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100年前の「沖縄差別」、人類館事件、沖縄女性らが見せ物にされた

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「沖縄差別」は、沖縄2紙の商売道具であり、伝家の宝刀でもある。

「沖縄差別」が紙面に登場するたび、亡霊のように甦ってくるのが100年前の「人類館事件」だ。


大阪府警の20代の機動隊員が、10月18日、東村の高江付近で抗議活動中の反基地活動家に「土人」と言った。

この発言が、現地撮影された動画の形でネットに出回ると、隊員への非難が相次いだ。沖縄タイムスは同日付けの電子版記事で「琉球処分以来、本土の人間に脈々と受け継がれる沖縄差別が露呈した」「この暴言は歴史の節目として長く記憶に刻まれるだろう」とこれまでにないトーンで強く反発した。

明治期の「琉球処分」以来、連綿と続く日本政府による「沖縄差別」。

沖縄差別の象徴として差別問題が発生するたびに新聞に登場する「人類館事件」。

今回の機動隊員「土人」発言により、沖縄2紙の攻撃の的は、機動隊員から松井大阪府知事と幅を広げ、ついには「日本政府による沖縄差別へと拡大、「人類館事件」を沖縄2紙が取り上げた。

人類館事件とは、明治時代に行われた大阪博覧会で、台湾人、朝鮮人、アイヌ人などと一緒に琉球人の展示があったことに沖縄県が抗議した事件。 

沖縄2紙は、あたかも人類館の展示を明治政府が行ったかのような印象の報道をするが、実際は博覧会の便乗商法を目論む一民間業者が博覧会場の外で営業した出来事。

そして沖縄県側の抗議内容も沖縄県民をアイヌ人や台湾人などと一緒にするななどと、沖縄県自身が差別主義者そのものであった。

人類館とは当時の辻遊郭の遊女を高給で雇い貴婦人として展示するなというもの。 また遊女は一日数時間、タバコを吸ったりお茶を飲むなどの日常死活の展示が終われば大阪見物も案内してもらったという。 

一民間業者の便乗商法に辻の遊女が利用されたが、決して国の政策で展示したものではない。それを沖縄の左翼団体や沖縄2紙は国の沖縄差別の象徴として今でも宣伝している。

ちなみに元副知事で歴史が専門の高良倉吉琉球大学教授によると、明治以来日本政府が沖縄を政策として差別したことは一例もないという。

 

連綿と続く沖縄蔑視 「人類館」、沖縄戦、日本復帰後も

琉球新報 2016年10月22日 06:30

  沖縄差別の史実を基に作られた演劇「人類館」=2008年、那覇市

 米軍北部訓練場(沖縄県東村・国頭村)のヘリパッド建設に反対する市民らに対し、大阪府警の機動隊員2人が「土人」「シナ人」などと発言した。沖縄に対する偏見や蔑視、差別が表面化したのは1903年の「人類館事件」から沖縄戦、近年の日米両政府官僚らの問題発言まで、連綿と続いている。加えて今回はネット上の言説を反映し、一般の層にも偏見が根強く残っていることが表れたと識者は指摘している。

 「人類館事件」は1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会で「琉球人」やアイヌ、「生蕃」(台湾先住民)らが「学術人類館」内に民族衣装姿で「展示」された。当時の琉球新報は主筆の太田朝敷らが、社説でアイヌや台湾先住民と同列視されたことなどを問題視し、抗議した。沖縄差別の象徴的事件であるとともに、同化政策の中で危うい立場を強いられた沖縄側の差別的視線も露呈した。

 熊本憲兵隊が27年に作成した「沖縄事情」の「部外秘」文書「沖縄紀行雑観」は沖縄県民の「短所」を列記。「進取ノ気概ニ乏シク優柔不断」「遅鈍悠長」「協同心公徳心乏シ」「犠牲的精神ハ皆無」「責任観念ニ乏シ」などを挙げている。「短所」が「盗癖アリ」「向上発展ノ気概ナシ」などと無根拠に断定した記述を含め13点も挙げられた一方、「長所」は2点しか報告されなかった。

 日本軍内で定着した沖縄蔑視は、沖縄戦当時に久米島などで日本軍が住民をスパイ視し、虐殺した事件にもつながった。大城将保氏著「沖縄戦」によると、44年の10・10空襲後にも「沖縄のスパイが手引きした」とのうわさが本土で流れた。

 県外の県出身者らによると、1980年代まで東京や大阪など各地で「沖縄人お断り」と張り紙をした飲食店があった。「同郷者同士が集まって騒ぐ」「標準語が下手」などの偏見が理由とされていた。

 近年では2011年にケビン・メア元米国務省日本部長が「沖縄はごまかしとゆすりの名人」と発言。同年、田中聡元沖縄防衛局長は米軍普天間飛行場の移設問題に関連して「(犯す前に)これから犯しますよと言いますか」と発言した。

 演劇集団「創造」の「人類館」を大阪で再演することにも尽力した関西沖縄文庫の金城馨さんは「発言した個人ではなく、日本社会が生み出した意識の問題だ。日本人がずっと持ってきた、沖縄へのまなざしが具体化された発言だ」と指摘。「沖縄側が日本の間違いを正すことはできず、差別をやめるのは差別した側にしかできない」と日本全国の問題であることを強調した。(宮城隆尋)

                       ☆

>「人類館事件」は1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会で「琉球人」やアイヌ、「生蕃」(台湾先住民)らが「学術人類館」内に民族衣装姿で「展示」された。当時の琉球新報は主筆の太田朝敷らが、社説でアイヌや台湾先住民と同列視されたことなどを問題視し、抗議した。沖縄差別の象徴的事件であるとともに、同化政策の中で危うい立場を強いられた沖縄側の差別的視線も露呈した。

琉球新報自体が差別主義の塊だった事実は曖昧にしか表現していないし、「人類館事件」は日本政府の行事ではなく、会場外で営業した民間業者の便乗商法であることも触れていない。

>演劇集団「創造」の「人類館」を大阪で再演することにも尽力した関西沖縄文庫の金城馨さんは「発言した個人ではなく、日本社会が生み出した意識の問題だ。

下記の沖縄タイムスの記事にも出てくる軍服姿の日本人は、実際の「人類館」とは何の関係もない創作劇「人類館」に登場する架空の人物で、「集団自決を命じたとされる日本軍」の印象操作である。

[土人」発言は何が問題なのか 100年前の大阪、沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件

沖縄タイムス 2016年10月20日 14:48 土人発言問題高江ヘリパッド人類館事件沖縄差別問題発言集団自決歴史

 大阪府警の機動隊員による「土人」発言が批判にさらされている。本土側の沖縄蔑視、差別はこれまでもたびたび繰り返されてきた。1903年には大阪で開かれた博覧会で、沖縄女性2人を「展示」した「人類館事件」があり、沖縄戦では日本兵による住民虐殺や「集団自決」(強制集団死)があった。戦後71年たった現在でも、在日米軍専用施設面積の約74%が集中する。識者は「差別する側の意識が変わらないと問題は解決しない」と指摘している。

人類館事件から100年の節目を機に2003年に大阪で上演された戯曲「人類館」の舞台 拡大する

人類館事件から100年の節目を機に2003年に大阪で上演された戯曲「人類館」の舞台

 1903年、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の会場で「7種の土人」として、朝鮮人や台湾先住民、沖縄県民らが見せ物として「展示」される「人類館事件」が起きた。当時の沖縄では「沖縄人差別」として激しい非難と抗議が起きた。

 事件から100年後の2003年に大阪で、事件をテーマにした戯曲「人類館」の公演を手掛けた、関西沖縄文庫主宰の金城馨さん=大阪府=(63)は「土人発言」について「特別な驚きはない。普段沖縄に対して思っていることが、表面化しただけ」と切り捨てた。「大阪府警では日常的に沖縄に対する差別があるのではないか。府警の責任を追及すべきだ」と語気を強めた。

 金城さんは1879年の琉球処分以降「歴史的に差別が続いている状態」とした上で「これから沖縄は本土と対等に向き合い、差別する側の意識を変えることが問題解決につながる」と話した。

 差別の問題に取り組む師岡康子弁護士は「土人」「シナ人」の二つの発言について公的機関が「人種差別を助長しまたは扇動すること」を禁じた人種差別撤廃条約に違反すると指摘。「弁明の余地はない。大阪府警は謝罪し、教育体制を洗い直す必要がある」と求める。

 「シナ人」の表現は「レイシスト(差別主義者)が基地に反対するのは中国に操られた売国奴、と言うのと全く同じ発想。基地に反対する沖縄の人々と中国の人々に対する二重の差別だ」と非難した。

 「土人」は新聞社が使う「記者ハンドブック」(共同通信社発行)でも差別語、不快用語とされており、記事にする場合は通常「先住民(族)」や「現地人」と表記することになっている。

 

 >1903年、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の会場で「7種の土人」として、朝鮮人や台湾先住民、沖縄県民らが見せ物として「展示」される「人類館事件」が起きた。当時の沖縄では「沖縄人差別」として激しい非難と抗議が起きた。

>金城さんは1879年の琉球処分以降「歴史的に差別が続いている状態」とした上で「これから沖縄は本土と対等に向き合い、差別する側の意識を変えることが問題解決につながる」と話した。

「土人」発言を問題視・強調しようとすればするほど、問題が大袈裟になって、「創作劇」をあたかも史実のように報道する。

「差別された哀れな沖縄」という沖縄2紙の思い込みが読者を誤誘導する。

「「土人」発言は何が問題なのか 100年前、沖縄女性らが見せ物にされた「人類館事件」 2016年10月20日 14:48
土人発言問題 高江ヘリパッド 人類館事件 沖縄差別 問題発言 集団自決 歴史
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67368


「人類館事件」については当日記で何度も取り上げた。

狼魔人日記
「百年前の怨念「人類館事件」 沖縄差別の歴史だって 2008-12-18 09:21:42」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/3076e3b4f2e3e1b9ed6590a2b6d23674


「「人類館」、恨み辛みの歴史観 2009-11-27 07:11:56」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2d72fbe0547656444dda6869fc5205fb


「「人類館」のウソ演劇が国立劇場を占拠! 2009-11-29 08:15:52」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/1f7c9aeccb4f19925f1759035f5fd6d6


「琉球民族は哀れな先住民か 2010-02-05 00:34:46」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/39024c6e8a256971de2b3f949303c4ce/


「大田昌秀氏が撒いた「人類館」のウソ!「日本政府の沖縄差別政策」 2010-02-09 00:02:07」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/25b4089c5ab8493790812740629d7b16


「大田昌秀の大嘘、「人類館事件」 2012-03-07 07:30:19」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/5cfb59dd48d2ae6526fa3c18a0fcf020


「百年前の怨念!「人類館事件」の大ウソ 2012-03-09 07:19:03」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/9edace2b4dad0b03b6a30bc133a3005d

  【おまけ】   以下は過去ブログの引用である。(読みやすいように一部編集した)

 百年前の怨念 沖縄差別の歴史だって 2012-03-09

日露戦争の2年前、今から百年以上前のこと、大阪で行われた博覧会の出し物に「沖縄人差別があった」と現在も声高に叫ぶ勢力がいる。

沖縄タイムス、琉球新報を始めとする反左翼複合体の面々である。

沖縄差別の歴史を風刺/「人類館」30年ぶり東京公演【12月17日】

(写真略)30年ぶりの東京公演となった演劇「人類館」の舞台=16日、早稲田大学大隈記念講堂大講堂

演劇集団「創造」/早稲田大学で


 【東京】演劇集団「創造」による「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂大講堂であった。同演劇集団の東京初演(1978年)からちょうど30年ぶり、一夜限りの公演に、学内外から1000人が詰め掛け、沖縄が差別を受け続けた歴史を風刺した劇に見入った。

 一九〇三年に大阪天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会で沖縄、アイヌ、朝鮮、インドなどの人々が民族衣装姿で見せ物として陳列された、いわゆる「人類館事件」を題材にした喜劇。

 三人の役者が場面ごとに役を変え、沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり、戦後の米軍占領下で抑圧されたりした沖縄の人々への差別の歴史、人間の中に潜む差別の意識を一つ一つ巧みに演じきった。

 演劇は明治時代の琉球藩設置から現在に至るまで、沖縄がたどった「近代」をテーマに東京国立近代美術館で開催中の「沖縄・プリズム1872―2008」展(二十一日まで)の関連イベントとして、同美術館と同大学が主催した。   ◇   テレビやラジオもなく、現在とは比べられないほど情報が少なかった100年以上前のこととはいえ、明治政府が実際にこの『人類館』が行ったような差別政策を取っていたとしたら、沖縄人として不愉快に感じる「事件」である。   では明治政府が実際に沖縄人にたいしてこのような差別政策を取っていたのか。   明治政府は、沖縄に対してこのような差別政策を行ったことはなかった。   この「人類館事件」が沖縄県民の間に知られるようになるのは、米軍占領下で「祖国復帰運動」が盛んだった頃ではない。   復帰後、沖縄左翼が復帰運動を「反日運動」に変換し始めた頃である。   日本の左翼が沖縄に根付き始めた1976年、沖縄生まれの知念正真氏が書いた戯曲「人類館」を契機に沖縄人の間にもこの「人類館事件」知られるようになる。   「人類館事件」の概略はタイムス記事にあるが、同じ日に報じられ琉球新報記事も参考のため、引用しておく。   琉球新報 差別突く舞台、泣き笑い 創造「人類館」30年ぶり東京公演  2008年12月17日

30年ぶりに東京で上演された演劇集団「創造」による戯曲「人類館」=16日夜、早稲田大学大隈記念講堂

 【東京】東京国立近代美術館で開催中の「沖縄・プリズム 1872―2008」展の関連イベントとして、演劇集団「創造」による演劇「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂で上演された。東京での上演は30年ぶりで、一夜一幕限りの公演に約1000人が詰め掛けた。沖縄がたどったさまざまな差別の歴史を描いた作品に観客は引き込まれ、笑い、涙し、最後は惜しみない拍手を送った。
 「人類館」は、1903年に大阪天王寺で開催された内国勧業博覧会で沖縄やアイヌ、朝鮮などの人々が民族衣装で見せ物にされた、いわゆる「人類館事件」を題材にした戯曲。沖縄から連れて来られた男女と、2人に日本人への同化を強いる調教師の3人を軸に描かれている。
 戦争、米軍統治下、本土復帰など沖縄の歴史を織り交ぜ、それに合わせて3人の役柄も変化する。笑いを取り入れながらも人種や言語、性などあらゆる差別の本質を突いている。1978年に岸田戯曲賞を受賞した。

                     ◇   復帰4年後に沖縄人によって作られた戯曲「人類館」は、作者の日本に対する怨念が凝縮された作品である。   ここで気をつけなければならないのは「人類館事件」という歴史的事実と、沖縄紙が騒ぐ戯曲「人類館」には二つの大きな違いがあるということ。   いや、もっと直裁にいえば、戯曲「人類館」も沖縄紙も、「人類館事件」の不都合な事実には、決して触れてはいないということである。   「人類館」という人間を見世物扱いした事件があったことは、歴史的事実。   だが沖縄二紙が叫ぶように日本政府が沖縄差別を行った事実はなかった。   戯曲「人類館」、そして沖縄紙は「人類館事件」に関して、意識的に二つの事実を隠蔽している。   差別を声高に叫ぶ人間が、実は自身が差別主義者である場合が多い。   「差別された」と叫ぶ人間が実は差別主義・・・・差別とは己を映す合わせ鏡のようなものである。   沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーなどと差別的意味合いを込めて呼ぶ。   最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。   差別は離島や北部、南部に止まらず、沖縄の都市地域にもあった。   那覇出身の民俗学者・伊波普猷は琉球王府のある首里(現在は那覇の一部)にあった県立一中(現在の首里高校)に進学のため寮生活をしたが 、   そのとき衣服や言葉使いが「首里風」出なかったため差別を受け苦労したとその著書で書いている。     戯曲「人類館」は、最近、沖縄出身の声優・津嘉山正種等にも取り上げられ、NHKや沖縄テレビでも取り上げられたが、   戯曲「人類館」や沖縄紙が隠蔽する事実、つまり沖縄人の持つ「差別性」については触れていない。   青年座⇒津嘉山正種ひとり語り「人類館(朗読劇)」」   琉球朝日放送⇒Qリポート 朗読劇「人類館」が伝えること


沖縄テレビ⇒第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『よみがえる人類館』

 

さて、結論を延ばしてきたが、地元紙が隠蔽する事実をは「人類館事件」で、当時の沖縄県民が怒ったのは、単に差別されたからではない。

沖縄県人が「人類館」で、台湾の生蕃と北海のアイヌと同列に展示されたことが沖縄県人の侮辱だというのである。

当時の『琉球新報』(4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷が、

学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや。(ウィキペディア)

このように悲憤慷慨して、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。

当時の沖縄の代表的知識人であり、琉球新報社長も勤めた太田朝敷の論説が、

「いふーなむん(異風な者)」に対しては、このように差別的要素を含んでいたのだ。

まさに沖縄人にとって「差別」とは己が持つ差別性を映しだす鏡であったのだ。

もう一つ、戯曲「人類館」と沖縄紙が隠蔽する事実は、

「人類館」が、博覧会場の中にあったように報道され、そのように思っている人が多いが、実際はそうではなく、

博覧会に便乗して会場外で開かれていたイベントの「場外パビリオン」で行われていた。(『沖縄文学選』)

あたかも当時の明治政府が沖縄差別政策を行うため、自ら「人類館」を設営したかのように報じられているが実際はそうではなかったのだ。

「人類館」が、政府行事への便乗商売をした業者の商行為だったことは「利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり」という怒りの言葉でも伺える。

今年に入ってから急に「人類館」の話題が沖縄のマスコミを賑わすようになったが、いずれの論調も「日本が沖縄に行った差別政策」であるという反日の怨念に満ちている。   沖縄タイムスの記事などは   「沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり」   と、100年以上も前に、便乗商売をもくろんだ一業者の行いを、強引に「悪逆非道の日本」、さらには「集団自決」にまでも結び付けている。   沖縄タイムスよ、いくらなんでも少し強引過ぎはしないか。   それとも誇大妄想の病にでも陥ったのか。   いやいや、来るべき「集団自決訴訟」の最高裁判決に備え、「悪逆非道の日本軍」の印象操作に「人類館」を利用しようと言うのだろう。   さもなくば、100年前の一業者が行った便乗商法が   「集団自決」に結びつくはずもない。


タイムスはしつこく、コラムでも「人類館」を取り上げている。

沖縄タイムス  2008年12月17日 ひと
[魚眼レンズ]前嵩西一馬さん

ラジオで「人類館」紹介

 このほどNHK「ラジオ深夜便こころの時代」で、演劇「人類館」を紹介した早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員の前嵩西一馬さん。「初体験でアナウンサーに遠慮した部分もあったが、いい勉強になった」と感想を話す。

 一九〇三年、大阪の勧業博覧会会場周辺で、琉球人が見せ物として展示された事件を取り上げた同劇。十六日には大隈講堂で劇団「創造」が上演を行い、再び注目が集まる。

 「社会の周辺の人々を考える際、同劇の現代性は重要。決して昔話ではない」と説明。

 「巷に溢れるお気楽な笑いではなく『人類館』ならではの錯綜した笑いの面白さを知ってほしい」と指摘し来場を呼びかけている。   関連ブログ: 知念正真の戯曲「人類館」を読む     いつの時代にも便乗商法を目論む業者はいるもの。   政府主催の博覧会会場周辺で一業者が行った商売を、あたかも明治政府自体が「沖縄差別の政策」を行ったかのように捻じ曲がった報道を現在も続ける沖縄2紙の本意は何か。   彼ら極悪複合体の真意は沖縄の日本政府に対する憎悪を掻き立て、明治政府が断行した「琉球処分(廃藩置県)が間違いであった」という歴史観を浸透させることにある。   よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 


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