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これまで「反基地のカリスマ」として「オール沖縄の」シンボルに祭り上げて来た翁長県知事。
県内知事選で連続五連敗を喫しては、地に落ちた偶像、単なる張子の虎に成り果てた。
昨日辺野古で行われた「県民集会」にも翁長知事の顔を見ることは無かった。
今朝の沖縄タイムスは「辺野古新基地阻止県民集会」と題して、合計五面を使って「沖縄県民の民意が辺野古に集結」みたいな印象記事だが、集まった人数は3000人(主催者発表)とのことだが、各地から無料バスを運行した割には少なく、実数は1000人前後とは参加した知人の感想。
登壇者に翁長県知事の顔を見ることは無かったが、住民の1人である名護市の宮城安秀市議は「知事は一度も住民の声を聞きに来たことがない。『沖縄の民意』というが、辺野古の民意はどうなるのか」と批判する。
「県民集会」に集まった人が辺野古以外から動員されていることは。登壇者の名前を見れば「県民集会」の名を騙った「左翼集会」であることは一目瞭然。
そもそも移設先である辺野古住民の間では、地域振興策などを条件に移設を容認する声が多数だ。
一応、沖縄タイムスの発狂見出しを一部抜粋して紹介しよう。
■一面トップ
新基地阻止へ 3千の拳
米軍属暴行殺人 被害者女性を追悼
辺野古4・28県民大会
■二面トップ
反対の民意固く
■三面トップ
国の強権に怒り
■社会面トップ
屈辱の日の記憶
鎮魂の「黒」国を糾弾
これ以上発狂見出を拾うのは疲労するので、省略するが、見出しの中に「オール沖縄」の文字が無いのが「オールー沖縄」の凋落と重なり興味深い。
「オール沖縄」と一対をなす翁長知事が参加しなかった代わりに、山城ヒロジ被告が登壇しているのが目を引く。
>屈辱の日の記憶
「屈辱の日」とは1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を果たしためでたい日のこと。
当時の沖縄2紙は「祖国復帰」の志に燃えており、その日の紙面は「講和発効」「日本の独立」を祝賀する記事で溢れていた。それがいつの間にか「屈辱の日」に変貌したのか。
その理由は、「講和発効と同時に沖縄は切り捨てられ、米国に売り渡された」という思想を、復帰前後流入した左翼勢力により、吹き込まれたからだ。
新基地阻止で辺野古に結集 シュワブゲート前で県民集会 琉球新報 2017年4月29日 10:49 辺野古 新基地建設 米軍属女性暴行殺人 屈辱の日 共謀罪 元米海兵隊員で米軍属による女性暴行殺人事件の犠牲者を悼み、黙とうをささげる集会参加者=29日午前11時10分ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前 米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設反対などを訴える「辺野古新基地建設阻止!共謀罪廃案!4・28屈辱の日を忘れない県民集会」が29日午前11時、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で開かれた。新基地建設で、シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事が着手された後、初めてとなる大規模な集会で、多くの参加者が抗議の声を上げ、建設の阻止を訴えた。
大会は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効に伴い、沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」を忘れないことや「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を廃案に追い込むことも開催の目的に掲げた。
主催者側の呼び掛けで、多くの人が喪に服する意味を込めて黒い服で参加した。
主催者を代表して、高良鉄美県憲法普及協議会長があいさつし、稲嶺進名護市長らが連帯を訴えた。【琉球新報電子版】
☆
>元海兵隊員で米軍属の女性暴行事件が28日に事件発生から1年を迎えたことを受け、犠牲者を追悼する黙とうが行われた。
事件当時は民間人で過去に海兵隊勤務の経験があるという理由で、犯人のシンザトを「元海兵隊」と報じているが、教員の経験者が犯罪を犯したら現在の職業を書かずに「元教員」と書くだろうか。
事件発生当時から「事件の政治利用」と批判されていたが、一年経過しても「政治利用」していることを八重山日報。本島版は六面トップで次のように批判している。
なお続く事件の政治利用
県民集会、移設と絡め
「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点2017年4月28日 10:35 天皇メッセージ サンフランシスコ講和条約 屈辱の日 ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。
米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の“天皇メッセージ”といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。
共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。
寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。
寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。
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>。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。
マッカーサーもトルーマン大統領も多くの米国兵士の血を流して占領した沖縄を自国領土にする意思であった。
だが、実際は上記記事に有るように「日本国籍のまま」(潜在主権)米国に貸し出す(リース)という提案を下のは、昭和天皇の功績であり、上記記事では意図的に「日本国籍のまま」という部分は省略されている。
琉球新報がいかに悪意に満ちた記事で「天皇メッセージ:」を批判しようとも、一滴の血も流さず「沖縄返還」が実現したのは天皇メッセージにより、沖縄は「日本国民のまま」一時米国にリースされていたからであり、沖縄返還は日本国民である沖縄住民が、元の鞘に収まったことを意味する。 昭和天皇の天皇メッセージのおかげである。
「天皇メッセージ」については過去に何度もブログで書いているし、雑誌『正論』にも寄稿したのでここでは深く立ち入らない。
詳細を知りたい方は、以下を御参照下さい。
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