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琉球新報のヨタ記事

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 人気blogランキングへ クリックお願いします   ブログセンターランキングへ。   沖縄戦記を憶測で自分の都合の良いように創作し、「残虐非道な日本軍」を印象操作する得意技は、『鉄の暴風』の出版元である沖縄タイムスの専売特許だと思っていた。 だが、最近の沖縄二紙を見ると「残虐な日本兵」糾弾のデタラメ記事はすっかり琉球新報にお株を奪われたようである。 歴史に刻んでおくべき沖縄戦記を、一新聞記者の憶測と先入観で書き散らす手法は『鉄の暴風』が創始したが、出版当時の1950年の沖縄の時代背景を考えるなら大田良博記者がウワサ話を頼りに記事を書き上げたのもある程度は理解できる。 だが、情報化時代の現在、琉球新報が60年前の『鉄の暴風』と同じ手法で憶測と先入観の沖縄戦記を書いても、賢明な読者はそれを鵜呑みにする筈はない。 それどころか、読者を愚弄した紙面構成に密かに失笑するだけである。 おどろおどろしい見出しで一旦その気になった読者がいたとしても、文面を精読すれば、それが記者の勝手な思い込みであることに即座に気が付くはずである。 IT時代の新聞読者は琉球新報記者がヨタ記事を書いて騙せるほどバカではないことを琉球新報は銘記すべきである。 琉球新報に比べて最近の沖縄タイムスが比較的おとなしいのは、上告中の「集団自決訴訟」の最高裁判断を真近に控え、二審判決を覆すと思われる「大城澄江発言」の持つ意味を理解し、二審差し戻しを予測した結果だと推測する。 沖縄タイムスは訴訟の直接の被告ではないが、全ての発端が同社発刊の『鉄の暴風』のデタラメ記事である以上、裁判で全面敗訴になった場合、同社が受けるダメージは琉球新報の比ではないはずだ。 敗訴が予測される現在、沖縄タイムスは、これ以上沖縄戦記に関するデタラメ記事を書き散らし、徒に傷口を大きくするの避けるため、しばらくは過激な推測記事は控えているのではないか。 その点、直接の当事者ではない琉球新報は「毒を喰らわば皿まで」の心境で、やけくそとも思えるヨタ記事を書き散らしているのではないか。 もしそうだとしたら、こんなに読者を馬鹿にした話はない。 旅行のため沖縄紙を読まなくなって約10日にもなるので、琉球新報のデタラメ戦記特集に関しては、 琉球新報ウォッチャーをされている縁側さんの逆風って気持ちいい!の記事を、6月21日、22日と二日に渡りご紹介したい。 ◆以下引用。(原文はそのままですが、色付け、太字強調の一部編集は引用者) 今朝の琉球新報社会面より 昨日(20日ー引用者)は朝日新聞のいやらしさをエントリーしましたが、本日は琉球新報の社会面。あまりにひどい記事に朝から呆然としてしまいましたが、極めて琉球新報らしい記事ではありますね。ご紹介します。   虐殺の疑念 家へ帰り殺された祖父
 
 「きょうは家で寝るよ」。祖父の平良長太郎=当時(73)=はこの言葉を最後に、孫の當間タケ子(75)=浦添市、当時(10)=ら家族の元へ帰ることはなかった。2日後の早朝、捜しに出たタケ子らは、羽地村真喜屋=現在名護市=の海岸で変わり果てた姿の長太郎を見つけた。護岸のすぐ下でうつぶせに倒れ、後頭部を銃で撃たれていた。山中で避難生活を送っていた祖父が真喜屋の家に帰ると言い残し、亡くなったのは1945年4月半ば。米軍の支配下地域となっていた真喜屋では断続的に戦闘が繰り返され、その晩も村で銃撃戦があった。家々は焼かれ、日本兵の死体が転がっていた。  米軍上陸直前の1945年3月末、母と姉ら5人で恩納村真栄田の家を出たタケ子は真喜屋の母の実家を頼ることにした。海沿いの県道は北部を目指す避難民であふれた。米軍の艦砲射撃は、日本軍の拠点・多野岳に撃ち込まれた。照明弾が光るたび、タケ子らは転げるようにして溝に身を隠した。  夜通し歩いて真喜屋に着き、近くの山の避難小屋で祖父母と合流。避難生活の間、長太郎とタケ子は食糧を運ぶため、何度か真喜屋の家に戻った。雨漏りの激しい避難小屋。長太郎が「家で寝る」と言い出したのは食糧を運んだ後だった。  当時の真喜屋は昼間は米兵が集落内を占拠。対照的に日本軍は山中に潜み夜になると攻撃してきた。日中に山と家を往復する際、2人は何度か米兵と遭遇した。砲撃で開いた穴に水がたまり、通り掛かった米兵はタケ子の手を引いて渡らせてくれた。「米兵は若い男は殺したが、老人と子どもに危害は加えない」。2人はそう感じていた。  戦後65年間、タケ子は長太郎の死に疑念を抱え続けてきた。「祖父は日本兵に殺されたのではないか」。渡野喜屋(大宜味村白浜)の虐殺などを耳にし、疑念は膨らんだ。「軍服でもない野良着姿の老人を米兵は撃つだろうか。日本軍なら『米軍がいる集落でのうのうと暮らす住民はスパイだ』と思ったかもしれない」。  14日、タケ子は65年前に祖父をその場で埋葬して以来初めて、祖父が最期を迎えた海岸を訪れた。護岸は形を変えたが元の場所にあった。「長い間ごめんね」。祖父がうずくまっていた砂地に水を手向け、手を合わせた。  「祖父の最期は見ていないので推測でしかない。だがもし友軍に殺されたのなら、どんなに無念だったろう」。込み上げる涙をぬぐった。                          ◇  
 どーです皆さん。すごいですね。戦争犯罪か殺人事件かまったくわからない状況なのにもかかわらず、琉球新報ははっきりと「殺人事件」として孫であるタケ子さんに証言させて、「かもしれない」とその時その集落にいたであろう日本兵を貶めて殺人犯に仕立て上げようとしている。ほんとに恐ろしい新聞社です。  
>当時の真喜屋は昼間は米兵が集落内を占拠。対照的に日本軍は山中に潜み夜になると攻撃してきた。  
 :文中から抜き出したこの文に琉球新報のいやらしさ・醜さ・いい加減さ・無知さ・恥を捨て去ったその姿勢などすべてが凝縮している。お気づきでしょうか。賢明なる読者の方々はもうお気づきでしょう。そうです。この文をフツーに読めば昼間は米軍が占拠してるが夜になると日本軍が攻撃してきたんですよ。米軍に対して攻撃していたのではなく、避難民に攻撃していた!としか読めない。「してきた」わけですからね。つまり、沖縄戦というのは、日本対米国ではなく、沖縄対日本でついでに米国という構図だと琉球新報は言いたいのだ。ここまで日本が憎いならなぜはっきり「琉球独立」と言わないのか。部数が落ちるのが怖いんだろうが、もうすでに落ちてるんだよね。  
>日中に山と家を往復する際、2人は何度か米兵と遭遇した。砲撃で開いた穴に水がたまり、通り掛かった米兵はタケ子の手を引いて渡らせてくれた。「米兵は若い男は殺したが、老人と子どもに危害は加えない」。2人はそう感じていた。  
 :その次の言葉をいう前段としてこの文はどーしても入れておかなければならないわけだよな。まぁこのばーさんが当時10歳でそう感じたというのはいいとして、沖縄戦で米軍は民間人を無差別に殺しまくったってこと知らないわけじゃないだろうよ、この宮城とかいう記者も。まぁ次の言葉の信憑性を高めたいがために書いたんだろうことは見え見えなのだが。  
>戦後65年間、タケ子は長太郎の死に疑念を抱え続けてきた。「祖父は日本兵に殺されたのではないか」。  
>。「軍服でもない野良着姿の老人を米兵は撃つだろうか。日本軍なら『米軍がいる集落でのうのうと暮らす住民はスパイだ』と思ったかもしれない」。  
>「祖父の最期は見ていないので推測でしかない。だがもし友軍に殺されたのなら、どんなに無念だったろう」。込み上げる涙をぬぐった。  
 :この記者は戦争時のことなら何を書いても問題ないと思っているのだろう。よっぽど何か変な物でも食ったか、昔アタマでも打ったのかもしれない。これが事実だとしたら「殺人事件」なんですよ。時効になっているけれど、殺人事件に変わりはない。そしてまず間違いなく死刑だろう。また米兵ならば戦争犯罪ですね。まぁ米軍は大量虐殺も平気でできるから老人殺すのもわけないことではあるだろう。  
 これを殺人事件とするならば、当時この界隈にいた日本兵すべてが容疑者となる。まだご壮健の方もおいでだろう。それを全てがこのばーさんの推測でしかない「茶飲み話」を20万部の新聞社の社会面に大きく特集記事として載せられるのか?私は電話したよ、社会部に。この宮城という記者は不在だったので変わりにKという記者が対応した。  
 「すべて推測だけの証言で日本兵が殺したと捉えるように恣意的に操作してるように思いますが」と問うと、「いやタケ子さんの思いを記事にしただけです」ときた。  
 「じーさんがいなくなってから2日後に死んでる姿を見て、日本兵がやったんじゃないかと勝手に推理してる、このばーさんの話をそのまま記事にしても問題ないんですか?」というと、  
「戦争当時の証言は貴重で、推測がダメというなら何も書けない」ときやがった。  
 「はぁ?そんなことない。書けますよ。私が言いたいのは、もしこのばーさんの推理が正しければ、これは殺人事件だということですよ。そしてこの付近にいた日本兵の方々の中にはまだまだ県内外にお元気で生きていらっしゃる方もいるでしょう。その方々を殺人犯扱いしかねないにもかかわらず、このような推測だけしか語れないばーさんを社会面に写真入で載せて、さも殺人事件だったんだと受け取るように恣意的な記事を書くことが琉球新報にとっては何の問題もないとお考えなのですか?とお聞きしてるんです」というと、あーだこーだと意味不明の言葉を連発したが、最後には、        「問題ないです」と言い放ちました。  
これが、これこそが琉球新報なのですよ。いい加減で、ずるくて、およそ新聞社としての体をなしていない組織であります。  
最低の会社と言っていい。これからもこの会社の出す新聞という名の三流紙をバカにしていきたい。  
 
追記:電話でのやりとりのさいちゅうに私が、「もし学生運動が盛んな頃に、学生が行方不明になってその人が死体で発見され事故か事件かわからないとして、今になってから『あれは革マルの仕業ではないか?』という人が出てきても社会面で載せるんですか?」と聞いたらず〜っと黙ってましたね。同僚の中にいるんだからそりゃ何も語れんわな(T_T)/~~~ ◆引用終了               ◇   いやはや驚いた記事だ。 縁側さんの適格な突っ込みに、これ以上のコメントは無用だが、あえて蛇足も書きたくもなる! 65年も前の10歳の子供の記事を現在75歳の老人にムリヤリ思い出させ、しかも見てもいない出来事を記者の想像にまかせて、読者を「残虐非道な日本軍」へと強引に導いて行く。 この記事をご本人の當間タケ子さんに読んでもらってその通りだと答えるとしたら、失礼ながらタケ子さんは「カニハンリている」(モウロクしている)と言われても仕方がないだろう。 だって見てもない出来事をあたかも見たように書いているのが事実というならモウロクではないか。 だが、幻視と実際との区別が出来ないのは當間さんではなく、実は聞き取りしたしたら記者だとしたら、とんだ罪作りな話である。 それにご本人の祖父への強い思いも、実際は記者の創作ではないのか。 >14日、タケ子は65年前に祖父をその場で埋葬して以来初めて、祖父が最期を迎えた海岸を訪れた。護岸は形を変えたが元の場所にあった。「長い間ごめんね」。祖父がうずくまっていた砂地に水を手向け、手を合 縁側さんの電話の問い合わせに対し、「タケ子さんの思いを記事にした」と答えたというが、その割には、タケ子さんのお祖父さんへの「思い」を、65年前に埋葬した場所を初めて訪問して手を合わせただけで済ましている。 同じ沖縄に住みながら65年間も放置し、今頃になってお祖父さんの埋葬地を初めて訪問して、 「長い間ごめんね」だけで済ます話ではないだろう。 新報記者の思い入れたっぷりにの記事の割には、ご本人はお祖父さんのことはそれほど気にしていないのではないか。

さもなくばお祖父さんを埋葬した場所に 今回戦後初めて訪問し初めて手を合わせたというのはいかにも不自然である。 先祖を大事にする沖縄では、そんなことをしたら通常「タケ子さんの思い」とは言わず、罰当たりな行為という。
 
この記事を読んで筆者の知人の新報読者4人から「記者の妄想に満ちた酷い記事だ!」との連絡が入った。 確信犯の琉球新報は、このようなデタラメ記事を連発しながら地獄の底まで落ちて行くのだろうか。
 
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