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■八重山毎日新聞 12月4日
「歴史教科書変えたかった」
対談記事で玉津教育長
来年4月から使用される中学校教科書の選定で教科用図書八重山
採択地区協議会長の玉津博克教育長は、これまでの歴史教科書を変
えたいとの思いがあったことが3日までに分かった。
月刊誌「MOKU」11月号に掲載されている明星大学教授の高橋史
郎氏との対談で玉津教育長は「今回の採択で、歴史教科書も変えよ
うという気持ちはあったのですが、やはりまだまだ同調圧力が強
い」と発言している。
その上で「私も委員の皆さんの気持ちをコントロールしようとは
思いませんでしたし、歴史には県民の複雑な感情が残っていますか
ら、時間をかけて、歴史の学び方から問い直していきたい」として
いる。
これまで使用されてきた歴史教科書は「帝国書院版」で今回も同
社版が選定された。投票結果は帝国4票、育鵬社3票、東京書籍1
票だった。
対談は9月13日に収録された。
☆
八重山毎日は「歴史教科書変えたかった」との玉津教育長の発言を見出しに使って、「独裁的手法の玉津」という印象操作を狙ったようだが、実際の玉津氏はその逆であった。
意図しない教科書でも法令に従って民主的に選定された教科書なら受け入れる遵法精神の持ち主だった。
つまり玉津氏は育鵬社版に投票したにも関わらず、帝国書院版の歴史教科書を採択しており、印象操作とは逆の極めて遵法精神をに富んだ人物であることがわかるのは皮肉である。
今回の八重山教科書問題は、育鵬社版教科書が八重山採択地区協会で選定されたことに端を発する。
ここで注目して欲しいのは、騒動の原因は「公民」教科書であり、育鵬社版に反対する勢力により「歴史を歪曲する教科書」などと批判されている「歴史」教科書ではないという点である。
教科書問題で左翼勢力が攻撃の対象にするのは「歴史」教科書であり、今回も選定前から「集団自決」の記述をめぐって崎原与那国町教育長と反対派委員とはバトルを繰り返していたが、「8・23八重山採択地区協会」の投票結果は、「歴史」教科書は帝国書院4票、育鵬社3票、東京書籍1で帝国書院が選定された。
この結果に不本意ではあったが石垣市教育委と与那国町教育委はそれぞれ帝国書院版の歴史教科書を採択している。
つまり遵法精神のある石垣市と与那国町の両教育委は、必ずしも賛成ではない教科書ではあるが法令による取り決め通り帝国書院版の歴史教科書を採択しているのである。
それに比べて竹富町教委の民主主義を否定するようなルール破りの態度は一体どう説明すれば済むのだ。
知能の低いガキが甘やかされて、手がつけられなくなったようなの吾がまま放題の態度ではないか。
「沖縄のヒトラー」と命名されても当然だ。
勿論竹富町教委をこれほどまでつけ上がらせたのは県教委が違法なお墨付きを与え甘やかせたせいだ。
その県教委を、沖縄に迎合して腫れ物に触るように甘やかせて来たのは無為無策の文科省ではなかったのか。
他の地域では容易に解決できる問題でも沖縄で起きたとなるとこじれてくるのは、すべてが「沖縄問題」に変換されてしまうからだ。
八重山教科書問題も結果的には沖縄問題に変換されて、教育行政の法律問題から「沖縄の心」などを持ち出す情緒的感情論に摩り替えられ問題を複雑化させている。
今回の「防衛局長不適切発言」も本来ならオフレコ発言を一面トップで報じるべきかどうかというジャーナリズム論が、一転「沖縄県民を侮辱し差別した」として沖縄問題に変換されてしまっている。
民主党政権がことさら沖縄を腫れ物扱いする理由は、15年にも及ぶ日米の努力の結果合意を見た「普天間移設」を、鳩山元首相が「最低でも県外」と実行不可能な発言をしたことによる。
従って民主党政権が続く限り、沖縄に過剰反応し腫れ物扱いをせざるを得ないというのは自業自得ともいえる。
だがこれ以上政府と沖縄との不毛な「腫れ物扱い」の関係が続く限り基地問題は解決できない。
普天間移設はわが国の安全保障の問題であり、国防問題である。
沖縄の基地問題を「小指の痛み」に例えて「小指の痛みを知らないのは差別だ」と叫んで「沖縄問題」に変換する向きもある。 確かに「小指の痛みは全身の痛み」だが、人間の本体が死んだら小指も死んでしまう。
⇒米軍基地は差別ではない!
日本が滅んだでしまったら、同時に沖縄問題も消えてしまう。
国防問題である基地問題を沖縄問題とは切り離せ、とネットの毒舌論客池田信夫氏が論じている。
同和や在日と同じくタブー化されつつある沖縄問題を「刺激的」と前置きしているが、刺激的でもなんでもない冷静な正論である。
極めて的を射た正論を、刺激的と感じる人こそ沖縄をことさら特別視し、まるで腫れ物でも扱うような人である。
実は沖縄問題を必要以上に情緒的に捉える人たちこそ沖縄問題解決のガンである。
☆
基地問題を沖縄問題から切り離せ 池田信夫今週のテーマは「沖縄」。問題提起の意味で、少し刺激的な意見を書きます。今回の沖縄防衛局長の発言は、いまだに正確な事実がわからないのに、彼を更迭して幕引きしようとしていますが、環境影響評価書の提出を男女関係にたとえる意味がわからない。評価書を出すのが、それほど悪いことなのでしょうか。
地元が反対しているというが、どんな迷惑施設でも地元は反対します。橋本政権から15年近く協議を続け、いったん地元も合意した計画を撤回したら、もう国内で基地の建設はできない。米国務省のケビン・メア元日本部長も指摘するように、そもそもアメリカは普天間基地を移設する必要がなく、それは伊丹空港や福岡空港ほど危険でもない。次の航空写真は、1945年に基地ができたときのものですが、まわりにほとんど住宅はない。
ところが次の2000年の写真では、住宅が密集しています。
つまり現在の住民のほとんどは、基地ができた後に引っ越してきた人々なのだから、危険だと思うなら引っ越せばいい。普天間基地の移転は、沖縄で選挙に弱い自民党が地元に金を落とす公共事業として始まったのです。
辺野古にも、基地の補償金として「北部振興策」に8年間で600億円(市民1人あたり100万円)にのぼる国費が投じられており、島袋市長の時代に名護市は基地の受け入れを決めたのだから、民意は明確です。いま地元が言っているのは「基地はいやだが補償金だけはもらっておく」というルール違反です。反対するなら、600億円を返してからにしてほしい。
本質的な問題は、沖縄の基地は極東の安全保障にとって不可欠だということです。中国の軍事力がここ20年で20倍になったともいわれる中で、力のバランスが崩れると何が起こるかわからない。相手が常識的な話のできる国ではないことは、尖閣諸島の事件でわかったはずです。グアムへの移転は戦略的に危険であり、「最低でも県外」などという話はまったくナンセンスだということが判明した以上、辺野古がいやなら普天間が残るだけです。
沖縄の問題は、在日や同和の問題と似ています。地元の政治家が本土の負い目を利用して、いつまでも「沖縄の心を傷つけた」などという情緒的な理由で基地に反対するのは、メア氏もいうように問題を長期化させて補助金を引き出すたかりだといわれても仕方がない。本土はいつまで、沖縄に謝り続けなければならないのでしょうか。基地を感情的な問題とからめるのはもうやめ、日米同盟の中で沖縄をどう位置づけるのかという戦略的な議論をすべきです。 ☆ これまでの沖縄の基地問題に関する論評に慣れた人にとって池田氏の基地論は、刺激的かどうかはともかく、少なくともドライに感じるだろう。 だが従来のように「沖縄の心」などの情緒的感情論や同情論だけでは複雑化した基地問題は解決しない。 ウェットな情緒論で「普天間移設」を複雑化した張本人の鳩山元首相が、性懲りもなく再び「辺野古以外」を言い始めた。
TBSの「朝ズバッ!」の杉尾解説員は鳩山氏の発言を「万死に値する」と斬って捨てたが、至言である。
「八重山教科書問題」も「普天間移設問題」も夫々教科書、国防という普遍的問題を沖縄問題に特化したため、問題が複雑化した。
鳩山氏に代表される民主党政府の沖縄に対する卑屈な態度が基地問題の解決の阻害となっている。
【おまけ】
自分の特技を生かした職業にタイピストとかピアニスト或いはハーピストとは聞いたことがあるが、世に「レイピスト」という職業、いや少なくとも「レイピスト」という言葉が存在するとは寡聞にして知らなかった。
うら若き(写真で見る限り)女性准教授の言葉である。
「田中不適切発言」以来、沖縄タイムスには特別企画で「連鎖する差別ー田中発言の裏側」と題する連載を、池田氏のドライな基地論とは真逆の立場の内外の「識者」が寄稿しているが、その3回目の寄稿者安部小椋琉球大学准教授の同連載記事の冒頭部分にこうある。
「今般の田中防衛局長のレイピスト発言について、発言そのもののグロテスクさはすでに多くの批判を浴びた・・・・」
「メア発言」で米国側の成りすまし大学生の猿田弁護士が送り込んだ左翼学生一行の沖縄側のコーディネーターを努め、東村高江のヘリパッド反対テント小屋など沖縄左翼の聖地を案内して回ったのが安部小椋琉球大学准教授である。
【東村高江の座り込みテントで談笑する安部小椋琉球大学准教授(右)】
安部女史は沖縄2紙の田中氏に対する大バッシングや仲井真県知事の怒りの発言にも反発し、次のように怒りを投げつけている。
「なぜ「犯す/やる」対象は、無前提に女なのか。 記者もデスクも県知事も政治家も、自分が「犯される」立場に立って怒りを表明できないのか。 なぜ、他に埋もれた事件の幾多に及ぶというのに、いまだに1995年の事件のみを、我々は想起するように仕向けられるのか」
フェミニストではないと思われる仲井真県知事に「犯される」立場を想定せよといっても無理があるだろうが、筆者が強調を施した部分に限れ安部女史と同意見である。
つまり何かある度に1995年の事件を引き合いにするのはもう勘弁して欲しいというのだ。
安部女史は触れていないが、筆者はマスコミがこの問題を騒ぎ立てるたびに古傷をえぐられる思いの被害者やその家族のことを考えたことがあるのかといいたいのだ。
1995年の事件が起きた当時、大田昌秀県知事は、被害者の少女の家族が「これを政治利用しないで、そっとして欲しい」と懇願するのをを振り切って「県民大会」で声高らかに「少女暴行事件」を取り上げ、己の政治目的達成に利用した。
それ以後米軍基地関係の問題が起きるたび沖縄マスコミは「1955・少女暴行事件」を基地問題における「黄門様の印籠」にsた。 これを突きつけられると誰も反論できなくなってしまった。
今回の「オフレコ発言」も、あれ以来1週間にもなるというのに、テレビや新聞、そして国会でその詳細を述べよ等の被害者の心情を無視した発言が続いている。
琉球新報は「田中失言」を無理やり「少女暴行事件」に結び付けて報道したが、被害者ご本人や家族の方々が「黄門様の印籠」として「少女暴行事件」がマスコミで騒がれる度いたたまれない気持ちになることに思いを寄せる記者が何人いるだろうか。
大田元知事が家族の願いを踏みにじって派手に政治利用を初めて以来、被害者の家族は住居を転々と変えて他人の眼を気にして生活していたという。
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