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『うらそえ文藝』(2011年 第16号)が発売されました。
同誌は1昨年の第14号で集団自決特集を組み、沖縄タイムスと琉球新報が慶良間諸島で起きた集団自決について流布させた「軍命説」が捏造であると批判し「腹を切って侘びよ」と激しく糾弾した。
同誌は次号の第15号でも同じく集団自決を特集し沖縄2紙の批判を展開したが、沖縄2紙は両紙とも1行の反論も掲載することなく黙殺を決め込んで現在にいたっている。
沖縄2紙が、これまで2紙に継続的に寄稿をしてきた星雅彦と上原正稔という2人の有識者に名指しで「歴史の捏造者」と批判されながら黙殺を続けるのは、議論を通じて己の捏造体質が暴露されること恐れているからである。 黙殺で議論を避ける姑息な手段は、日頃言論の自由を標榜する新聞としては、いかにも卑劣である。
沖縄2紙を熟知した星、上原両氏によって己の恥部が読者の前に晒されてしまうのが怖いのであろう。
周知の通り琉球新報に連載で掲載中の上原正稔著「パンドラの箱を開けるとき」が、同紙によって一方的に拒否された件で、現在係争中である。
今回発行の『うらそえ文藝』第16号は、「尖閣諸島問題」を特集しているが、同誌編集長で詩人でもある星雅彦氏が、先月下された「集団自決」の最高裁判断に関する詩を寄稿しているので、紹介する。
星氏は「メア発言」についても時事評論を寄稿しているので是非ご購読下さい。
風の語らい
星 雅彦
慶良間諸島のあの玉砕
今は集団自決の軍命の
有無について あれこれ
真実はこうだと
がむしゃらに伝えている
さわやかな南風に 問うてみても
なぞなぞが残る
民族団結の願望は
ただ勝利の判決だけか
渡り鳥がつぶやく
どこか狂っている
どこ吹く風
透明な風が
まさしく純粋に
鳥瞰する 北から南から
風は語ってくれるだろうか
風の責めぎあい
おためごかしの
正義を語る
その魅力を裏返せば
空しい軽さだけが残る
どこかに隠し味がある
実(まこと)しやかな弁舌にも
その罪の深さがある
ああすべて強制だという
抜き差しならない関与
言葉のたたかいがあって
実在したことを
柔和な風の語らいに告げても
さらさらと 現実は
吹き抜けて行くだけだ
★『うらそえ文藝』の問い合わせ先
電話⇒098−878−4553
最高裁判断については藤岡信勝拓大教授が「正論」を書いているので、保存資料として引用します。 なお太字などの強調は引用者が施しました。
【正論】産経新聞
拓殖大学客員教授・藤岡信勝 大江氏は裁判で勝ったのか?
2011.5.20 03:40
大東亜戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の隊長が住民の集団自決を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎氏の著書により名誉を傷付けられたとして、元隊長らが出版差し止めを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷は4月21日、2審で敗訴した原告側の上告を退ける決定を行った。これで、2審の大阪高裁判決が確定し、平成17年8月の提訴以来6年目にして、訴訟に一応の決着が付けられた。この機会に、訴訟に関わってきた1人として沖縄集団自決訴訟とは何であったのか意味を考えておきたい。
◆上告棄却はただの門前払い
最高裁決定は、3行の主文に9行の理由が付されただけの簡単なものである。その上告棄却の理由は、民事訴訟法312条によって民事事件について最高裁に上告をすることが許されるのは、憲法違反または下級審判決の理由が不備である場合に限られるが、原告の上告理由の実質は事実誤認または単なる法令違反を主張するものであって、明らかに民訴法に規定する事由に該当しない−である。
要するに、最高裁は事実審議は行わないから事実誤認を根拠とした上告は受け付けないという門前払いだ。各紙がかなり大きく取り上げ、沖縄2紙はお祭り騒ぎを繰り広げたから、最高裁が何か集団自決について実質的な判断をしたかのように思っている人もいるだろうが、錯覚である。最高裁の決定はそもそも内容がなく、論評に値しない。三審制については、3回裁判が受けられるとのイメージを持たれているかもしれないが、多くの場合、2審までで裁判は事実上終わってしまうのである。
裁判の最大の争点は隊長命令説の真偽であった。大江氏はその著書『沖縄ノート』の中で、渡嘉敷島の守備隊長・赤松大尉を、「ペテン」「屠殺(とさつ)者」「アイヒマン」「罪の巨塊」などと呼んでいた。ところが、隊長命令説は、県の公刊資料や住民側の手記(宮城晴美『母の遺(のこ)したもの』など)によって、平成12年(2000年)頃までには完全に崩れ去っていた。
◆疑わしきは罰する奇妙な論理
だが、2審は、「その後公刊された資料等により、控訴人梅澤及び赤松大尉の(中略)直接的な自決命令については、その真実性が揺らいだといえるが、本件各記述やその前提とする事実が真実でないことが明白になったとまではいえない」として、被告勝訴の判決を下した。「疑わしきは罰する」ともいえる奇妙な論理である。
最初にこの論理を展開したのは「百人斬り訴訟」の判決である。日本刀で百人もの人間を斬り殺せないことは明らかであり、そのことを一方で認めながら、他方で旧日本軍の中国人に対する残虐行為などを挙げて、それゆえ、「一見して明白なほどなかったともいえない」という理屈で、南京戦に参加した旧日本軍将校の名誉を毀損(きそん)する記事を書いた新聞記者を免責したのである。日本の司法の退廃はとどまるところを知らない。
訴訟の経過を通じて残念だったのは、大阪地裁で1審が結審した後の平成19年1月、座間味島で宮平秀幸氏の新証言が明るみに出たのに、弁護団が反対尋問で崩されるのを恐れ控訴審で宮平氏の証人申請をしなかったことである。
沖縄戦当時15歳の宮平氏は旧日本軍の伝令役を務め、昭和20年3月25日夜、座間味島の梅澤隊長のいる戦隊本部の壕に、集団自決用の武器弾薬を求めて村幹部がやってきたときの様子を至近距離で目撃していた。梅澤隊長は武器弾薬を渡さなかったばかりか、逆に、村民に「自決するな」と「命令」し、しかも、それを受け、村長が自決のため忠魂碑前に集まった村民を解散させていたのである。
◆集団自決訴訟には数々の意義
梅澤、赤松両氏の悲願を成就できなかったのは残念だが、手弁当の弁護団によって支えられたこの訴訟には大きな意義があった。
第1に、沖縄集団自決の事実の解明が飛躍的に進んだ。新たな証言者が現れ、文献が発掘され、今後の研究の足がかりができた。
第2に、沖縄集団自決の真相が国民の間に広く知られるようになった。国民の目は節穴ではない。しかし、裁判を起こさなければ、これほど多数の人々の関心を呼ぶことは決してなかっただろう。
第3に、地元沖縄で真実のために戦う人々の核が形成された。周囲の同調圧力の中でも真実を守ろうという勇気ある証言者が現れ、地元作家は沖縄の新聞を相手取って新たな訴訟を起こしている。
第4に、文科省の教科書検定に影響を与えた。平成18年度の高校日本史教科書の検定で、同省は集団自決が軍の強制であったかのように書かれた記述に初めて検定意見を付けた。もっとも、文科省はその後、旧日本軍の集団自決への「関与」を認めたので反軍的記述はかえって増大した。ただし、検定意見自体は撤回していない。
大江氏は事実が認められたかのようにコメントしているが、言論界の「戦後レジーム」を守った高裁判決でさえ、隊長命令は「証拠上、断定できない」としている。この作家はどこまでも虚言を弄するつもりのようである。(ふじおか のぶかつ)
☆
当日記が最高裁判断を全面的に受け入れるかどうかはさて措いて、法治国家における最高機関の司法判断として尊重するなら、大江氏の『沖縄ノート』の真実性が揺らいではいても、今後の批判、再批判という議論の過程でその時代の新たな定説が生まれる、という判断には従わざるを得ない。
その意味では、藤岡氏が指摘するように、上原正稔氏が琉球新報を提訴した「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は、沖縄集団自決の真相解明についての新たな議論の出発点であると言うことができる。
沖縄集団自決の真実解明のための議論は、今スタートラインに立ったばかりである。
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★「パンドラの箱訴訟」の支援カンパ依頼
ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1−11−1−702
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