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本稿はフライング・タイガース アメリカの「卑劣なだまし討ち」に一部加筆したものです。
だいぶ前のことだが、「パール・ハーバー」と言うハリウッド映画を見た。
所詮はアメリカの視点のハリウッド映画なので、ある程度の予測はしていたが、余りにもアメリカのご都合主義で貫かれた映画だったのには驚かされた。
歴史は自分たちの都合の良いよう歪曲されていた。
細部をここで取り上げる余裕は無いが、こんな映画でも全米で記録的ヒットをしたと言うから、たかが映画だと軽く見るわけに行かないと一人憤慨した。
映画の、キーワードは「リメンバー・パールハーバー」と「スニーク・アタック(卑劣なだまし討ち)」だった。
映画の中では再三この言葉が繰り返され日本憎悪のキーワードに使われていた。
◇
1991(平成3)年7月6日付ロサンゼルス・タイムズ紙の一面に、
米国民間人パイロットにより結成された対中国義勇団、通称フライングタイガースが、実は米国の正規兵であったことが米国当局によって公式に確認された、との記事が掲載された。
このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。
ところが同記事は、今までの主張を覆して米国務省がフライング・タイガース(AVG)の生存者100人を退役軍人と認定した、と伝えたのだ。
「日米開戦五十年」の記念日のこの年、フライング・タイガース結成から50年にして、
アメリカ政府は公式にフライング・タイガースを「義勇軍」ではなくて「正規軍」であったことを認めたのだ。
これは、日本の真珠湾攻撃以前に「中立国」であったはずのアメリカが、自国の「中立法」を侵して日中戦争に介入し、
宣戦布告なしの「SNEAK ATTACK」を日本にした、と政府が公的に認めたことを意味する。
フライング・タイガースと言っても日本では知る人は少ない。
だがフライング・タイガースの存在は、アメリカでは第二次大戦の英雄として知らぬ者がいないといわれる。
中国やビルマ戦線での「活躍」は世界中に知れ渡り、いまなお出版物があとを断たないという。 フライング・タイガースのロゴ入りジャンパーその他のグッズは今でも人気で販売されている。 そういえば沖縄では虎のマークを刺繍したジャンパーが米人のお土産グッズ店で今でも人気だと聞いた。 フライング・タイガースの創立には中華民国の蒋介石夫人・宋美齢が深く関わっている。
幼少の頃からアメリカに留学をして完璧な上流英語を話す蒋介石夫人・宋美齢は、アメリカの支援獲得に乗り出し、特にルーズベルト夫人メアリーの後援を受けた。 宋美齢はホワイトハウスで演説をした初めての東洋女性と言われている。
又タイム・ライフ社の社長の知己を得てタイムの表紙をも飾り、完璧な英語でラジオ等で中国の危機を訴える宋美麗の姿に、アメリカ人は「東洋に嫁に行った娘が里帰りして苦境を訴えている」と言ったイメージを抱き、蒋介石のアメリカの支援取り付け作戦は大成功した。 こうしたアメリカ上流階級との豊富な人脈からルーズベルト大統領の支援を取り付け、フライング・タイガースの創立者、退役軍人シェンノートとの遭遇に至るのである。
こうして「中立法」の壁を密かに踏みにじり、蒋介石は「人、物、金」を米国が提供し、中国空軍の識別マークで戦う異例の航空部隊を創設させる事に成功した。
まともに事を運べば明確な「中立法」違反であるから、シェンノートは身分を偽って「中国銀行員」を装い、軍事作戦は商行為の仮面をかぶって行われた。
1941年初頭から隊員の募集が始まった。
給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇。
現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出された。
ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じた。
これが「義勇軍」フライング・タイガース(AVG)の実態であった。
陸軍航空部隊長の1941年8月のメモによれば、米国正規軍としてのフライング・タイガース(AVG)の創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」という。
フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。 この事実は日本が開戦回避を必死で模索してワシントンで日米交渉を行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示しているのである。 アメリカが「リメンバー・パールハーバー」と対で使う「SNEAK ATTACK」(卑劣なだまし討ち)は、実は真珠湾以前に既にアメリカによって行われていたのである。 【おまけ】 中国の飛行場で「フライングタイガース」のエンブレムのサメが描かれた米軍P-40戦闘機の隊列を護衛する中国人兵士、1942年撮影。
A Chinese soldier guards a line of American P-40 fighter planes, painted with the shark-face emblem of the "Flying Tigers,"
at a flying field somewhere in China, cira 1942. Photo courtesy of National Archives.
日本の戦闘機と交戦するフライングタイガー米戦闘機 フライングタイガーの創始者シェノート大将
General Claire Lee Chennault
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中国やビルマ戦線での「活躍」は世界中に知れ渡り、いまなお出版物があとを断たないという。 フライング・タイガースのロゴ入りジャンパーその他のグッズは今でも人気で販売されている。 そういえば沖縄では虎のマークを刺繍したジャンパーが米人のお土産グッズ店で今でも人気だと聞いた。 フライング・タイガースの創立には中華民国の蒋介石夫人・宋美齢が深く関わっている。
幼少の頃からアメリカに留学をして完璧な上流英語を話す蒋介石夫人・宋美齢は、アメリカの支援獲得に乗り出し、特にルーズベルト夫人メアリーの後援を受けた。 宋美齢はホワイトハウスで演説をした初めての東洋女性と言われている。
又タイム・ライフ社の社長の知己を得てタイムの表紙をも飾り、完璧な英語でラジオ等で中国の危機を訴える宋美麗の姿に、アメリカ人は「東洋に嫁に行った娘が里帰りして苦境を訴えている」と言ったイメージを抱き、蒋介石のアメリカの支援取り付け作戦は大成功した。 こうしたアメリカ上流階級との豊富な人脈からルーズベルト大統領の支援を取り付け、フライング・タイガースの創立者、退役軍人シェンノートとの遭遇に至るのである。
こうして「中立法」の壁を密かに踏みにじり、蒋介石は「人、物、金」を米国が提供し、中国空軍の識別マークで戦う異例の航空部隊を創設させる事に成功した。
まともに事を運べば明確な「中立法」違反であるから、シェンノートは身分を偽って「中国銀行員」を装い、軍事作戦は商行為の仮面をかぶって行われた。
1941年初頭から隊員の募集が始まった。
給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇。
現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出された。
ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じた。
これが「義勇軍」フライング・タイガース(AVG)の実態であった。
陸軍航空部隊長の1941年8月のメモによれば、米国正規軍としてのフライング・タイガース(AVG)の創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」という。
フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。 この事実は日本が開戦回避を必死で模索してワシントンで日米交渉を行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示しているのである。 アメリカが「リメンバー・パールハーバー」と対で使う「SNEAK ATTACK」(卑劣なだまし討ち)は、実は真珠湾以前に既にアメリカによって行われていたのである。 【おまけ】 中国の飛行場で「フライングタイガース」のエンブレムのサメが描かれた米軍P-40戦闘機の隊列を護衛する中国人兵士、1942年撮影。
A Chinese soldier guards a line of American P-40 fighter planes, painted with the shark-face emblem of the "Flying Tigers,"
at a flying field somewhere in China, cira 1942. Photo courtesy of National Archives.
日本の戦闘機と交戦するフライングタイガー米戦闘機 フライングタイガーの創始者シェノート大将
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