秦 郁彦
PHP研究所
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■ご報告■
ランキング不具合についてその後の経過をご報告します。
先にご報告した文章に、現在の状況を赤文字で書き加えました。
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3月にはいってから突然ブログランキングが急落をし始め、一気に150位前後に転げ落ちました。
原因不明のまま試行錯誤を続け、一時「政治」カテゴリーを「教育」カテゴリに変更したところ、30位前後まで順位を回復しました。
ですが実は、この現象は以前に下位にランクしていた「教育」カテゴリーが上昇し、下落中の「政治」カテゴリーが売れ変わった現象です。
したがって、現在31位(6時20分現在)のブログは下位から上昇した「教育」カテゴリーのブログです。
一方、かつて15位前後をキープしていた「政治」カテゴリーのブログは現在150位(6時20分現在)で低迷しています。
ただ、31位前後までたどり着いた「教育」カテゴリーブログは30位前後が限界のようで、なかなか30位以内に突入することは困難のようです。
そこで、一昨日(23日)従来の「政治」カテゴリーを解約し、新たに「政治」カテゴリーの登録をしてみました。
その結果、24日の早朝新しい「政治」カテゴリーブログが登場しました。
筆者が確認したときは86位でしたが、その後激しい勢いでランクアップを続け、昨夜10時23分に確認したときは60位にアップしていました。
今朝6時23分現在で確認したら57位でした。
昨日一日で約30位ゴボウ抜きの躍進です。
したがって同じ狼魔人日記が現在三件ランキング登録されている状況です。
複雑ですので整理をしましょう。
・1件⇒現在31位前後(旧「教育」カテゴリーが上昇したもの。)⇒4月3日午前7時現在⇒30位
・2件⇒現在150位前後(旧「政治」カテゴリーが原因不明のまま急落、現在低迷しているもの)⇒4月3日午前7時現在159位
・3件⇒現在57位で今回新たに「政治」カテゴリーで登録したもの。4月3日午前7時現在44位
今後1件目が低落し、3件目が急上昇し、2~3日以内に入れ替わる可能性が有ります。
読者の皆様は、ご覧になったブログをクリックしていただけば、問題ありません。
今後ともご支援のほど宜しくお願いいたします。
管理人
過去ブログ星雅彦氏が『鉄の暴風』を批判!『正論』12月号論文で2009-11-03 を一部編集した採録です。
★
『正論』12月号に掲載の星雅彦氏の論文【「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった ――沖縄集団自決の真実と謎】から一部抜粋して引用します。(強調部分は筆者)
出版の背景にちらつくGHQの影
『鉄の暴風』の筆者は、記者で詩人の牧港篤三と記者で小説家の太田良博の二人、牧港は日本の戦記出版物はすべて読んだという戦争通で、太田は米国民政府(ユースカー)に勤めていた経験があった。
太田は米国民政府から沖縄戦に関する資料を提供をしてもらっていたと思われるが、漏洩防止の密約をしていたのであろう、米軍資料については、口外することはなかった。
私は三十年ほど前に、米軍情報に関連したことを訊いたことがあったが、彼は薄笑いを浮かべて「憶えていない」というだけであった。 二人は本島内に数回出かけた程度でほとんど現地取材をしておらず、伝聞や手記、日記、そして米軍資料をもとに戦記物語を書きまくったらしい。書きあがった原稿は豊平の監修をへて、翁長敏郎(のち琉球大学教授)が英訳を担当、12月で作業を終了した。 その頃、軍政長官としてJ・R・シーツ少将が着任した。 シーツ長官は『鉄の暴風』の英文原稿を受け取ってはいたが、その内容については明瞭な説明は受けてはいなかったようだ。(189頁)
◇
『鉄の暴風』は初めて書かれた沖縄の沖縄戦の記録であり、その後の沖縄戦を描いた戦記の原点となっている。 これまで沖縄戦については著しい数の著作が刊行されているが、一部を除いてほとんどが同書を種本にしているといっても過言ではない。
1960年代後半に初版を読んだ私は、引き込まれるように読んだ記憶がある。
私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。
あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。 この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。
因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)
◇
論文の筆者の星雅彦氏は、『鉄の暴風』の著者の太田良博氏や牧港篤三氏と親交があった。
そのため、氏ならではの注目すべき体験的記述が見られる。
太田、牧港の両氏が現地取材をせずに『鉄の暴風』を執筆した。
一方、星氏は、いち早く県史作成のため、渡嘉敷、座間味両村の現地聞き取りを実行した。
集団自決を検証した沖縄の識者の中でも先駆的人物である。
その星氏が『鉄の暴風』を称して「私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった」と言う。
その推理小説風読み物を鵜呑みにして書いた大江健三郎著『沖縄ノート』が、いかにデタラメな内容であるかは推して知るべしである。
ところが、その「推理小説風読み物」を、資料的価値があると判決文で書いた大阪高裁の小田裁判長は、『鉄の暴風』を推理小説の貴重な資料と勘違いしたのだろうか。
因みに大阪高裁判決文ではこういっている。
《・・・「鉄の暴風」には,初版における控訴人梅澤の不審死の記載(これは甲B第6号証及び乙第2号証によれば,平成5年7月15日に発行された第10版では削除されていることが認められる。),渡嘉敷島への米軍の上陸日時に関し,誤記が認められるものの,戦時下の住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として,資料価値を有するものと認めるのが相当である。 》
太田氏と親交があった星氏ならではの次の記述も、『鉄の暴風』の持つ性格を如実に表して特に興味深い。
太田は米国民政府から沖縄戦に関する資料を提供をしてもらっていたと思われるが、漏洩防止の密約をしていたのであろう、米軍資料については、口外することはなかった。
私は三十年ほど前に、米軍情報に関連したことを訊いたことがあったが、彼は薄笑いを浮かべて「憶えていない」というだけであった。 二人は本島内に数回出かけた程度でほとんど現地取材をしておらず、伝聞や手記、日記、そして米軍資料をもとに戦記物語を書きまくったらしい。
なお同論文で星氏は、『鉄の暴風』の内容の間違いに関しては約20項目に渡って指摘している。
参考エントリー:『鉄の暴風』の取材背景 梅澤隊長“生死”の誤記
【付記】
昨日の石垣市長関連の「速報」で、ドタキャンの理由を「入院のため」と報告したのは、一部不正確でしたので「眼科検診のため」と訂正して、お詫びいたします。
なお詳細については既にご承知の通り、チャンネル桜の大高キャスターが現地に飛んでおりますので、次の動画をご覧下さい。
【動画】⇒【大高未貴現地報告】「石垣市長強姦未遂」疑惑を問う[桜
沖縄戦「集団自決」の謎と真実秦 郁彦
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