼にしみる日の丸の旗
いやはや到底同じ新聞が書いた記事とは思えない。
思わず我が目を疑ってしまう大見出しだ。
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