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沖縄の方々もほとんど知らない歴史。
読谷村北飛行場跡地、そこは1945年5月24日
熊本県健軍から飛び立った義烈空挺隊終焉の地です。
10機の爆撃機に100名余りの陸軍兵士が乗り込み
沖縄の北飛行場(読谷飛行場)と中飛行場(嘉手納飛行場)に強行着陸をし航空機や燃料を破壊することを目的としていました。
しかしその多くが対空砲火にて撃墜され
1機だけが読谷飛行場に強行着陸します。
その機から躍り出た兵士たちは米軍と交戦しながら
数機の航空機を破壊、燃料を炎上させ玉砕しております。
復帰後、平和学習の中でこの事実は子供たちに伝えられることはありませんでした。
なぜなら、沖縄県民は常に被害者であり
本土から見たら捨て石だったと被害者意識を醸成するには
不都合な事実だったからだと思います。
その飛行場跡地に「がんばれ日本」のメンバー約50名が参拝し、
出撃時以来であろう多くの国旗が掲げられ
鎮魂の思いを込めて海ゆかばと君が代が斉唱されました。
全員黙とうの際に不思議なことが起きました。
黙とうの間、風が突然強く吹き出し国旗を激しく揺らしたのです。
飛び立つ時に振られた日の丸を
この地で終焉を迎えた英霊の方々が思い起こしたのだろうか。
沖縄は決して捨て石ではなかったのです。
この歴史の事実を少しでも多くの方々に伝えていきたいと思います。
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