那覇市議選は翁長知事を支持する与党が過半数割れし、自民党が一議席増で、来年の知事選を睨む代理戦争は、翁長知事のお膝元にしてはまずまずの結果だった。 ただ、安保破棄、天皇制破棄を主張する共産党が、依然として与党系第一党を占める那覇市政は、依然として異常である。 沖縄タイムス+プラス ニュース 翁長知事を支持する与党、過半数割れ 那覇市議選 中立が多数、自民も増 沖縄タイムス 2017年7月10日 03:20 那覇市議選2017選挙那覇市城間幹子翁長雄志オール沖縄自民党
那覇市議会議員選挙は9日投開票され、即日開票の結果、城間幹子市政を支える与党の当選者は16人で、1議席を減らし、過半数には届かなかった。野党は現有4議席から3議席伸ばし、7人が当選した。市政に対して中立を標榜する当選者が17人で最も多かった。投票率は51・20%で、2013年の前回選挙より8・94ポイントを下回り、補選を除き戦後最低だった。
前 拡大する党派別当選者数
拡大するトップ当選を確実にし、支持者と万歳で喜ぶ自民現職の奥間亮さん(前列中央)=10日午前0時42分、那覇市高良(喜屋武綾菜撮影)
拡大する那覇市議選:当選者40人の顔ぶれ(選管最終)
拡大する当選者:与野党の内訳
拡大する党派別当選者数
拡大するトップ当選を確実にし、支持者と万歳で喜ぶ自民現職の奥間亮さん(前列中央)=10日午前0時42分、那覇市高良(喜屋武綾菜撮影)
次城間幹子市長の就任後、初めての市議選。翁長県政と協力する市長の与党が多数議席を維持できるかが焦点となっていた。野党・中立勢力が与党の議席を大きく上回り、議会での攻防は激しさを増すことが予想される。与党が議席を減らし、城間市政に厳しい審判となった。
定数40議席をめぐり、現職31人、新人31人、前職3人、元職2人の計67人が立候補。現職23人、新人14人、前職2人、元職1人が当選した。県内政党は、来年11月の県知事選や市長選の前哨戦と捉え、各候補の支援に全力を挙げた。県都で「オール沖縄」勢力の与党が過半数を獲得できず、翁長県政への影響も避けられない状況だ。
政党別公認は、自民12人、公明7人、共産7人、社民3人、社大2人、民進2人、維新2人、幸福1人。推薦は自民が2人、社民1人、維新1人。その他の政治団体から4人が立候補した。無所属候補は23人。
与党側は共産が7人、社民が3人、社大が2人、民進が1人当選。野党の自民は、7人が当選。中立の公明は7人が全員当選した。
当日有権者は25万5081人。男性12万1551人、女性が13万3530人。13万614人が投票した。
党派別
与党系は過半数割れとなった。 与党系16人、野党系8人、中立系16人が当選した。
与党系は開戦前より人数を減らしたものの、政権与党の枠組みの自民と公明を合わせた14議席を上回り、辛うじて多数は維持した。
ただ、今後の市政運営や与野党の構成は、中立系の動向が鍵となるため、城間幹子市政には慎重なかじ取りが必要となる。
翁長雄志知事を支えてきた無所属会派新風会が2議席を減らし、来年に控える県知事選や那覇市長選にも影響を与えそうだ。
政党別では、与党系で共産が7人を公認し全員が当選。社民は公認3人、社大は2人、民進は1人が当選した。
野党系の自民は公認7人が当選した。今回中立系とした公明は7人全員が当選し改選前の議席を守った。維新は公認推薦2人が当選し市議選初の議席となった。無所属では11人が当選した。
今回の選挙戦では現職31人、元職3人、前職2人、新人31人の67人が多数激戦を繰り広げた。当選者は現職23人、元職2人、前職1人、新人14人。現職8人が落選した。
投票総数は過去最低の投票率51・2%で13万614だった。
翁長知事支持の与党が過半数割れはしたものの依然として、日米安保破棄、天皇制廃止、暴力革命を主張する共産党が与党系の第一党を占める那覇市議会。
共産党の恐ろしさに鈍感な沖縄県民に下記【おまけ】は、来年の知事選を睨んで、熟読していただきたい論評である。
沖縄闘争の系譜 源流は「コミンテルン」
《 沖 縄 時 評 》
今も「渋谷暴動」を継続
「星一つ 落ちて都の 寒椿」
沖縄の人々が上京した折に、ぜひ訪ねてほしい場所がある。東京都渋谷区にある小さな慰霊碑である。
JR渋谷駅のハチ公前から、通称「文化村通り」を進み、東急百貨店本店を右に折れてしばらく行けば、神山町東交差点に至る。慰霊碑はその先の傍らに、ひっそりと佇(たたず)んでいる。冒頭の句はその碑に刻まれている。裏面にはこうある。
「沖縄返還阻止闘争警備において、渋谷区神山地区の警備活動中に殉難した故中村警部補をここに顕彰する」
◆中核派が警察官殺害
中村警部補とは、中村恒雄氏のことだ。当時21歳(巡査、殉職後に警部補)。極左集団の暴動に備えるため新潟県警から東京に派遣されていた。殉難したのは1971年11月14日午後3時ごろのことだ。
この日、極左集団・中核派は渋谷駅周辺で暴動を起こし、機動隊員らに火炎瓶を投げ付け、鉄パイプで襲い掛かった。中村警部補は殴り倒された後、ガソリンを掛けられ、火を付けられて落命した。残忍極まりないやり口だった。
それから46年を経た今年5月、事件の首謀者、大坂正明容疑者(67)は広島市にある中核派のアジトで逮捕された。非公然活動家らの支援を受け、捜査の網をかいくぐり巧妙に逃亡を続けていた。治安当局の血のにじむ、地道な捜査が実った逮捕劇だった。
碑にあるように中村警部補は「沖縄闘争」の犠牲者である。発端は1971年6月に日米間で調印された沖縄返還協定。これに反対する左翼勢力は同年11月10日に沖縄でゼネストを決行した。中核派はそれに呼応し、暴動を起こした。
こうした卑劣な反対闘争に屈することなく、沖縄県民は翌72年5月15日に悲願の本土復帰を果たした。沖縄では米軍による犠牲者だけが報じられがちだが、本土では共産集団によって少なからず警察官が犠牲となってきた。
◆共産党も同様の事件
渋谷暴動事件の3年前の68年1月、警察庁警備局は戦後左翼暴力事件をまとめた『回想』と題する書籍を上梓(じょうし)した。警備に直接携わった現職警察官やその遺族らの生々しい手記が約50編つづられている。
同書の「序」で川島広守警備局長(当時、後にプロ野球コミッショナー)はこう述べている。
「私は、この『回想』の原稿を読みながら次第に眼頭の熱くなるのをこらえることができなかった。殉職された札幌市警の白鳥警備課長、警視庁の印藤巡査、死をもって身の潔白を訴えられた平地区署の熊谷巡査、そのご遺族や関係者の手記は、決して忘れることのできない事実の記録であるだけに、切々と読む者の胸を打つ」
札幌市警の白鳥警備課長は52年1月、自転車で帰宅途中に日本共産党札幌地区委員らによって射殺された。主犯格は逮捕されたが(有罪確定)、指名手配犯3人は北京に逃走。このうち死亡が確認されていない2人は今なお、手配中だ。
白鳥課長の部下だった岩淵徳太郎警部補(出版当時)は「事件の捜査に従事した思い出はつきない」とし、とりわけ印象に残った出来事をこう記している。
「(日本共産党による)軍事行動が計画され、さらに実行手段の打ち合わせを行ったというアジトが、北海道大学内の各所にあり、理学部の地下室からは、当時、武器の製造研究に使用された火薬類や試験管が発見され、また、軍事方針のパンフなどが大量に発見されたことである」
警視庁の印藤巡査は練馬署旭町駐在所に勤務する駐在巡査だった。51年12月、「行き倒れがある」との連絡を受けて向かった現場で、日本共産党北部地区軍事委員長らに古鉄管や棒杭(ぼうくい)などで殴り付けられ殺害された(有罪確定)。誘い出しての襲撃だった。享年33歳。
印藤巡査の妻、君代さんは「次女誕生日の祝いの白米も食べず、不帰の人となった
関連ブログ⇒大坂容疑者逮捕!反米軍基地の中核派、沖縄返還にからむ・警官殺害 2017-05-23 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
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