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慶良間の集団自決は「軍命」,つまり日本軍に命令された結果ではない!
当日記は断続的に、この事実を明確にしてきた。
沖縄2紙の圧倒的な印象操作報道に打ち勝つためである。
きのう、2018年3月29日付琉球新報社会面トップの大見出しの紹介。これまでの琉球新報の論調から「集団自決は日本軍の命令による」と印象操作される。
「集団自決」忘れない
渡嘉敷 慰霊祭 300人超
悲しみ癒えず
腕ちぎれ、目つぶれ
血が流れ
文科省検定意見により、集団自決の「軍命説」は教科書に掲載できない。
当然「軍命説」が新聞に掲載できるはずはない。
そこで沖縄2紙は必死の印象操作を見出しで画策。
記事本文にも「日本軍の命令で住民らは島北部の北山(にしやま)に集められた。行き場をなくした住民らは28日、極限状態の中で「集団自決」に追い込まれ330人が亡くなった」などと「日本軍の命令」の印象操作に懸命である。
住民が北山に集まったのは、地理に不案内新任の安里巡査が、先に着任し地理に詳しい赤松隊長に相談しアドバイスを受けた結果であり、「日本軍の命令」で集まったわけではない。結果論だが島を米軍艦に包囲された渡嘉敷島では逃げ場所はなく、どこへ逃げても袋のネズミであった。
「集団自決」忘れない 渡嘉敷慰霊祭、100人超が参列
琉球新報 2018年3月29日 06:50
沖縄戦
渡嘉敷島
集団自決
強制集団死
白玉之塔
慰霊
慰霊祭
渡嘉敷村
白玉之塔の刻銘板に向かって手を合わせる参列者ら=28日、渡嘉敷村の白玉之塔
【渡嘉敷】1945年3月28日、沖縄戦時に渡嘉敷島で起こった「集団自決」(強制集団死)から73年の28日、沖縄県渡嘉敷村の白玉之塔で、村主催の慰霊祭が開かれた。100人を超える遺族、関係者らが参列した。参列者は刻銘板の中から家族や友だちの名前を探し、近くに花を手向け、鎮魂の祈りをささげた。
松本好勝渡嘉敷村長は式辞で「光陰矢のごとし、73年を迎えた。われわれは悲惨な沖縄戦を瞬時も忘れてはならない」と話し、悲惨な歴史を後世へ継承していく決意を示した。
渡嘉敷小中学校の児童生徒は折り鶴で、不戦の誓いを示す「誓」の一文字を表した作品を奉納した。同中2年の山本勘太さん(14)は「平和学習や体験者に聞いた話を僕たちがさらに小さい子に語り継いでいきたい」と話し、刻銘板に向かって静かに手を合わせた。
妻ナへさんと共に「集団自決」で亡くなった第5代村長で、戦時中は産業組合長だった眞喜屋實意(じつい)さんの娘・宮城幸子さん(91)=宜野湾市=は、刻銘板に刻まれた両親の名を泣きながら指でなぞり「お父さん、お母さん」とつぶやいた。
宮城さんは渡嘉敷島で生まれ、16歳だった戦時中は瑞泉学徒隊に動員され、本島内にいた。両親の死を知らされたのは敗戦後。「涙は枯れないよ。島のどこを見ても涙が出る。これから先、あんな体験は誰にもさせてはいけない」と険しい表情で話した。
45年3月27日、米軍が渡嘉敷島に上陸。日本軍の命令で住民らは島北部の北山(にしやま)に集められた。行き場をなくした住民らは28日、極限状態の中で「集団自決」に追い込まれ330人が亡くなった。