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沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会よりの転載です。 2011年06月08日(水) 弁護団声明 最高裁決定を受けて 代表執筆 弁護士 徳永信一平成23年4月21日、最高裁は2年5カ月もの沈黙を経て、梅澤裕さんと赤松秀一さんの上訴を退けました。決定理由は上告棄却が5行、サーシオレイライ(裁量上訴)不受理はわずか2行。その素っ気なさと沈黙の長さとのアンバランスは、平成21年11月30日の大阪高裁判決の結論と理由に対し、最高裁が多々疑問を感じていたことを推測させるものですが、所詮それも思惑の域を出ません。残念ですが、ついに隊長による集団自決命令を無責任に流布してきた大江健三郎と岩波書店の不法行為責任を認めさせることはできませんでした。
しかしながら、確定した高裁判決は、二人の隊長が集団自決を直接住民に命令したという事実につき、「真実性の証明があるとはいえない。」と結論づけたものでした。これによって大江健三郎の『沖縄ノート』にある記述 ―― それは作家の曽野綾子さんが「私的なリンチ」だと糾弾したように、「罪の巨塊」「ペテン」「戦争犯罪者」「屠殺者」「アイヒマン」などといった憎悪的表現によって両隊長に一方的な人格非難を浴びせるものでした ―― によって汚辱されてきた梅澤、赤松両隊長の名誉は見事に回復されました。なによりも、この裁判がきっかけとなり、中高生が使用する歴史教科書や各地の歴史博物館にあった軍の命令によって集団自決が起ったとする記述や展示が見直され、軍命令が真実ではないことが、広く国民に知られるようになったことは、6年半に及んだこの裁判の貴重な成果でありました。
さて、隊長命令の真実性を否定した高裁判決が、それでも大江健三郎と岩波書店を免責した理由はなんだったのでしょうか。それは表現の自由の保護を梅澤さんと赤松さんの人格権に優先させた結果でした。私たち弁護団は、『沖縄ノート』と『太平洋戦争』が真実性と真実相当性(真実とはいえなくとも、真実と信ずるについて相当な理由があること)を喪失した以上、名誉毀損等の人格権侵害を続けることは許されず、直ちに出版を停止すべきだと主張しました。高裁判決、私たちの主張を退け、それらが出版された昭和40年代において両隊長の命令によって集団自決が生じたということが当時の通説(大方の意見)だったことから、「発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年に渡って出版が継続してきたところ、新たな証拠の出現によりその真実性等が揺らいだという場合」には、それが真実でないことが明白にならない限り、直ちに違法とはならないとしたのです。そして表現の自由を優先する理由として次のようにいいました。すなわち、戦争の歴史的事実といった公共の利益に深く関わる事実については、資料研究と批判が繰り返されるなどして、「その時代の大方の意見が形成され、さらに大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくという過程をたどるものであり、そのような過程を保障することは、民主主義社会の存続の基盤をなすもの」だとし、「仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる。」としたのです。つまり、『沖縄ノート』等は、軍命令が真実だと考えられていた《戦後という特殊な時代》の歴史的資料として出版の継続を許されたということです。
もちろん、隊長命令がなかったことが証拠上も明白になったと信じる私たちにとって、それが「明白になったとまではいえない」とした高裁判決の認定はとても承服できるものではありません。しかし、裁判は終わりました。隊長命令の不在を明白な真実とし、軍の関与の実態を世に知らしめる作業は、今後の更なる資料の発掘と自由な歴史研究と言論に委ねられました。私たちは、戦後の歪んだ歴史観を見直していくための確固たる橋頭堡(きょうとうほ)を築いたことを誇りに思います。既に真実性を喪失した『沖縄ノート』と『太平洋戦争』の出版継続の当否については、大江健三郎らの良心と国民の良識に任せようと思います。
最後に、この長い裁判は、沖縄戦の真実を希求する多くの国民の支援によって支えられてきました。誤った歴史教育に洗脳され、日本軍を「悪」とする図式を死守しようとする分厚い勢力に取り囲まれながらも、私たちがこの困難な戦いを、挫けることなく戦い抜けたのは、そうした支えがあったからでした。真実に対する誠実さと犠牲となった尊い命に対する畏敬の念こそが、日本人の心の閉塞を切り開く鍵だと信じることができました。心から感謝するとともに、この感謝の気持ちをバネに更なる戦いに邁進していく決意です。
以上
2011年6月8日 14時31分
弁護団代表挨拶 最高裁判決に思う 弁護士 松本 藤一
弁護団代表挨拶
最高裁判決に思う
弁護士 松本 藤一
沖縄集団自決冤罪訴訟が確定しました。最高裁は平成23年4月21日上告を棄却し,原告の請求は認められませんでした。高裁判決後直ぐ上告ましたが2年6ケ月もたってから,たった主文2行と民訴法の上告理由に該当しないという理由で恰も地震の混乱を狙ったかのように切って捨てた最高裁には呆れてしまいます。
しかし,一審からの訴訟で「隊長の自決命令は証明されていない」という事実が確定しましたし,教科書から「軍命による自決」の記載が削除されました。今後もこの事実は変わることはないでしょう。これは大きな成果でした。
昭和45年に『沖縄ノート』とその資料『鉄の暴風』は,昭和48年に曾野綾子著の『ある神話の背景』でその虚偽と矛盾を徹底的に批判され,書物としての信憑性が地に墜ちた後も継続して出版されていました。
「渡嘉敷島」の赤松隊長は自決に失敗した島民を衛生兵に命じて救助していたし,60年以上も軍命令を喧伝した牧師は,集団自決で生き残った後赤松隊長のもとに治療に通っていた事実を法廷で認めました。
座間味島の青年団長宮城初枝は自決のための弾薬付与を梅沢隊長から拒絶され,反対に自決してはならないと命令されたという真実を明らかにし,援護金取得のために虚偽の軍命令が捏造されたことを暴露していました。さらに座間味村の援護係宮村幸延は「集団自決は梅沢隊長の命令ではなく兵事主任で助役であった兄盛秀の命令で行われ」と明らかにしていたのです。これらの事実からして両島とも「隊長命令が無かった」ことは明らかです。
大阪地裁も高裁も「隊長命令が証明出来ない」,即ち隊長命令が無かったことを認めながらとしながら,言論の自由や軍人で公務員であったこと,長い年月が経過したという理由で「間違った隊長命令の記述をしたとしてもやむを得ない,裁判所は許す」というのです。誠に心外な判決です。原告を敗訴させたのは,実は裁判官がノーベル賞作家や岩波書店を敗訴させるのにたじろいだからです。
裁判所も日本の過去や軍人の名誉回復を絶対認めないという戦後社会の枠組みを墨守し続けています。その結果,戦後レジームの一環に搦め取られ事実を明らかにするはずの裁判が政治裁判になり果てています。
しかし,戦後レジームの背後には,搾取と人種差別の枠組みを打ち壊す日本の存在を世界支配の秩序を根底から覆す災厄として恐怖した欧米社会が日本の敗北を機に日本を封じ込めようとした思惑があります。日本を縛りつづけているこの枠組みの打破が必要です。しかるに歴史家も教育もマスコミも日本が動けなくするための縛を担っております。
百人斬り裁判と同じく,今回の裁判は日本軍人の名誉と日本の名誉回復のために闘った裁判でした。多くの人達から物心両面で多大な支援を頂きました。考えを同じくする人が沢山いることを知り,大変勇気づけられ,日本の再生は可能であると確信しました。
日本は東日本震災の被害からの再生の真っ最中です。被害は深刻,苛烈なものですが,日本人の勇気と共に生きる精神で必ずや立ち上がれると信じています。犠牲者の皆様の冥福を祈るとともに被災地の一日も早い再生を切望します。
最後にこれまでの皆様からのご支援に心より感謝します。
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「沖縄集団自決冤罪訴訟」は終結しましたが、沖縄集団自決の真相を解明すべく、沖縄在住のドキュメンタリー作家上原正稔さんが琉球新報を相手取って「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を提訴しました。
代理人は、おなじみの徳永信一先生ですが,相変わらずの手弁当で頑張って頂いております。
東日本大震災等のご支援で出費のかさむおりがら、何卒「パンドラの箱掲載拒否訴訟」にカンパのご協力をお願い申し上げます。
「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を支援する会」
三善会 会長 當山正範
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