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大嘘の社説!琉球新報、集団自決訴訟で

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 大嘘報道で、内外に悪名を轟かしている沖縄2紙。

慰霊の日(23日)を前に、集団自決に関し琉球新報が大嘘の社説を書いた。

ちなみに琉球新報はドキュメンタリー作家上原正稔さんによる「パンドラ訴訟」で二審で敗訴し、上告断念で敗訴が確定した事実を一行の報道もせず、読者を愚弄したままである。

琉球新報の大嘘社説に対し、前衆議院議員の山田宏氏が八重山日報で反論している。(【おまけ】参照)

琉球新報が、報道機関としての良心の欠片でも有するなら、山田氏の反論に再反論すべきだが・・・。

琉球新報に反論を求めるのは、大嘘つきに正直になれと説得するに等しい。

<社説>軍命削除 教科書検定意見を撤回せよ 琉球新報 2015年6月21日 6:01 

 沖縄戦から70年が経過する中で、安倍政権は沖縄戦の実相をゆがめようとしている。
 政府は2006年度の高校日本史の教科書検定で沖縄戦の「日本軍による集団自決の強制」という記述を削除したことについて、検定意見を撤回しないとする答弁書を閣議決定した。
 閣議決定は確定した司法判断を無視している。最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は11年4月22日、座間味と渡嘉敷両島で発生した住民らの集団死は軍が関与していたことを認定した。戦争を引き起こし、住民に多大な犠牲を強いた国家が過去に目を閉ざすことは許されない。検定意見の撤回を強く求める。
 沖縄戦で日本軍が住民らに死を命じたとする作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、日本軍の座間味島元戦隊長や渡嘉敷島戦隊長の弟が名誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めて提訴した。最高裁は一審・二審を支持し「上告理由にあたらない」として上告を棄却した。これにより軍の関与を認めた一、二審判決が確定した。
 今回の閣議決定は仲里利信衆院議員(無所属)の質問主意書に答えたものだ。政府は答弁書で「集団自決が住民に対する直接的な軍の命令により行われたことを示す根拠は現時点では確認できていない」としている。当時、軍命が口頭で行われ、命令書の類いが廃棄されたとみられる中で「根拠は確認できていない」と主張するのは、詭弁(きべん)にすぎない。
 最高裁判決は沖縄戦研究の蓄積、米軍資料、証言などに基づき「日本軍の深い関わりを否定できず、日本軍の強制、命令と評価する見識もあり得る」と判断した。座間味と渡嘉敷両島で発生した悲惨な出来事について「軍官民共生共死の一体化」の方針の下、日本軍の深い関与は否定できないとしている。
 大江さんらが提訴された時、当時を語れる証言者はほとんど存命していなかった。そこで裁判所はオーラル・ヒストリー(口述証言)を証拠として採用した。
 「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓をゆがめ、消し去ろうとする行為は犠牲者と歴史に対する冒涜(ぼうとく)である。沖縄戦の実相の書き換えを許さず、住民の犠牲から導かれた教訓を後生に継承していくことを誓いたい。

                   ☆

 最高裁判決以来4年経過した。 琉球新報が、読者が忘れた頃を見計らって大嘘記事を書いた。 それが上記社説だ。

集団自決論争の争点は「軍命の有無」の一点。 不幸な集団自決が行われたのは事実だが、それが軍の命令によるものであると一方的に読者に信じ込ます卑劣な社説がこの社説だ。

>最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は11年4月22日、座間味と渡嘉敷両島で発生した住民らの集団死は軍が関与していたことを認定した。

「軍命の有無」は、慰安婦問題は強制連行の有無が争点であることに酷似している。

慰安婦問題で、軍が慰安所を利用したため「関与」したと、「広義の関与」で強制連行があったと印象操作する手口と同じだ。

集団自決は戦時中のことであり、住民の一部に手榴弾で死んだ住民がいた。 この例外的事実をもって「軍の関与」としたのが最高裁判決だが、決して「軍が命令した」とは判断したわけではない。

軍命は、あったと主張する被告側に挙証責任があり、法廷でそれが立証できなかった。 

したがって最高裁判決では、原告・梅澤さんらが下したとされる軍命説は否定されたことになる。

つまり軍命の有無に関して言えば、琉球新報の大嘘ということになる。

琉球新報は、「関与」という文言であきらかに最高裁の判決を歪めている。

念のため、4年前の最高裁判決当時の琉球新報の記事を引用してみよう。

軍関与認めた判決確定 「集団自決」めぐる岩波・大江訴訟

琉球新報 2011年4月23日 9:51 

「曖昧にされてきた沖縄戦の真実が認められた」と語る大江健三郎さん=22日、東京・霞が関の司法記者クラブ

 沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」(強制集団死)を命じたとする作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」などの記述をめぐって、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が名誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めた上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は22日、一審・二審に続き、上告を棄却した。これにより軍関与を認めた一、二審判決が確定した。同小法廷は、原告の申し立てを「上告理由にあたらない」とした。21日付。
 棄却を受けて。大江氏は「自分たちの主張が正しいと認められた。訴訟で強制された集団死を多くの人が新たに証言し、勝利を得る結果になった」と述べた 同裁判では、2008年3月の一審・大阪地裁判決で、両隊長による自決命令は推認できるが、「断定できない」と判断。大江氏が隊長による集団自決命令を事実と信じるには相当な理由があったとして名誉棄損を退けた。
 同年10月の二審・大阪高裁判決は一審判決を支持した上で、「総体として日本軍の強制ないし命令と評価する見識もあり得る」とした。さらに、「表現の自由」に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは不法行為とはいえないとした。
 裁判原告の「隊長の自決命令は聞いてない」などとする陳述書が契機となり、06年度の教科書検定意見によって、高校日本史教科書の「集団自決」における軍強制の記述が削除された。記述削除に対し、「沖縄戦の実相をゆがめるもの」という反発が県内で起こり、07年9月に県民大会が開かれるなど、沖縄戦体験の正しい継承を求める世論が高まった。


「県民の思い受け止めた」/大城県教育長
 最高裁の上告棄却を受け、大城浩県教育長は「教科書検定問題については2007年の県民大会の結果、広い意味での『日本軍の関与』の記述が回復され、高校生がこれまで同様に学習できると考える。最高裁の判決は、県民の思いを受け止めた判決」とコメントを発表した。

沖縄でも大きな力に/大江健三郎氏の話
 自分たちの主張は高裁で正しいとされ、最高裁では憲法上の問題はないと認められた。沖縄戦の真実が曖昧になり、教科書からも取り除かれたが、沖縄からの反論で、沖縄戦(についての記述)が少しずつ真実に近づいている。強制された集団死を多くの人が新しく証言し、勝利を得る結果になった。(最高裁の判断は)力強い励ましだ。沖縄でも大きな力になる。

裁判の意義はあった/原告代理人・徳永信一弁護士の話
 名誉棄損が認められなかったのは残念。しかし、隊長の自決命令について高裁判決は「関与」とし、一審より控えめな事実認定。この問題は、集団自決に梅澤さんらの隊長命令がなかったという認識が重要だった。裁判を通して自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着したので、意義はあったと総括している。

             ☆

>沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」(強制集団死)を命じたとする作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」などの記述をめぐって、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が名誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めた上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は22日、一審・二審に続き、上告を棄却した。これにより軍関与を認めた一、二審判決が確定した。

>大江氏は「自分たちの主張が正しいと認められた。訴訟で強制された集団死を多くの人が新たに証言し、勝利を得る結果になった」と述べた。

確かに原告側は名誉毀損、出版差し止め等では敗訴した。

だが、軍命による集団自決は立証されていない。 大江氏のコメントに「強制された集団死」とあるのは「軍命による集団自決」と言えないための詭弁である。

>「表現の自由」に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは不法行為とはいえないとした。

判決では「鉄の暴風」やこれを根拠に著した「沖縄ノート」に事実誤認があることは認めたが、当時の状況で大江氏がそれらの間違いを「真実であると信じてもやむ得なかった」とする「真実相当性」を適用して、大江氏による名誉毀損を却下している。

名誉毀損で敗訴したが、原稿苦代理人の徳永弁護士の「自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着した」というのが軍命に関する最高裁判決のすべてである。

>裁判の意義はあった/原告代理人・徳永信一弁護士の話
>名誉棄損が認められなかったのは残念。しかし、隊長の自決命令について高裁判決は「関与」とし、>一審より控えめな事実認定。この問題は、集団自決に梅澤さんらの隊長命令がなかったという認識>が重要だった。裁判を通して自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着したので、意義はあった>と総括している。

 

では当時の産経新聞はどのように報じていたか。

産経記事 2011.4.22
 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。

 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。

 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。

 1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。(産経新聞)

 

繰り返すがこの裁判の最大の争点は、軍命令はあったのか無かったのか、である。

軍による命令や強制の有無については、法廷で立証することができず、事実上の原告勝訴であり、最高裁においても軍命の有無は争われていない。

つまり最高裁で軍命令は無かったということが確定したわけである。

では、事実はどうだったか。

軍からは「自決するな」の要請であったが、結果的に集団自決が起きてしまったのは、米軍艦船に島を包囲され、極限状態でパニックに陥った集団リーダーの勧誘によるものであるが、手榴弾の配布などもあり、軍関係者による万が一のための支援は無かったとはいえない、という理由で「関与」としたもの。

【おまけ】

問題提起していただいた東子さんのコメントと山田宏前週議員議員の琉球新報社説への反論を引用する。

             ☆

東子さんのコメント

 「<社説>軍命削除 教科書検定意見を撤回せよ 2015年6月21日」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244570-storytopic-11.html

>最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は11年4月22日、座間味と渡嘉敷両島で発生した住民らの集団死は軍が関与していたことを認定した。
>戦争を引き起こし、住民に多大な犠牲を強いた国家が過去に目を閉ざすことは許されない。
>検定意見の撤回を強く求める。

新報が根拠としている最高裁の判決とは、どのようなものだったのか。


狼魔人日記「集団自決訴訟に最高裁判断 2011-04-22」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2bc55bda226e6ce35938afdc80fc1708

>確定した大阪高裁の判決はどのようなものだったか。
>裁判の核心である「軍による命令や強制の有無」については、立証することができず、事実上の原告勝訴が確定していた。

「軍による命令や強制」が「あった」とする証拠はないということ。
「軍による命令や強制」が「あった」とする証拠はないが、それだけでは、梅沢氏と赤松氏の両隊長の名誉棄損があっても、「軍による命令や強制」が「なかった」まで言わないと駄目と、最高裁は言った。

つまり、最高裁は、
 「軍による命令や強制」が「あった」とする証拠はない
と言っているのであって、新報が言う
 集団死は軍が関与していたことを認定した
では、ない。


【参考】
山田宏「八重山日報 4/23掲載コラム 『拝啓「琉球新報」社説どの』 2015.05.12」
https://www.yamadahiroshi.com/news/798/

>『琉球新報』が四月八日、『歴史教科書検定 事実を教えてこそ教育』という社説を掲げました。
>「事実を教えてこそ教育」――まったくその通りです。
>ついに『琉球新報』も慰安婦強制連行や南京事件などをあたかも疑うことのできない事実であるかのように教えてきた教育への批判を始めたのかと思って読み進めましたが、その期待は裏切られました。
>この『琉球新報』の社説は、来年の中学校の歴史教科書のすべてから沖縄戦の「集団自決」についての記述がなくなることへの異議でした。
>「これで沖縄戦の実相、軍の非人間性、ひいては戦争の愚かさ、平和の尊さを教えられるはずがない。1996年度検定では8社中6社の教科書が『日本軍は集団自決を強要したり』などの表現で、軍が住民に死を強制したことを明記した。しかしその後、軍の強制性を明記する教科書が次第に減り、ついに一冊もなくなるのである。教育の危機と言わざるを得ない」というのです。
>しかし、これは逆ではないでしょうか。
>事実を書いていないといいますが、では、「集団自決が軍による強要だった」とする根拠は、どこにあるのでしょうか。


宜野湾市議:呉屋ヒトシ「玉津博克氏前石垣市教育長の講演会 2015年06月17日」
http://goyahitoshi714.ti-da.net/e7679214.html

>去る 6月14日(日)那覇市内にて 石垣市教育委員会前教育長の玉津博克氏の講演会に出席しました。
>講演会では、「私と集団自決軍名説との関わり」では、当時、県教育委員会に席を置き、高校生の為の「沖縄の歴史副読本」を編成されたそうです。
>平成6年~平成19年まで高校で使用されましたが、その中には「集団自決の軍命については、軍命の記載はなかったそうです。」
>ところが、平成19年からこの副読本は使用されなくなったそうです。
>それから、軍命説第一弾 増悪のパフォーマンスとして、当時米軍の統治下としての「鉄の暴風雨」の出版
>軍名説第二弾 温情パフォーマンスとして「援護法」との関係と証言について、説明をされました。

(八重山日報(H27.4.23)より転載)

 ■2015.05.12 

八重山日報 4/23掲載コラム 『拝啓「琉球新報」社説どの』

前衆議院議員 山田宏

 

『琉球新報』が四月八日、『歴史教科書検定 事実を教えてこそ教育』という社説を掲げました。

「事実を教えてこそ教育」――まったくその通りです。ついに『琉球新報』も慰安婦強制連行や南京事件などをあたかも疑うことのできない事実であるかのように教えてきた教育への批判を始めたのかと思って読み進めましたが、その期待は裏切られました。

 この『琉球新報』の社説は、来年の中学校の歴史教科書のすべてから沖縄戦の「集団自決」についての記述がなくなることへの異議でした。「これで沖縄戦の実相、軍の非人間性、ひいては戦争の愚かさ、平和の尊さを教えられるはずがない。1996年度検定では8社中6社の教科書が『日本軍は集団自決を強要したり』などの表現で、軍が住民に死を強制したことを明記した。しかしその後、軍の強制性を明記する教科書が次第に減り、ついに一冊もなくなるのである。教育の危機と言わざるを得ない」というのです。

 しかし、これは逆ではないでしょうか。事実を書いていないといいますが、では、「集団自決が軍による強要だった」とする根拠は、どこにあるのでしょうか。

『琉球新報』の社説は、「『集団自決』での軍命の有無が争われた大江・岩波裁判判決は『集団自決には日本軍が深く関わっていた』と軍の関与を認定した。この間の検定結果はその判決を反映しておらず、看過できない」と決めつけます。

 しかし、その最高裁による上告棄却によって確定した大阪高裁判決自体が、こう書いているのです。

「このような歴史的事実の認定については、多くの文献、史料の検討評価が重要な要素とならざるを得ず、また、その当時の社会組織や国民教育、時代の風潮、庶民一般の思考や価値観、日本軍の組織や行動規範など多くの社会的な背景事情を基礎として、多様な史料を多角的に比較、分析、評価して事実を解明してゆくことが必要となる。それらは、本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくべきものである。司法にこれを求め、仮にも『有権的』な判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない」

 判決がこう書いているのに、「判決を反映していない」と鬼の首を取ったように書くのは、「報道」機関としてはいささか見識に深みがないといわざるをえません。

 先の大戦では、沖縄や南洋諸島の島々など各地で、米軍の侵攻を受けて日本の民間人の自決が行なわれました。戦争中のことです。手榴弾で自決した例もあります。「軍の関与」といえば、そういえることも多いでしょう。しかし、それが「軍の強要」であったのかどうか。そこは慎重に精査せねばならぬ問題です。

 たとえば、貧しさゆえ身売りせざるをえず、慰安婦になった方々を気の毒に思う心情は、現代を生きる多くの日本人が共有するものでしょう。慰安所の管理に「軍が関与」していたことも諸史料から明らかです。しかし、だからといって「軍が強制し、性奴隷にした」という議論にはならないのです。

 また、『琉球新報』はこの社説で、「何より、軍の強制については数々の証言がある。事実を書かないことを『妥当』とすることはできない。文科省が歴史教育の大切さを考えるならば、06年検定意見を撤回すべきである」と書きます。

 私はこの文章を読んで、つくづく「待ってくれ」といいたくなりました。日本の新聞メディアが、吉田清治なる人物による「私が済州島で慰安婦狩りをした」という「証言」を元に慰安婦強制連行という虚報をあたかも事実であるように何十年間も書き続けたために、その結果として今日、日本と韓国が不幸な関係に陥ってしまったことへの反省がまったく見られないからです。「証言」がそのまま「事実」でないことは、慰安婦強制連行という虚報の例ひとつをとっても明白なことではありませんか。

 子供たちに戦争の悲惨さや平和の尊さを教えることは当然のことであり、大賛成です。戦争のない社会を築かねばならないことも、言うまでもありません。しかし、だからといって、事実かどうかに疑義が唱えられ、歴史的な検証が十分ではないことを子供たちに教えていいのでしょうか。

 沖縄がその地政学上、そして戦略上重要な場所にあったために、多大の犠牲を強いる結果になってしまった事実を、私たちすべての日本人は永遠に忘れてはならないし、教科書に沖縄戦の悲惨さについて記すことは必要なことだと思います。

 しかし戦争の悲惨さは、「米軍の侵攻によって、自ら命を絶った人たちがいる」という事実だけで、十分に伝わるのではないでしょうか。なぜ、わざわざ「日本軍が強制した」といわなければならないのでしょうか。日本を、そして沖縄を守るために命を落としていった日本軍の将兵を、なぜ、そこまで貶めなければならないのでしょうか。

 仮に自分の政治的な意図のために歴史を貶めるというのであれば、中国や韓国の一部政治勢力がやっていることと同じになってしまいます。私はそのような行為は、多くの良識ある沖縄の方々のプライドが許さないだろうと思います。まさに「琉球新報」社説のタイトルのように、「事実」にしっかり根ざした主張を貫くことこそ、報道機関のプライドであるべきでしょう。

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