台湾で「日台の絆の象徴」八田與一像の頭部切られる ダム建設指導の技師 16日、台南市の烏山頭ダムのほとりで、頭部が切られた状態で見つかった八田與一像(台南市政府警察局麻豆分局提供) 【台北=田中靖人】台湾南部・台南市の烏山頭ダムで16日早朝、日本統治時代に同ダムの建設を指導した日本人技師、八田與一の銅像の頭部が切られているのをダム関係者が発見、警察に通報した。複数の台湾メディアが伝えた。八田の功績は台湾の民主化以降、日台の絆の象徴とされており、ダムには日本人観光客も訪れる。
台南市の警察当局によると、頭部は持ち去られたとみられる。台南市の頼清徳市長は、迅速な捜査と像の修復を指示した。
八田は1920(大正9)年から10年かけて同ダムを完成させ、嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯に変えた。同所では毎年5月8日の命日に慰霊祭が開かれている。八田の功績は李登輝総統時代に再評価が始まり、2007年には陳水扁総統が褒章を授与、馬英九総統も就任前の08年の慰霊祭に出席している
これは酷い!八田與一像が破壊、頭部切断 台湾で日台の絆の象徴と大切にされていた 犯人は…【日本人技師・鳥山頭ダム・はったよいち銅像 twitter50 Facebook7 Google+ はてブ1 Pocket 2 feedly116 <iframe id="aswift_1" style="position: absolute; left: 0px; top: 0px;" name="aswift_1" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="728" height="90"></iframe>この記事は約7分24秒で読めます。
最終更新⇒2017/04/16 21:13(日)
めらそく 八田與一台湾 4月16日早朝、台湾の鳥山頭ダムにある八田與一氏の銅像の頭部が切られているのを発見、警察に届けた。 八田與一氏とは、日本統治時代に台湾・鳥山頭ダム建設に尽力した日本人で、地元を台湾最大の穀倉地帯に変えた。 破壊された像は、台湾民主化以降日台友好の絆の象徴として、地元民・台湾人から大切にされていた
台湾南部・台南市の烏山頭ダムで4月16日早朝、日本統治時代に烏山頭ダムの建設を指導した日本人技師、八田與一氏(1886年~1942年)の銅像が破壊(頭部が切断)されているのを烏山頭ダム関係者が発見、警察に通報した。
複数の台湾メディアが伝えた。
八田與一氏の功績は台湾の民主化以降、日台の絆の象徴とされており、ダムには日本人観光客も訪れる。
台南市の警察当局は、頭部は持ち去られたとみている。頭部は発見されていない。
この事件を受けて、台南市の頼清徳市長は、迅速な捜査と像の修復を指示した。
八田與一氏は石川県金沢市出身。たびたび干ばつに見舞われていた台湾の中南部・嘉南平野の水利事業に尽力し、1930年に当時アジアとしては最大の烏山頭ダムを完成させ、嘉南平和を台湾最大の穀倉地帯に変えた。この業績は台湾教科書でも紹介されている。
最近台湾では急進独立派が蒋介石の銅像頭部を切り取る事件が発生しており、共同通信によるとこれに反発する勢力が犯行を行った可能性もあるようだ。
▼ 日台の絆の象徴として大切にされてきた烏山頭ダムの八田與一像
▼ 頭部を持ち去られた八田與一像の写真・画像
【ソース】
http://www.sankei.com/world/news/170416/wor1704160033-n1.html
http://www.nikkansports.com/general/news/1808865.html
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041600401&g=soc
八田は1920(大正9)年から10年かけて同ダムを完成させ、嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯に変えた。同所では毎年5月8日の命日に慰霊祭が開かれている。
八田の功績は李登輝総統時代に再評価が始まり、2007年には陳水扁総統が褒章を授与、馬英九総統も就任前の08年の慰霊祭に出席している。
銅像を管理する団体は「八田與一は、地元の人たちから農業の基礎を築いてくれた人物として高く評価されているので、とても残念です。できるだけ早く修復したい」と話しています。
via: 台湾で日本人技師の功績たたえる銅像 壊される | NHKニュース地元では、神様と崇められています。
wikipediaより抜粋
by副管理人
八田 與一(現在の字体では八田 与一、はった よいち、1886年(明治19年)2月21日 – 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の水利技術者。日本統治時代の台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした人物として知られる。
日本よりも、八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。
また、現在烏山頭ダム傍にある八田の銅像は、ダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民の民意と周囲意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が、困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く、地面に直接設置された。
今では、台座上に修まる銅像の経過や、八田が顕彰される背景、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、八田の人柄によるところも大きく、エピソードも多く残されている。
via: 八田與一 – Wikipedia
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