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上原正稔著「歪められた沖縄戦史」世界日報に連載中

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4月14日付世界日報に連載のドキュメンタリー作家上原正稔著「歪められた沖縄戦史」の第二回を、掲載します。(毎週土曜日掲載)

目撃した米兵の手記入手、名誉回復求め提訴 歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (2)  

 2005年8月4日、梅澤裕さんと故赤松嘉次さんの弟の秀一さんは、住民に「集団自決」を命じていないとして大阪地裁に「名誉回復」目的で訴訟を起こした。被告は『鉄の暴風』を編集した沖縄タイムスではなく、意外にも『沖縄ノート』の著者大江健三郎氏とその出版社、岩波書店だった。勝訴に自信満々だった原告弁護団はノーベル平和賞受賞作家の大江氏と大手出版社岩波をターゲットに選んだが、外部にいる者(筆者も含めて)からすれば、完全勝訴は間違いないはずだった。

 しかるに、「集団自決」の真相に迫る証拠資料や証人は数多く存在している。 『沖縄ノート』は「集団自決」だけでなく、沖縄の左翼陣営の文化人にアレコレ聞いているだけで中身はほとんどないからだ。しかも、大江氏は『鉄の暴風』からの受け売りの知識をひけらかしているだけで、赤松戦隊長の名も出さず、“罪の巨塊”とか批判しているにすぎない。

 筆者は1985年、沖縄タイムス紙上でアメリカ第10軍のG2サマリーを中心にした『沖縄戦日記』を連載し、その中でニューヨーク・タイムズの報道する渡嘉敷島住民の“集団自決”を発表した。

 <神もおののく集団自決―3月29日発(英語ではMass suicide=集団自殺) 昨夜、我々第77師団の隊員は、渡嘉敷の険しい山道を島の北端まで登りつめ、その時1マイルほど離れた山地から恐ろしいうめき声が聞こえてきた。(中略)この世で目にした最も痛ましい光景だった。死亡者の中に6人の日本兵(※)がいた。――数人の生存者が一緒に食事をしているところに生き残りの日本兵(※)が割り込んできた時、彼らは日本兵(※)に向かって激しい罵声を浴びせ殴りかかろうとした>

 筆者はこの時点では気付かなかったが、※印を付した「日本兵」とは実は武器弾薬を装着した防衛隊員である。このことを知ったのは、95年春と夏に、渡嘉敷島に渡って現地調査をした時だった。アメリカ兵には日本兵と防衛隊員の区別がつかなかったのだ。

 その前年の94年、筆者は戦後50周年に沖縄を訪れるアメリカ人遺族関係者を迎えるために「おきなわプラス50市民の会」を組織し、その移動の中で、慶良間諸島の慶留間(げるま)島と渡嘉敷島の「集団自決」を目撃したグレン・シアレス伍長の手記を入手した。それはハードボイルドでありながら、実に感動的で衝撃的なものだった。

 95年には翻訳しておらず、英文そのままだったことに注意しよう。筆者がシアレス伍長の手記を『沖縄戦ショウダウン』として発表したのは96年の6月だった。

 【追記】

14日付世界日報に掲載の第一回を追記します。

 

歪められた沖縄戦史、隠蔽された『鉄の暴風』の誤報 歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (1)
  「梅澤少佐の不明死」

 

 人はよく「戦争とは醜いものだ」と言う。だが、筆者は、最も醜いはずの戦争に中に、最も美しい人間の物語を発見し、数々の沖縄戦の物語を伝えてきたが、現在につながる大切な物語の一つの終わりがまだ見えない。それは住民の“集団自殺”の真相だ。そもそも沖縄県慶良間諸島の「集団自決」が事の始まりだ。

上原 正稔

 うえはら・まさとし 1943年、沖縄県糸満市生まれ。ドキュメンタリー作家。83年に沖縄戦フィルムを買い取る「1フィート運動」を開始し、映像を通して沖縄戦を伝えた。その後、沖縄戦の連載を地元紙に執筆。2007年には連載「パンドラの箱を開ける時」を掲載拒否された件で琉球新報に勝訴した。主な著書に「沖縄戦トップシークレット」(沖縄タイムス)。

 渡嘉敷島の第3戦隊長の赤松嘉次(よしつぐ)大尉と座間味島の第1戦隊長、梅澤裕(ゆたか)少佐の“玉砕命令”により「集団自決」が始まったとの風説は超ロングセラー『鉄の暴風』に起因する。

 1950年8月15日、沖縄タイムス編集、朝日新聞出版の『鉄の暴風―現地人による沖縄戦記』を発行した。初版2万部は驚くべき数字だが、第2章「悲劇の離島・集団自決」の稿を除けば、今でも参考にすべき戦記だということも驚きだ。

 この本によって赤松大尉と梅澤少佐は集団自決を命じた「極悪人」であることが「暴露」され、そのイメージが定着した。ところが70年、曽野綾子氏が赤松さんら第3戦隊の隊員らに取材し、現地調査を行い、『ある神話の背景』を著し、「赤松嘉次さんは集団自決を命じていない」と発表した。それでも、沖縄の人々が真実の言葉に耳を傾けることはなかった。

 『鉄の暴風』によると、伊佐(後に大田に改名)良博氏が執筆した「集団自決」の稿の最後に、座間味について「米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた」と記されている。「日本軍は最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅澤少佐ごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの2人と不明死を遂げたことが判明した」と稿を閉じている。

鉄の暴風

沖縄タイムスが編集したベストセラー「鉄の暴風」

 ところが、この記述は現在市販されている『鉄の暴風』から見事に削除されている。なぜか。それは、70年4月、東京タワーでアメリカ人牧師を人質に取り、言いたい放題の暴言を吐き、マスコミの人気者になった沖縄生まれの富村順一氏が梅澤さんが生きていることを嗅ぎつけ、沖縄タイムス社に足を運び、それをネタにタイムスを脅迫して金銭を要求。まんまと50万円をせしめたからだ。これは有名な裏話だが、タイムスが語れない恥ずべき秘話となっている。

 「梅澤少佐ごときは2人の慰安婦と共に不明死を遂げた」との記述とその隠蔽(いんぺい)工作はまさに名誉棄損そのものだ。

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