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再論・集団自決、重用証人の死と教科書問題の終焉

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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重用証人の死と教科書問題の終焉2009-12-03 より編集した再掲です。                   ★

 

今朝の沖縄タイムスから「教科書検定意見撤回」の記事が完全に消えた。

そしてその三日前の11月30日、「集団自決」の重要証人が亡くなった。

その11月30日、「9.29県民大会決議を実現する会」の代表が、川端文科大臣に面談し、「撤回要請」に引導を渡されたことを書いたが、面談には代表の玉寄永哲氏(ちょん髷ジーさん)、大田守守県PTA連合会長らの他に、高嶋伸欣琉球大名誉教授や石山久男歴史教育者協議会前委員長らのおなじみの面々も参加した。

それに加えて沖縄選出・出身の衆院議員の玉城デニー氏(民主)、瑞慶覧長敏氏(同)、照屋寛徳氏(社民)、赤嶺政賢氏(共産)、参院議員の喜納昌吉氏(民主)、山内徳信氏(社民)ら政権与党側の政治家も同席して圧力を加えたつもりだったが、結論は川端大臣の「検定意見に政治介入はない」という一言で、取り付く島も無い状況であった。

■根拠を失った「検定意見撤回要請」

集団自決問題の核心が「軍命(強制)の有無」であることは、肯定派も否定派もともに共に認めること。 

では、左翼勢力にとって「軍命(強制)がった」ということが、何ゆえそんなに重要なのか。

「軍命(強制)あった」と証明されれば、それが教科書に記述されることになり、結局「残虐非道な日本軍」という印象が定着し、反日の大きなうねりが国民的に定着することになる。

「軍命(強制)の有無」は、ことほど左様に、左翼陣営陣営にとって最大の重要事項なのである。

だとしたら、現在原告側が上告中の「集団自決訴訟」の最高裁判決がどうであれ、「集団自決問題」の最大の争点は既に大阪高裁で決着しているわけだから、今さら「撤回要請団」が上京して関連大臣撤回を要請すること自体が論理的に何の根拠もないことである。 従って大臣がわざわざ彼らに面会に応ずる必要もないことだった。

仮に最高裁の判断が被告側全面勝訴であったとしても、大江・岩波の出版物を継続出版してよいということだけであり、「軍命(強制)の有無」に関しては、昨年10月31日の大阪高裁で「軍命は証明出来ない」として、事実上「軍命は無かった」として決着している。

その一方、裁判と平行して論議されていた「教科書検定意見」も、2008年12月26日の文科省発表で「軍命(強制)は削除」と決定している。

「集団自決問題」の核心である「教科書に軍命(強制)」を記述するという左翼勢力の野望は、2008年の年末で全てあえなく粉砕していたというのが動かしようの無い事実である。

ところが、それでは納まらないのが沖縄タイムスを中心にした左翼勢力。

「11万人集会」の幻を引きずって、「沖縄の民意」は「軍命(強制)あり」だとして、断続的にキャンペーンを継続してきた。

その最後の決着が先日、11月30日の沖縄側の「検定撤回要請団」と川端文科大臣の面談である。

これまでも沖縄の「要請団」が関係大臣に面談して何度も撤回要請をしているが、今回の川端大臣がこれまでの自民党内閣の関係大臣と違う点は、誤解されるような文言を一切排し、きっぱりと撤回要求を拒否していることだ。

政治家である関係大臣が「県民の意思を重く受け止める」とか、首相「県民の気持ち分かる」という発言は、

政治家としての「枕言葉」であり、それ自体にはあまり深い意味はない。

国民を一票を持つ選挙民と見る大臣にとって「県民の意思をを軽く受け流す」とも「県民感情を無視して」ともいえないだけの話だ。

だが、この情緒的文言がしばしば誤解となって新聞の見出しとなって読者を惑わすことになる。

いや、沖縄タイムスなどは、むしろ誤解した振りをして、確信犯的に都合のよい解釈の記事で読者をミスリードしてきた。

自民党時代の渡海文科大臣や町村官房長官が発していた「県民感情配慮」を臭わす情緒的発言がいかに県民を惑わしてきたことか。

ざっと拾っただけでもこの有様だ。

「文科省でしっかり検討」 参院代表質問に福田首相  (10/4 17:04)

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自民党時代の関係閣僚でさえ、このような曖昧発言だったのだから、民主党政権なら、大臣の裁量で検定意見の撤回も夢ではないと、「検定意見撤回要請団」は考えたのだろう。

だが、川端大臣は政治家の枕言葉抜きで、冷徹にも「教科書検定への政治介入」を否定した。

「検定意見撤回」に引導を渡したという意味で2009年11月30日は、「集団自決」論争にとって歴史的な日だともいえる。

長年、この問題で「軍命(強制)はなかった」という立場でブログを書き続けてきた当日記としては上手い酒でも飲んでお祝いでもしてみたい気分である。

■重要証人の寂しい死

11月30日、玉寄氏ら「検定意見撤回要請団」が、川端文科大臣に「撤回拒否」に引導を渡された日は歴史的日だと書いたが、その同じ日に沖縄は那覇の老人施設で、集団自決の重要証人の一人金城重栄氏がその84歳の生涯をひっそりと閉じた。

金城重栄氏といえば、集団自決「軍命あり派」のシンボルとも言える金城重明氏の実兄であり、重明氏と二人で自分の両親と家族を殺害したことで知られている。

弟の重明氏がいち早く島を出て、「軍命あり派」の証言者として、自著やマスコミ、講演会などで大活躍し、「軍命あり派」の象徴的存在になったのに対し、兄である重栄氏は戦後も座間味に在住し、証言等でマスコミに登場することも無かった。 

ところがこの数年NHKを中心にしたマスコミが重栄氏に「軍命あり派」の証言者としてのターゲットを定め、特にNHKなどは数回にわたり重栄氏出演の特別番組を放映した。 

番組で重栄氏は親兄弟を自らの手で殺害した事実は証言した(させられた)が、「軍命でやった」とは明言していない。

ところがNHKは卑劣にも「戦陣訓」の頁を画面に大写しにして、ナレーションで「戦陣訓は重栄氏にとって軍命であった」と、勝手に「軍命」をねつ造して放映した。 

最後の番組では重栄氏が認知症にかかり、長年住んだ島を出て那覇の老人施設に入居する寂しそうな姿も放映された。

施設を訪問した弟重明氏との対面が放映されたが、驚くべきことに、この兄弟が対面したのは同じ沖縄に住みながら何十年ぶりだという。

弟重明氏は、若い頃島を出て以来、ほとん島に帰ることもなく、年に一度の島で行われる戦没者慰霊祭にも参加していないと聞く。

一方の、兄重栄氏は戦後も島に住んではいたが、慰霊祭には参加することもなく、誰もいない時一人で人目を避けて慰霊しているとNHKは報じていた。

弟重明氏のある意味派手な証言活動に比べ、重栄氏は何も語ることなくひっそり島に住んでいたのだが、マスコミによってその静かな生活が破られることになる。

重栄氏が、重明氏の実兄であることをNHKなどのマスコミにかぎつけられ、心ならずも「軍命あり派」の証言者として、マスコミに引っぱり出されたのではないのか。 少なくとも筆者にはそう見えた。

渡嘉敷在住の知人からの情報にも、これ以上マスコミのおもちゃになると、島には住み難くなるのでは、といった声を聞いたが果たせるかな重栄氏の晩年はNHKにもみくちゃにされ、結局那覇の施設で寂しく晩年を迎えることになったようだ。

重栄氏の死亡広告を見ると、親戚の」連名の他に弟重明氏の名も記載されていたが、通常この手の広告に付き物の「渡嘉敷郷友会」といった島の団体の記名がなかった。 やはり重栄氏はマスコミに翻弄され、村八分状況のまま晩年を迎えたのであろうか。

だとしたらNHKも随分罪な事をしたことになる。

それにしても、川端大臣が「検定意見」を明確に拒否したことは、教科書問題が終焉した日として祝杯を上げたい気分の反面、同じ日に「軍命あり派」の重要証人が亡くなったことを知り、複雑で感慨深いものがある。

金城重栄さんのご冥福をお祈りします。

合掌。

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