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昨日のエントリーでもしつこく書いたが、沖縄の新聞は県民の知りたい情報をイデオロギーで封殺する。 そのため「新聞で真実を知ろうとすると誤解の落とし穴に陥る」だけではなく、沖縄で起きたニュースでさえも全国紙に頼るという不便を味わうことになる。 最近では16日の「守れ尖閣!県民の集い」の扱いが典型だが、普天間第二小学校の移転計画の頓挫を伝えたのも県内紙では無く、全国紙であったことは記憶に新しい。 さらに伊波宜野湾市長が海軍病院への給水拒否という人命にかかわる暴挙を企てた「事件」を報じたのも県内紙ではなく全国紙の「世界日報」である。 そして先月の名護市議選挙で当選した川野純司氏が、皇太子ご夫妻を襲撃した過激派くづれであることをすっぱ抜いたのも全国紙の「産経新聞」であった。 皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2010.10.9 産経新聞
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史) 選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。 名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。 公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。 当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。 ある市議は「事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかった」と指摘する。 公安関係者は「市議という公の立場にあることで、川野氏の発言力も増す。全国から同志が集まり、反対運動が激化する可能性も高い」と警鐘を鳴らす。 すでに辺野古では、反対運動に変化が出始めているという。ある自営業者(61)は「最近、県外から活動家らしい人物が集結しているようだ。反対運動を展開していた地元のオジーやオバーも反対運動から排除されつつあるという話を聞いた。県外から反対活動家が集まり、辺野古が反対運動の拠点になるのではないかと不安だ」と語る。 基地問題などに積極的に反対姿勢を見せる地元の退職教職員会支部が最近、15年ぶりに復活したことに危機感を募らせる声もある。 ある地元民は「全国から退職教職員が夫婦で名護に来て選挙活動を展開していた」と、名護が活動家の拠点になる可能性を危惧(きぐ)している。
◇ 【追記】⇒【動画】38 - ひめゆりの塔事件 - 1975 では、地元紙の沖縄タイムスは名護市議選をどのように報じていたか。 投票日の翌日の同紙は、支援者に囲まれ万歳を唱える喜色満面の川野氏の写真を掲載し当選を祝福している。 写真で見る河野氏に皇太子ご夫妻を襲撃した凶暴な元過激派の面影はない。 はたして川野氏に投票した有権者で彼の「暗い過去」を知っていて投票した人が何人いるであろうか。 移設ノーに追い風 名護市議選
「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対
2010年9月13日 (略) 「民意示された」
当選の反対派3人 名護市議選では、米軍普天間飛行場の移設問題で、辺野古への移設反対の先頭に立つ人たちが相次いで当選を決めた。 東恩納琢磨さん(49)は、2006年の同市議選で1票差で次点だったが、県議会選への現職市議の出馬を受け、繰り上げ当選。市長支持派の過半数という結果に「市長選、市議選と民意は示された。『基地は要らない』。これは名護市からのメッセージと国は理解してほしい」と訴えた。ヘリ基地反対協議会の仲村善幸さん(63)は2期目の当選。仲村さんは「雇用、医療、福祉。基地問題の解決を抜きにして、そのほかのまちづくりはできない。市民が分断された14年の間、名護市民が自覚し始めた結果だと思う」と語った。 新人の川野純治さん(55)は、27番目最後の議席に滑り込んだ。熊本生まれ鹿児島出身。地縁・血縁はなかったが、一貫して基地建設反対を訴えた。「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と意欲を示した。 (略) 名護市中山当選を決め支持者と万歳する川野純治氏(中央)=13日午前0時50分 ◇ 地元紙が全国紙に出し抜かれるのは記者の素質のせいで仕方の無い面もある、という意見もある。 だが事実はそうではない。 沖縄二紙はいずれのニュースも知っていながらあえて「不都合な事実」として読者の目から封殺したのが真実である。 なぜなら川野純司氏の情報についても、当日記は9月14日には既に記事にしているくらいだから、個人が知っていて機動力のある沖縄二紙が「知らなかった」では通る話ではない。 ⇒陛下に火炎瓶を投げた男が名護市会議員に、追記あり このまま読者の知る権利を踏みにじっても恥じないようでは沖縄二紙は読者に見捨てられる日も近い。 折りしも今朝の沖縄タイムス「読者の声」が、「新聞は先細り」と嘆いている。 <最近の大学生は、本はおろか新聞も読まない。 活字に触れないわけではない。 新聞の情報はネットでほとんど代用できるからだ。 確かに、優良の情報は有料である。しかし、沖縄の新聞の情報は優良だろうか。正直、広告ばかりで読むべき記事が少ない。また情報の即効性もネットには勝てない。>(国吉泰史さん=23歳、南風原町) 侵略国家中国。守れ、尖閣諸島 ! 2010年 11月号 [雑誌] よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
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昨日のエントリーでもしつこく書いたが、沖縄の新聞は県民の知りたい情報をイデオロギーで封殺する。 そのため「新聞で真実を知ろうとすると誤解の落とし穴に陥る」だけではなく、沖縄で起きたニュースでさえも全国紙に頼るという不便を味わうことになる。 最近では16日の「守れ尖閣!県民の集い」の扱いが典型だが、普天間第二小学校の移転計画の頓挫を伝えたのも県内紙では無く、全国紙であったことは記憶に新しい。 さらに伊波宜野湾市長が海軍病院への給水拒否という人命にかかわる暴挙を企てた「事件」を報じたのも県内紙ではなく全国紙の「世界日報」である。 そして先月の名護市議選挙で当選した川野純司氏が、皇太子ご夫妻を襲撃した過激派くづれであることをすっぱ抜いたのも全国紙の「産経新聞」であった。 皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2010.10.9 産経新聞
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史) 選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。 名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。 公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。 当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。 ある市議は「事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかった」と指摘する。 公安関係者は「市議という公の立場にあることで、川野氏の発言力も増す。全国から同志が集まり、反対運動が激化する可能性も高い」と警鐘を鳴らす。 すでに辺野古では、反対運動に変化が出始めているという。ある自営業者(61)は「最近、県外から活動家らしい人物が集結しているようだ。反対運動を展開していた地元のオジーやオバーも反対運動から排除されつつあるという話を聞いた。県外から反対活動家が集まり、辺野古が反対運動の拠点になるのではないかと不安だ」と語る。 基地問題などに積極的に反対姿勢を見せる地元の退職教職員会支部が最近、15年ぶりに復活したことに危機感を募らせる声もある。 ある地元民は「全国から退職教職員が夫婦で名護に来て選挙活動を展開していた」と、名護が活動家の拠点になる可能性を危惧(きぐ)している。
◇ 【追記】⇒【動画】38 - ひめゆりの塔事件 - 1975 では、地元紙の沖縄タイムスは名護市議選をどのように報じていたか。 投票日の翌日の同紙は、支援者に囲まれ万歳を唱える喜色満面の川野氏の写真を掲載し当選を祝福している。 写真で見る河野氏に皇太子ご夫妻を襲撃した凶暴な元過激派の面影はない。 はたして川野氏に投票した有権者で彼の「暗い過去」を知っていて投票した人が何人いるであろうか。 移設ノーに追い風 名護市議選
「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対
2010年9月13日 (略) 「民意示された」
当選の反対派3人 名護市議選では、米軍普天間飛行場の移設問題で、辺野古への移設反対の先頭に立つ人たちが相次いで当選を決めた。 東恩納琢磨さん(49)は、2006年の同市議選で1票差で次点だったが、県議会選への現職市議の出馬を受け、繰り上げ当選。市長支持派の過半数という結果に「市長選、市議選と民意は示された。『基地は要らない』。これは名護市からのメッセージと国は理解してほしい」と訴えた。ヘリ基地反対協議会の仲村善幸さん(63)は2期目の当選。仲村さんは「雇用、医療、福祉。基地問題の解決を抜きにして、そのほかのまちづくりはできない。市民が分断された14年の間、名護市民が自覚し始めた結果だと思う」と語った。 新人の川野純治さん(55)は、27番目最後の議席に滑り込んだ。熊本生まれ鹿児島出身。地縁・血縁はなかったが、一貫して基地建設反対を訴えた。「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と意欲を示した。 (略) 名護市中山当選を決め支持者と万歳する川野純治氏(中央)=13日午前0時50分 ◇ 地元紙が全国紙に出し抜かれるのは記者の素質のせいで仕方の無い面もある、という意見もある。 だが事実はそうではない。 沖縄二紙はいずれのニュースも知っていながらあえて「不都合な事実」として読者の目から封殺したのが真実である。 なぜなら川野純司氏の情報についても、当日記は9月14日には既に記事にしているくらいだから、個人が知っていて機動力のある沖縄二紙が「知らなかった」では通る話ではない。 ⇒陛下に火炎瓶を投げた男が名護市会議員に、追記あり このまま読者の知る権利を踏みにじっても恥じないようでは沖縄二紙は読者に見捨てられる日も近い。 折りしも今朝の沖縄タイムス「読者の声」が、「新聞は先細り」と嘆いている。 <最近の大学生は、本はおろか新聞も読まない。 活字に触れないわけではない。 新聞の情報はネットでほとんど代用できるからだ。 確かに、優良の情報は有料である。しかし、沖縄の新聞の情報は優良だろうか。正直、広告ばかりで読むべき記事が少ない。また情報の即効性もネットには勝てない。>(国吉泰史さん=23歳、南風原町) 侵略国家中国。守れ、尖閣諸島 ! 2010年 11月号 [雑誌] よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
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