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昨夕、浦添市の産業支援センターで行われた日本沖縄政策研究フォーラム主催の県政奪還県民大会に参加した。
約100席の会場は開演前に満席の盛況で、参議員の山田宏氏の「沖縄の歴史戦の本丸、政府の歴史認識を正したj国会質疑」と題する講演に続き、照屋守之自民党県連会長、花城大輔県議、大山孝夫那覇市議らが登壇し最後は主催者側の仲村覚理事長が「沖縄から復活させよう!自主防衛精神」と題して熱っぽく語った。
山田議員が、「眠れる獅子」といわれた明治期の大国・中国(清)が「琉球は中国の領土」と難癖をつけた事に対し当時の明治政府は明治維新を為し遂げたばかりにの弱小国の日本政府が毅然と反論した(日清戦争以前)事実を紹介したときは、会場から大きな拍手が巻き起こった。
明治政府の寺内宗則外務大臣は、中国の主張に対し、沖縄の言語、文化、宗教などの膨大な資料を列挙し、「(明治期以前の)数百年前(薩摩の琉球入り)から琉球は日本の一部である」と反論した。
沖縄のメディアは左翼系の集会は、例え数十名の小規模集会でも、誇大に報道する。
だが、今回のような保守系の集会は、たとえ大規模集会であっても決して報道しない。
特に今回の集会は、中国が沖縄の帰属問題に口出しをするという県民にとった関心の深いテーマの集会だが、今朝の沖縄タイムスは例によって一行の報道も無い。
「報道しない自由」により、県民の知る権利を奪っている沖縄2紙。
一方、今朝の八重山日報本島版は、次の大見出しが一面トップで躍っている。
八重山日報は、県民の知る権利に応えて、大活躍である。
中国の琉球統治証拠なし
「3戦」戦略で沖縄取り
山田宏参院議員が講演
浦添市で県政奪還県民大会
八重山日報本島版 2017年8月27日
中国の琉球統治証拠なし 「3戦」戦略で沖縄取り 山田宏参院議員が講演 浦添市で県政奪還県民大会 山田氏は約一時間の講演で、歴史を知り発信することの重要性を語った=26日、浦添市産業支援センター【浦添】自民党参議院議員の山田宏氏は26日、浦添市の「県政奪還県民大会(主催・日本沖縄政策研究フォーラム)」で講演し、沖縄が日本の領土の一部である三つの証拠があるとした。外務省の調査で1609年以降に薩摩藩が琉球で検知を行った事実は、日本の統治を示す証拠だとし「当時、中国大陸を支配した明や清の琉球統治を示す歴史的資料はない」と断言した。
中国側の資料で明の高官が1617年に日本の統治を認めた事実や江戸時代に日本と貿易していたオランダに江戸幕府が、琉球は日本の一部なので琉球船から強奪するなと通知した事実を紹介した。
☆
山田氏の講演のポイントはこうだ。
かつて鈴木宗夫議員が沖縄の領有有権を主張する中国に対し政府見解を質問した。
当時の政府見解は閣議決定により、「日本は、明治の初期の琉球藩の設置、続く廃藩置県などにより沖縄は日本の一部だった。 だが、廃藩置県以前はよく分からない」という曖昧なもの。
これでは当時(明治期)の国際法上は日本の領土と主張できても、中国の「歴史戦」には敗退してしまう。
中国は「琉球は冊封体制により中国に朝貢していたので中国の領土だったが、明治期に日本に強奪された」という主張しており、中国の「歴史戦」には勝てない。
中国の沖縄収奪の野望は、今に始まったものではなく、明治期にも当時の明治政府の対し「琉球は中国・清の領土」と主張していた。
中国の主張に対し、当時の寺島宗則外務大臣が、沖縄は古来日本であることを膨大な資料をあげて主張した。
寺島外務大臣は、正式には徳川幕府(1609年の薩摩の琉球入り)になってから、沖縄が、琉球が日本の一部になったと、言語、文化、宗教の面らも、日本の一部であるという明確な資料を中国に提出の上、反論している。
現在の外務省も明治期の寺島外務大臣に見習うべきと考えた山田議員が、仲村覚氏の提供した資料を基に、政府見解に「補足説明」を付して、「明治期以前は分からない」という政府見解を明治期の寺島外務大臣の「政府見解」にまで「修正」することに成功した。
「昔は良かった」式の懐古趣味に耽るのは感心しないが、明治期の寺内宗則外務大臣が大国清の言いがかりを相手に堂々と反論した事実を顧みると、「昔の政治家は偉かった」と脱帽せざるを得ない。
現在の政治家は国益を第一に考える寺内外務大臣に見習うべきである。
山田議員の講演は沖縄県民として非常に興味深い話だったので、改めて内容を整理し発表したいとおもいます。
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