よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
琉球新報批判の連投である。
昨日朝のエントリーで、愚かな親のことを書くと予告した。
女子高生である自分の娘が、新聞投稿で米国留学をひけらかして「敵」を批判しているときは黙認しておいて、状況が不利になると一変、公開質問などとマスコミを扇動する愚かな父親のことである。
この父親が主張する「プライバシーの公開」で娘が傷ついたとしたら公開質問などとマスコミで騒ぎ出した父親の行動こそ娘の傷ついた心に土足で踏み込む行動ではないのか。
ところが、マスコミが横並びで「田中失言」を批判している中で、田原総一郎氏による琉球新報批判を見つけたので、「愚かな父親」については次に譲るとして、昨日は田原氏の琉球新報批判を紹介した。
ついでにググッていたら佐藤優氏の興味深いコラムを見つけたので、再度の予定変更で佐藤優氏の「田中失言」論を紹介する。
その前に確認しておきたいことは、当日記は琉球新報の第一報の翌日から終始一貫、琉球新報の報道をを暴走だとして批判してきたことである。
八重山教科書問題が完全決着するまでは、教科書問題を書き続ける予定でいるが、「田中失言」については僅かな期間に、5件もエントリーしているのには我ながら驚かされた。
それがこれ。
琉球新報の狂行!時事通信の良識、オフレコ取材、記者には道義的責任 自殺未遂!名護市辺野古区長が、琉球新報の実名糾弾で 琉球新報の人権感覚、 万犬虚に吠えた集団リンチ ドライに語ろう沖縄問題 田原総一郎の琉球新報批判!
佐藤優といえば、沖縄紙で発言するときは地元に迎合する左翼発言をし、沖縄の講演会などでは聴衆はほとんどが左翼で、「佐藤優講演会=左翼集会」の様相を呈するが、東京に戻ると「右翼」に戻るというカメレオン的論説で知られている。
琉球独立を扇動しながら、自分は賛成ではないと平気で述べる佐藤氏のことを、極左作家の目取真俊氏は「狢のような男」と批判しているのは、いつもピント外れのヒガミ論評で知られる目取真氏にしては至言といえるだろう。
佐藤優氏は琉球新報にも毎週土曜日掲載の「コラム」を連載しているくらいだから、沖縄紙に迎合する論調は読まなくとも推して知るべしである。
佐藤氏は、今回の「田中失言」に関する沖縄2紙の「識者の見解」でも、琉球新報の「英断」を評価し、「田中失言」をお決まりの「沖縄差別発言」云々で断罪し、「万犬虚に吠える」を地でいく有様であった。
沖縄タイムスと琉球新報の地元2紙に掲載された佐藤氏の「迎合評論」は引用してあるが、それは後のお楽しみにして、取りあえず次のコラムを読んでいただきたい。
【佐藤優の眼光紙背】田中聡前沖縄防衛局長は報道被害者なのだろうか?
佐藤優の眼光紙背:第123回
筆者は外務官僚の頃、オフレコ懇談を何度も行ったことがある。オフレコ懇談は、一杯引っかけて行う放談会ではない。報道されないという前提で、外交交渉や情勢分析に関する踏み込んだ情報を提供し、政府の政策を円滑に進める環境を整備するための公務だ。マスメディアの仕事は、国民の知る権利に奉仕することだ。オフレコを破り報道することで毀損される情報源並びに情報源が所属する組織との関係悪化と報道する価値を比較考量し、後者の方が圧倒的に重ければ、報道することがマスメディアの職業的良心である。それだから、官僚にとってオフレコは真剣勝負の場だ。万一、記者がオフレコを破って報道することになった場合、どのようなことになるかを常に頭の片隅に置きながらオフレコ懇談を行う。オフレコ懇談でもさまざまな形態がある。現在、問題になっている11月28日夜、那覇で田中聡前沖縄防衛局長が行ったオフレコ懇談は、約10社が参加する定期的に行われているものだ。この種の懇談は、冒頭で官僚が「完オフ(完全オフレコ)です」と宣言したとしても、参加した記者がメモを作成し、会社に報告する。業界常識では縛りの緩いオフレコ懇談だ。この種のオフレコ懇談メモが政治家や週刊誌記者に流出することもよくある。内容が非公式に政治家に伝わることを織り込んで、官僚はオフレコ懇談を行うというのが業界常識だ。オフレコ懇談は、官僚によるマスメディアに対するサービスではない。政府の政策を円滑に進めるために行う業務の一環としてオフレコ懇談は行われるのだ。繰り返すが、オフレコ懇談は「何でも話していい」という仲間内の私的な飲み会ではなく、官僚にとっても記者にとっても仕事の場だ。この緊張感が欠けている官僚にオフレコ懇談を行う資格はない。
さて、11月28日夜、那覇で行われたオフレコ懇談の席上、田中聡沖縄防衛局長(当時)が米海兵隊普天間飛行場移設先の環境影響評価書の提出時期を明らかにしないことに関し、「これから犯す前に、犯しますよと言いますか」という発言をしたことを、翌29日の琉球新報が報じたため、大問題になった。同日、田中氏は東京の防衛省に呼び寄せられ、事情聴取を受けた。その結果を踏まえ、一川保夫防衛相は、田中氏を沖縄防衛局長から更迭し、防衛大臣官房付にした。防衛省はこの日、田中氏から聴取した結果について発表した。
この防衛省が発表した内容が事実だとするならば、田中氏は報道被害を受けていることになる。なぜなら、田中氏は、「『犯す』というような言葉を使った記憶はない」と明確に述べているからだ。田中氏は、国家公務員試験に合格して防衛官僚になった。この試験は記憶力がよくなければ合格しない。筆者も元官僚だった。前日の懇談の内容を覚えていないほど記憶力の弱い官僚がいるとは思えない。田中氏は「犯す」という言葉は使っていないと弁解しているのだ。
ここで田中氏が「犯す」という言葉を使っていないということが事実とする。それならば、11月29日付琉球新報が<沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式の懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出について、一川保夫防衛相が「年内に提出できる準備をしている」との表現にとどめ、年内提出実施の明言を避けていることはなぜか、と問われたことに対し「これから犯しますよと言いますか」と述べ、年内提出の方針はあるものの、沖縄側の感情に配慮しているとの考えを示した。>と報じたのは、深刻な誤報である。使ってもいない「犯す」という言葉を言ったというねつ造記事で、田中氏の人権が傷つけられたことになる。田中氏と防衛省は、琉球新報に対して、「『犯す』という言葉は使っていない。報道は誤りなので、撤回、謝罪と再発防止措置を要求する」と厳しく申し入れるべきだ。もっともこの懇談に記者が同席した読売新聞、日本経済新聞、時事通信も田中氏が「犯す」という言葉を言ったと報じている。このことをどう考えればよいのだろうか。
仮に、田中氏が「犯す」という言葉を用いたにもかかわらず、「『犯す』というような言葉を使った記憶はない」という虚偽の報告をし、それを防衛省が首相官邸に報告し、国民に発表したとするならば、これはこれまでと位相を異にする深刻なスキャンダルだ。
田中氏の「ここで言った『やる』とは評価書を提出することを言ったつもりであり」、「女性を冒とくする考えは全く持ち合わせていない」という認識が真実であると防衛省が認定したならば、田中氏を懲戒処分してはならない。間違えた受け止めをするマスメディアの方が悪いので、田中氏は報道被害者になるからだ。
12月9日に参議院で野党は一川防衛相に対する問責決議を提出するという。ただし、その前にやらなくてはならないことがある。いったい田中氏が11月28日に公務として行ったオフレコ懇談の席で、どのような発言を行ったかという事実関係の確定だ。防衛省の聴取結果に記された内容が真実なのか。真実とすれば田中氏は報道被害者ということになるが、その点について防衛省がどう考えるかを明らかにするべきだ。いずれにせよ、首相官邸、一川防衛相らには、政治主導で真相を究明に、国民に発表する義務がある。責任追及は、事実関係が解明された後で行うのが筋だ。(2011年12月6日脱稿)
☆
佐藤優氏の発言を沖縄紙で既に読んだ読者なら、執筆者が違うのではないかと思うほどの違和感を感じるだろう。
筆者はこれまで、何度もこの佐藤氏の沖縄評論のいい加減さを批判してきた。
だが、一週間も経たない内にここまで真逆のことを平気で書く恥知らずとは知らなかった。
人間誰しも間違いはある。
ただ間違いを正すときは、間違っていた前の自論について触れそれを正してから、自論を展開するのが恥を知る人間の行うことだ。
佐藤氏は一週間前に沖縄2紙に発表した自論とは全く逆のことをネットでは発表しているのだ。
沖縄県民はネット情報を読まないとでも思っているのだろうか。
こんなに沖縄2紙の読者を愚弄した話しはない。
で、 お待ちかね沖縄タイムスと琉球新報に掲載された佐藤優氏の「カメレオン論議」を紹介しよう。
■沖縄タイムス
「沖縄通」という病理 佐藤優・元外務省主任分析官
11月29日に更迭された田中聡沖縄防衛局長の暴言の根は深い。この背景を究明するためには、更迭の原因となった「犯す前に犯しますと言いますか」という発言以外に同月28日夜の懇談会で田中氏が述べた事柄にも目を向けなくてはならない。
1995年の米兵暴行事件で当時のリチャード・マッキー米太平洋軍司令官の「犯行に使用した車を借りる金があれば女を買えた」との発言について、田中氏は「その通りだと思う」と答えた。また田中氏は、「(400年前に)薩摩に侵攻されたときは(琉球に)軍隊がいなかったから攻められた。基地のない平和な島はあり得ない」との認識を示した。
これらの暴言を田中氏の個人的資質に還元してはならない。防衛省という組織に沖縄に対する差別意識が構造として染みついていると見るべきだ。
田中氏は若いころに防衛施設局職員として沖縄で働いたことがある。沖縄における米軍の性犯罪についても熟知している。それなのに「犯す」という言葉をどうして用いたのだろうか。それは田中氏が被害者側になることは絶対ないという認識を無意識のうちに持っているからだ。
また琉球・沖縄史に関しても、田中氏は一定の知識を持っている。しかし、その知識は沖縄に対する理解にはつながらず、沖縄の米軍基地過重負担の正当化にその知識を用いる。
戦前、戦中の日本軍に「支那通」と呼ばれる人々がいた。中国語を巧みに操り、中国の歴史や政治情勢に関する知識もある。この人々は中国を植民地支配の対象とみなし傀儡政権樹立やアヘン販売などの謀略活動に従事した。「支那通」は日本軍の利益に反する中国人を躊躇なく暗殺した。
田中氏の沖縄に対する視座は旧陸軍の「支那通」に通じる。県民を同朋と考えるならば、オフレコ懇談でこのような暴言を吐くことはできないはずだ。田中氏のように沖縄を支配の対象と見なす「沖縄通」という病理を抱えた防衛官僚が何人いても、東京の中央政府と沖縄の関係は改善しない。
「沖縄通」の論理は、防衛事務次官を務めた守屋武昌氏の回想録『「普天間」交渉秘録』(新潮社)に端的に示されている。守屋氏は、「協力するから国も譲ってほしいというのは、沖縄の常套の戦法です。これまで何度政府はこれに引っ張られてきたか。国の担当者は2年ごとに代わるので沖縄のこの手法に気がつかないのです。妥協すればこれで終わらなくなる。次から次へと後退を余儀なくされます」と主張する。沖縄に妥協せず辺野古移設を強行すべきとの信念を守屋氏は持っていた。
「沖縄通」の守屋氏は収賄罪で2年6カ月の懲役が確定し社会から隔離されているが、構造的差別のイデオロギーである守屋主義は田中氏をはじめとする防衛省の「沖縄通」に継承されている。
田中暴言事件を契機に防衛省が取り組まなくてはならないのは、組織に染みついた沖縄に対する差別意識を脱構築することだ。
(沖縄タイムス12/1、「連鎖する差別・田中発言の裏側 -1-」より)
■琉球新報
琉球新報 2011年11月30日
構造的差別の表れ/佐藤優氏
とんでもない発言だ。偶発的ではなく、県民への構造的差別の氷山の一角にすぎない。オフレコであるからこそより問題で、これは本音だ。田中聡沖縄防衛局長の暴言には力で(県民を)押さえ付けるという防衛省の構造的差別が表れている。守屋武昌元防衛事務次官による構造的差別のイデオロギーは省内に残り、その発想で沖縄と対峙(たいじ)するから何もうまくいかない。
防衛官僚に沖縄の歴史を学ばせるなど再発防止策を取るべきだ。基地の過重負担について県民の視点から勉強させなければならない。官邸の対応が早いのは官邸内に沖縄のことを本気で考えている人もいるということで評価していい。
防衛省が年内に環境影響評価書を県に提出するのは無理だ。沖縄と東京の官僚、国会議員の間に不信がある。アセス以前の問題だ。辺野古移設という実現不能で、不毛で、非常に差別的な計画にどう歯止めをかけるのかが課題だ。
今回の発言はオフレコの場だったとしても公共性、公益性があるという判断で報道された。オフレコという約束事と国民、県民の知る権利をてんびんに掛け、知る権利を重視した結果の報道だ。(作家・元外務省主任分析官)
☆
読み比べて、到底同じ人物が一週間も間を置かずに書いた文章だとは信じられないだろう。
佐藤氏の正体はカメレオンか狢かはさておいて、田原総一郎氏、佐藤優氏という新旧の「マスコミ迎合評論家」が沖縄という腫れ物の代表的新聞を真っ向から批判したことが筆者の興味を引くのである。
琉球新報は係争中の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の例でも明白の通り、たとえ自社紙に連載中の記事でも、自社の意見と異なっら場合は臆面もなく掲載拒否をして言論封殺をする恥知らずな新聞である。
佐藤優氏も琉球新報に連載記事を書いているが、上原正稔さんと同じように連載記事を掲載拒否されるのだろうか。
いやいや、佐藤優氏ほどの知名度のある人物を言論封殺したら全国に知れ渡り、物笑いになるのは必定なので、琉球新報がそんな愚かなことをするはずはない。
お得意の黙殺でやり過ごすだろう。
それに佐藤優氏は「言論封殺魔」の異名を持つ人物なので、「言論封殺魔」が言論封殺されたらシャレにもならないだろう。
佐藤氏の琉球新報批判に加えて、さらに興味深いのは沖縄に関しては常に沖縄2紙を暖かく支援してきたあの朝日新聞の谷津憲郎・那覇総局長が、12月3日朝日新聞朝刊に掲載したコラムである。
まずこのコラムを引用しておく。
〈 朝日新聞朝刊〈記者有論〉防衛局長発言 問題なのは言葉だけか
■谷津憲郎(那覇総局長)
あの夜、1時間ほど遅れて居酒屋につくと、目当ての人は奥のテーブルでにぎやかにグラスを交わしていた。田中聡・沖縄防衛局長(当時)と、それを囲む報道各社。男ばかりが約10人。3千円の会費を払い、私は隣のテーブルで報道室長と話し始めた。
犯す前にこれから犯すと言いますか---。沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場の移設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出について、田中局長がそういう発言をしたのは、この店でのことだった。「率直な意見交換を」と局長の発案で開かれた懇談会。「評価書の提出は12月のいつごろ?」「越年する可能性は?」。公式の会見ではおざなりな答えしか返ってこない。質問を重ねる中だった。
なんとも間抜けだが、私は例の発言を聞いていない。では、もし聞いていたら記事にしたか。参加したのが自分ではなく同僚で、そう報告を受けたら「書け」と指示したか。いまこう書くのは大変気が重いが、たぶん記事にしなかったのではないかと告白せざるを得ない。酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがあるからだ。
1995年の少女暴行事件に限らず、沖縄では戦後、米軍による性暴力の被害を数々受けてきた。発言が不適切だという指摘は、その通りだ。だが、根っこにある問題も見過ごしてはいけないと思う。
国は辺野古で、まさに発言通りの行為をやろうとしてきた。県内移設を拒む沖縄県民の意思に反し、「理解を得て」と言いながら是非を許さず、金を出すからとなだめ、最後は力ずくで計画を進める。下劣な例えだが、もっと下劣なのは現実の方だ。
私にとって不快なのは、発言した田中局長よりも、発言の後でも評価書の年内提出を言いのける野田政権の方だ。「事実だったら言語道断」「心よりおわび申し上げる」とトップが言いながら、1日の審議官級協議で米国に約束履行を表明する外務・防衛省の方だ。私に言わせれば、彼らは酔ってもいないのに「それでも犯し続ける」と言っているのに等しい。
騒ぎの末に政府が謝ったのは、自分たちの行為ではなく、言葉の使い方だけだ。本質は変わっていない。本当に沖縄を愚弄(ぐろう)しているのは誰か。本土に目を向けてほしいのは、むしろそちらの方だ。 〉(12月3日、朝日新聞デジタル)
朝日新聞那覇支局長の谷津氏は、批判する相手は田中氏ではなく野田政権だとかクドクド弁解しているが、自分だったら「記事にしなかった」と、暗に琉球新報の暴走を批判した形になっている。
何時もは佐野眞一氏の言う地元2紙に迎合した「大文字言葉」でしか記事を書かないあの朝日の那覇支局長が、本音では琉球新報を批判していることに大きな意味がある。
マスコミも政府も「腫れ物・沖縄」に関しては一切本音が言えない状況になっているのに・・・。
マスコミ各紙は、内心では琉球新報の暴走を批判しながらも、紙面では「沖縄差別」などの「沖縄の声」を報じて田中前防衛局長を糾弾せざるを得ないのではないか。
哀れなのは「沖縄」「政府」「マスコミ」の犠牲になっった田中前防衛局長である。
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします