速報!本日那覇市内で実施された「天皇陛下奉迎提灯パレード」、目標5,000名の所、軽く突破、7,000名に達しました。詳細は後程、日本会議の方から発表あると思います。楽しみにしておいて下さい。
【連載】「パンドラの箱」連載 掲載拒否訴訟の行方 中
「隊長の汚名を晴らしたい」
原告の上原氏、地元紙に挑む
原告の上原正稔氏は、米国立公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムを
市民カンパですべて買い取る「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」を創始した
市民運動家でもある。「戦争は人間が試される究極の舞台。狂気の沙汰の醜いはずの
状況の中に人間としての最も美しい話が山ほどある」と言う。
上原氏は、1985年に沖縄タイムス連載の「沖縄戦日誌」でドキュメンタリー作
家としてデビューした。
中でも、米陸軍司令部の「G2報告書」は、沖縄戦が始まった1945年3月から
10月8日まで毎日、沖縄のどこで何が起きたのか詳しく書かれている。まさに沖縄
戦に関しての第一級資料だ。
96年には米兵の手記をもとに「沖縄戦ショウダウン」を連載。沖縄戦ドキュメン
タリー作家として確固たる地位を築いた。
取材する中で上原氏が確信したことは、「集団自決による死者も『軍命』という名
の下で『戦闘協力者』と見なされ、遺族には援護金が支給されている。だから、受給
者は『軍命』がなかったという真実を知っていながら事実を言えない」ということ
だ。沖縄タイムス社編の「鉄の暴風」や大田昌秀元知事らが沖縄戦の嘘を広めた元凶
であると断罪する。
「(慶良間列島渡嘉敷島の元陸軍海上挺進第三戦隊長の)故赤松嘉次さんと(座間
味島の元特攻隊隊長の)梅澤裕さんを『集団自決を命令した極悪人』と書いた沖縄の
マスコミの罪は重い。私は2人の汚名を晴らすために裁判をすることを決意した」
これが一人の作家が琉球新報という大きな組織を相手に一見、無謀とも思える訴訟
を起こした動機である。「沖縄のマスコミを相手に裁判するのは多分、ぼくが初めて
だ」と上原氏。代理人の徳永弁護士は上原氏のハングリー精神にほれ込み、半ば手弁
当で応援することを決意した。
連載は07年6月15日から4カ月の中断後、10月16日に再開。はじめに予告
されていた第2話「慶良間で何が起きたか」ではなく、「軍政府チームは何をしたか
―第6海兵師団と共に」にすりかえられた。文中には、「物語の順序も中身もちょっ
と変更することにしたのでこれもご了解お願いしたい」と書かれていた。
翌年8月12日、第180回の第13話「最終章そして人生は続く」をもって連載
は幕を閉じた。ところが、上原氏が用意していた最終稿の第181回目は掲載拒否と
なった。
最終稿では、赤松氏と梅澤氏は自決を命じていないどころか、当時の行政当局が援
護法適用外の非戦闘員である住民が援護金をもらえるようにするために嘘(うそ)の
報告を出し、両氏がスケープゴートになったとの趣旨が掲載される予定だった。
第180回には上原氏が訴えたいことが汲み取れる文章がある。
「新聞の報道を鵜呑(うの)みにするのではなく、その裏に何があるのか、読者は
気をつける必要がある」。