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ブログセンターランキングへ。「沖縄人はゆすりの名人」といったとされるメア発言で、沖縄紙2紙が突然発狂デモしたかのように5日連続で一面トップの大見出しで騒いだが、いつもの「抗議県民大会」に至る前に東日本を襲った巨大地震で一面トップの座を震災関連の見出しに奪われ、メア発言に対する沖縄2紙の怒りは不完全燃焼に終わった感がある。
だが、大震災の報道の合間をくぐるように、お馴染みの「識者の意見」を総動員しメア氏のバッシングを続けていた。
発言者のメア氏に裏取りもせず、狂ったようなバッシングを続ける沖縄2紙もそうだが、その誇大な記事を真に受けて抗議決議する県議会も不可解なら、新聞の見出しを妄信してメア批判を展開する識者の先生方も集団発狂したといわれても仕方ない。
議会決議に際し、新聞に載っているから「裏取りは不要」といった議員もいるというから、県議の見識もクソあったものではない。
「メア発言 みんなで怒鳴れば 怖くない」とでもいうところか。
取り上げるのが遅れたが、そのメア氏の指摘する本人は否定しているが「ゆすりの名人」の典型的な例が、沖縄タイムスの記事になっている。
第3次嘉手納爆音原告団長に新川氏
沖縄タイムス 2011年3月28日
【中部】米軍嘉手納基地周辺の住民が国を相手に米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めや、騒音被害による損害賠償などを求め、4月28日に提訴する第3次嘉手納爆音訴訟の原告団(2万2063人)が27日、かでな文化センターで結成総会を開いた。
5市町村から約1300人の原告が参加し、「静かな夜を取り戻そう」と決意を確認した。
総会では新川秀清・元沖縄市長が原告団長に選出された。新川団長は「2万2000人の原告は予想をはるかに超える数。今を生きる私たちが次の世代のため、世直しをしていこう。差別をしてきたヤマトの政治、66年居座る米軍に突きつけていこう」と決意表明。
大阪・沖縄で計40人の大規模弁護団をまとめる池宮城紀夫団長は「1996年の騒音防止協定は効果がなく、騒音はますますひどい状態。沖縄の状況を根本から変える闘いを今日から始めよう」と呼び掛けた。
訴訟では、(1)午後7時〜午前7時の米軍機の飛行、エンジン調整の禁止(2)午前7時〜午後7時までの騒音を65デシベル以下に制限(3)過去、将来分の賠償―を国に求める。
嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)会長の野国昌春北谷町長は「行政としても米軍や日米両政府に訴えたい。勝利の日まで団結を固めて頑張っていくよう期待する」と激励した
★
先ずこれに対して事情を良く知る読者のコメントを2例紹介する。
■安仁屋正昭さんのコメント 許しがたい、たかり
この輩は、何回訴訟を起こし、どれだけ金をせしめるつもりか!
逆に、国は、このような地域に住宅建設を許可した自治体に損害賠償を起こすべきだ。
国家の一大事だというのに、この輩は自分の事だけしか考えないのか?みんなで渡れば恥ずかしくないのだろう。
身勝手が過ぎる。
■義挙人さんのコメント この輩は偽善者です
狼魔人様。
安仁屋正昭様。私もこの記事で怒ってます。
メア氏が言う、「ゆすり、たかり」は正にこの爆音訴訟の事だと思いますが、、、。
メア氏の発言でズバリ言われて一番怒っているのは、この連中です。
それにしても、住所移してまでも、この訴訟に参加している奴を見ると、ハラワタが煮え繰り替えます。
地元にお住まいの二人の「県人の意見が全てを表しているので、これ以上のコメントは敢て避けるが、この訴訟の中心的役割を果たしてきた宮城篤実町長が1年前の3月3日引退声明を発表している。
■嘉手納町長勇退の理由は?
⇒宮城嘉手納町長が勇退を表明 次期町長選に出馬せず 2010年3月3日
「反戦平和」を唱え、沖縄2紙「絶対の支持をバックに、5期20年の長きにわたって独裁的政権を保ってきた宮城町長。 そして一部に名町長ともてはやされた宮城町長が次期も楽勝といわれながら、突然引退を表明した理由は何であったか。
引退表明の3日前の2月28日、同じく「反戦平和」の免罪符を唱えて5期20年の長期政権を狙った南の島のペンギン市長こと大浜長照氏が新人の中山候補に歴史的大差で敗退したのを目の当たりにしたからである。
大浜氏が圧倒的に5選を果たすといわれていたにも関わらず惨めな大敗を喫したのは、ネット上を騒がせた「婦女暴行疑惑」のせいであることは周知の通りである。
「婦女暴行疑惑」については沖縄2紙は告発者の元石垣市役所職員に直接取材していながら一行の記事にもせず徹頭徹尾「反戦平和」のペンギン市長を擁護した。
結局、石垣市議会で追及された市長が、追い詰められネット告発者を那覇地検に「名誉毀損」で刑事告訴するとして3人の弁護士を立てて記者会見した。だが、そのご後の調査によると那覇地検では当該告訴は受理されておらず、大浜氏側がうそをついたか那覇地検が刑事告訴を門前払いにしたかのどちらかである。 当時、事件は既に被害者の元市職員によって所轄の八重山署に被害届が出されており、事件があったことは所轄所では認識されていた。
大浜氏と同じように「反戦平和」を免罪符にしてきた宮城嘉手納町長にとって、ネットの威力を戦友の大浜氏の大敗でまざまざと見せ付けられては、これまでのような新聞社の免罪符も通用しないと判断し、引退表明したのではないか。
宮城市長が残したゆすりの手法は、補助金を引き出して箱物を作るといった単純なものではない。 米軍基地と自衛隊を諸悪の根源のように罵倒しながら、米軍基地公害で強請った金で箱物をつくり、そこに防衛庁を店子として入れるという離れ業をやってのけているのだ。 これで店子の家賃は国によって補償されるという一挙両得の強請り技である。 おかげで那覇にあった防衛庁官舎のほとんどが嘉手納町の箱物に店子として移転した。 だが、これを知る県民は少ない。
昨日の沖縄タイムスに2009年度一人当たりの市町村民所得ランキング表が掲載されている。
多い順にベスト10を挙げるとこうなる。
(1)北大東村
(2)南大東村
(3)渡名喜村
(4)嘉手納村
(5)渡嘉敷村
嘉手納町はベスト4に位置しているが、他は全て離島であり本島の都市部に限れば嘉手納は堂々の第一位になる。
離島の一人当たりの所得が多い理由を沖縄タイムスは、「人口に占める就業者の割合が高いことが主な要因だ」と記しているが、サトウキビに対する高額な国の補助金も要因のひとつだと考えられる。
またタイムスは「前年度と比べ増加率が最も大きかったのは嘉手納町で、沖縄防衛局などの移転により、財産所得が増加した」と報じているが、高額の家賃収入付の箱物を強請り取るとはさすが「ゆすりの名人」とメア氏が驚嘆するのも当然である。
町の中心街はシャッター通りばかりで、これといった産業の無い嘉手納町が、強請りだけで一人当たり本島で第一位の栄誉に輝くとは、宮城町長が「ゆすりの名人」と賞賛されるゆえんである。
宮城嘉手納町長は「反戦平和」を標榜しながら一方では、毎年年末には基地内で、米軍司令官と忘年会を楽しむという別の顔を持っている。
⇒嘉手納町長が基地内で忘年会!米軍司令官と
過剰に差別を意識する人物は自身が差別主義者であることに気がついていない。 過剰な優越感と劣等感がない交ぜになって、ひたすら日本人とアメリカ人に「差別されている」と怨嗟の言葉を口汚く吐き続けるだけの左翼ブログがある。 管理人は本土在住の嘉手納町人らしいが、同郷の先輩である宮城嘉手納村長について興味深い記述があるので紹介しておく。
以下引用
反体制言論人の認識不足 反体制言論人とは元駐レバノン全権大使で、アメリカのイラク侵攻時における、小泉政権の全面的対米追従対応を批判して外務省を追放された天木直人氏のことである。現在は文筆家として、あるいはブログ(『日本の動きを伝えたい』)・メルマガ発信者として、対米追従から脱却できない日本政府の外交政策を筆法鋭く糾弾する言論を展開している。
当然、過重な米軍基地を押し付けられている沖縄に対しても同情的言論を行っている。だが、まことに遺憾なことに、最近のメルマガで、米軍嘉手納基地のある嘉手納町の町長交代をめぐって次のような感想を述べている。
勇退した宮城篤実 ・嘉手納町長の言葉が示すもの(2月20日発行)
2月18日の朝日新聞「ウオッチ沖縄」という記事に、20年間嘉手納町長を務めて17日に勇退した宮城篤実氏(74)の言葉が紹介されていた。
巧みな弁舌で政府や米軍と渡り合い、騒音軽減を約束させるなど、その政治手腕が注目されてきた町長であったという。その宮城氏が14日に退任挨拶のため仲井真知事を訪れた時、こう言って唇をかみしめたという。
「とても対応できなかったのが基地問題。何も動かせなかった」
宮城町長は、町の面積の8割以上を米軍基地が占める現実を前に、拳を振り上げる運動よりも、政府や米軍との「交渉」に、活路を見出そうとしてきた町長だったという。
その町長が20年間嘉手納町長をつとめたあげくの発言がこうなのだ。もはや取るべき道は一つしかない。嘉手納から米軍基地をなくす他はないのだ。基地を認めながらどのような策を講じても解決にはならない。
その当たり前の事を名護の市民が今求めているのだ。その市民に選ばれた稲嶺市長が日本政府に要求しているのだ。誰が日本の首相になろうとも、日米同意を白紙にして辺野古移転を米国に認めさせる他はない。
あろう事か、米軍基地の存在を利用して甘い汁を吸い続けてきた、我がシマ(故郷)の前町長Mをねぎらうかのような同情的見解を天木氏は述べているのだ。そして、「もはや取るべき道は一つしかない。嘉手納から米軍基地をなくす他はないのだ。」と言っている。
M(宮城篤実と実名を書いてもいいのだが、汚らわしいので、私はMと書く)は、天木氏が「元対米追従外交官」と貶す岡本行夫・元首相補佐官に誘導されて、島田懇談会を通じた防衛予算から250億円という巨額の市街地再開発のための資金をせしめる事に成功して、名町長ともてはやされ、5期連続(後の3期は無投票)当選を果たした「米軍基地大好き政治家」であるのが実像なのだ。再開発でできたビルの中には、岡本行夫と梶山静六・島田晴男という嘉手納に金を持ってきてくれた三人の「恩人」のレリーフも作られている。
Mは、再開発して建てた高層ビルに、那覇に在った「沖縄防衛局」をテナントとして誘致するというアイデアを思いつき、それ成功させた。(「沖縄防衛局」は米軍基地押し付け機関であり、今、高江でのヘリパット建設強行に狂奔している)防衛局の誘致成功を評価されて、前知事稲嶺恵一から副知事に誘われたが、格好つけてこれを断っている。そこまで出世すれば革新陣営から攻撃の的にされて、自分の私服肥やしを探られる事も避けたかったのだろう。
新聞もマスコミも、その実態を書くことないが、嘉手納町の大部分の人間は、郷土の誇りを重んじる事よりも、目の前の僅かばかりのカネをずっと大事に考える「植民地人間」に成ってしまっているの実情なのだ。Mが在職したこの20年でその傾向が加速されている。その辺の事情を私は以前の記事で書いたことがある。
また、嘉手納の「再開発」「防衛局誘致」の詳しい経緯を、沖縄タイムスの大和人記者・渡辺豪氏が、二〇〇九年三月一日〜七月一八日まで計八〇回にわたって連載していた。「『国策のまちおこし』嘉手納からの報告」として出版もされている。
新聞に連載するのだから、渡辺記者は嘉手納の町政を批判がましい論調で書くことはなかったが、「前書き」や「後書き」を読んでみれば、あの嘉手納の「再開発」・「防衛局」誘致の政策を深く静かに批判している内容だと判る。
天木直人氏は、恐らくこれまで沖縄に深く関わった経験がないのだろう。私利私欲のために、嘉手納に(という事は沖縄全体に)米軍基地を恒久化させる事に血道を上げた元首長を持ち上げながら、「もはや取るべき道は一つしかない。嘉手納から米軍基地をなくす他はないのだ。」と述べる矛盾に、天木氏は気が付かないのである。
反権力の姿勢明確な硬骨言論人でも、沖縄の事に関しては認識が甘いのだと考えざるを得ない。この辺が大和人の限界なのだろうかと、嘉手納人の小生は思ってしまう。
「メア放言」に関して 米国務省・メア日本部長がアメリカの学生の前で、「沖縄県民はごまかしとゆすりの名人」「沖縄県民は怠け者で、満足にゴーヤの栽培もできない」などと発言したとする事が露見して沖縄県民の怒りを買い、中央メディアも報道するに至って、ついにメア氏は更迭される事になったという。
しかし、この放言は、アメリカの日本関係の高官や、あるいは沖縄関連の日本政府官庁・官僚、関係政治家、マスコミ人の間の本音を、アメリカの日本通高官が代弁したものと言えるのではないか。「ゴーヤーも作れない」というのは出鱈目でしかないが、「ゆすりの名人」・「怠け者」と言ったのは、(もちろんこの沖縄侮蔑を丸出しにした日本部長を弁護するのではないが)あながち根拠の無いこととは言えないだろう。
日経新聞沖縄支局長だった大久保潤が書いた『幻想の島 沖縄』には、その沖縄人の怠惰ぶり、米軍基地存在ゆえにもたらされる「補助金」に頼りきった沖縄県及び市町村自治体の安逸さが、これでもかと云う位に書き連ねられている。
「ゆすりの名人」といえば、嘉手納の元村長・Mがその代表格だろう。以前にもこの事を記事にしたが、マスコミの前では渋面を作って米軍基地からの被害者を演じながら、「島田懇談会」からの数百億円の助成金の獲得に成功して、「名町長」の称号を得た。当然名誉だけでなく、自らの金銭獲得の実を取ったことはいうまでもない。この町長の腹黒さ、蓄財への執着心は知る人ぞ知るである。
Mだけでなく、仲井真現知事、稲嶺恵一前知事も「たかり」という点では同類である。仲井真は鳩山前首相が退陣する少し前までは、普天間基地の「県内移転」を容認していたのである。そうして日米両権力に従う事が、彼の出自である旧通産省、沖縄実業界の利益につながるのである。仲井真もMも今度のメア発言に対しては、県民の手前渋面を作ってみせる必要はあろう。
引用終了 ガチガチの沖縄左翼でさえも、メア発言は正鵠を射ていると認めざるを得ないというのに、 図星を指されて、怒り心頭というのが沖縄2紙とそこに巣食うエセ学者の面々。 やはり沖縄に住むと全体主義に染まってしまうものなのか。
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