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このタイミングで、中国の大手娯楽企業が沖縄に投資!

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私事で恐縮ですが年末年始の暴飲暴食にる不摂生が祟ったのか風邪をこじらし、昨日病院に行ったが熱はないので、エボラ?インフルエンザ?の疑いは晴れ、一応安心。一応薬を5種出してもらいました。 今度は薬の飲み過ぎで胃や肝臓をやられイカンゾウではシャレにもならなりません。(涙)

ちなみに昨今の病院では熱のある患者は立ち入り禁止で、入り口で電話連絡し看護師らが飛び出してきて裏口から患者を入れるという厳戒体勢。エボラ?インフルエンザ?のせいでしょうか。

そんなわけで本日は絶不調なので、CIC関連のサルベージ記事でお茶を濁そうかと思ったのだが。

沖縄タイムスの一面トップに躍る中国大手娯楽関連企業の沖縄への投資の大見出しを見て、とりあえ思いついたことをメモしておく。

一面トップと7面のトップを飾る見出しはこれ。

一面トップ

沖縄で娯楽事業検討

中国の陽光七星ブルーノ・ウー氏

「屋内型投資に魅力」

7面トップ

アジアと近距離 着目

高まる投資価値

舞台やテーマパーク検討

安倍晋三首相が成長戦略の一つと位置づけた統合型リゾート(IR)の一環である沖縄へのカジノ導入は仲井真前知事により「研究案件」と位置づけられていた。

政府による候補地が限定されているため最初から拒否を表明しては決定時に「手遅れ」になる可能性が有るからだ。

だが、翁長知事に変わっていち早くカジノは拒否と決定した。

統合型リゾート(IR)の一環としてのカジノは、入場者に一定の制限を設ければ現行のパチンコより有利な観光客誘致の切り札になる可能性が有る。

依存症の危ぐを拒否の理由にするなら国道沿いのいたる所で大繁盛のパチンコの方が依存症の影響は大きい。

カジノ断念は県経済の発展にとっては残念な話である。

そして政府主導によるIR型カジノの導入中止とその潜在需要を見計らったかのような中国大型娯楽企業の沖縄への投資である。

中国との親密な関係が噂される翁長知事だけに、中国大手娯楽企業の沖縄への投資はあまりにもタイミングが良すぎ、翁長知事と中国との「特殊な関係」に疑念を持たざるを得ない。

周知の通り翁長氏は那覇市長時代から中国のシンボルといわれる巨大な龍の柱を那覇市の玄関に建設するなど複数の案件で、現在住民との間で係争中である。

タイムスの記事によると、投資家のブルーノ・ウー氏は「アジアの主要都市から1~3時間の距離にある沖縄の地理に着目しており、自然環境の美しさで客を引きつける現状の沖縄の魅力に、新たに「娯楽」「ビジネス」の要素を加えることで、1年を通して世界中から人々が集まるリゾート地になり、「客の質を変えていくことにつながる」とみている。

これでは仲井真前知事が構築した沖縄の物流・情報のハブ化構想をそっくり頂く算段だ。

安倍政府の支援を受けて沖縄で実現を考えた統合型リゾート構想による集客の果実を中国企業がそっくり頂くことになる。

ウー氏は昨年12月末、翁長新陳知事の誕生に合わせるように沖縄を訪問、各地を視察調査したとのこと。

翁長知事は、安倍政権が沖縄を日本のフロントランナーとし安倍ノミクスの牽引車として期待していが、統合型カジノの導入を就任早々いとも簡単に廃止にした。

その後の潜在需要を狙ったかのような大手中国娯楽企業の投資話に、翁長知事が唯々諾々応じるようでは翁長知事の「中国疑惑」の火種は消えない。

中国共産党による一党支配の中国で企業の投資と政府との関係を、民主主義国における私企業の投資(特に大型投資)とを同列に扱うことは危険である。

中国は否定するが、アメリカはニカラグアの運河建設に対する中国の大型投資に懸念を示している。

 ⇒中国のニカラグア運河建設 中国政府が関与を否定

 

【おまけ】

CIC関連のサルベージ記事です。

              ☆

 

琉球人民を26万人虐殺!日本軍が、中国報道、「スパイ容疑虐殺」の真相 2012-02-28

 

教科書問題や「残虐非道の日本軍」と騒ぎ立てる発狂報道は「中国への誤ったメッセージ」になると書いた。

 

⇒総括、教科書問題、中国への誤メッセージ

 

「誤ったメッセージ」に中国が、吠えた。

 


沖縄の発狂新聞が、中国のプロパガンダ紙そのものであることが、再確認された。(爆)

 

2012年02月27日17時12分

 

中国発の"沖縄県民虐殺"に失笑

 

河村市長“大虐殺なし”発言に中国反発…次なる“宣伝工作”に失笑

 

提供:ZAKZAK(夕刊フジ)
 名古屋市の河村たかし市長(63)が、いわゆる「南京大虐殺」を否定する発言をしたことが取り沙汰されている。中国国内では批判が噴出して、報復措置を呼びかける声が高まる一方、東京都の石原慎太郎知事(79)は「河村君の言うことが正しい」と擁護した。こうしたなか、中国では「日本軍は沖縄で、琉球人民を26万人殺した」という、事実無根の報道がされていた。

 

 河村氏が20日、名古屋市役所を表敬訪問した中国・南京市政府の代表団に語った真意は「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、(中国が被害者30万人とする)いわゆる虐殺はなかった」というもの。

 

 石原氏も24日の記者会見で、南京陥落の数日後に現地に入った評論家らによる「死体はあったが、山と積むような死体は見たことがなかった」という証言を披露し、「大虐殺は違うと思う。(旧日本軍の)装備、期間で30万人を物理的に絶対殺せっこない」と語った。

 

 最近の研究で、「南京大虐殺」は当時の中国国民党のプロパガンダ(宣伝工作)だったという研究結果も広まっているが、中国国内では次なるプロパガンダともいえる「日本軍琉球人民大虐殺」が報道されていた。

 

 中国商務省日本問題専門家の唐淳風氏は、人民日報傘下の「環球時報」(2010年11月10日)で、「1945年の終戦間際に日本軍は現地軍に沖縄県民の皆殺しを命じ、米軍占領の直前に26万人を殺し、虐殺の規模は南京大虐殺に次ぐものとなった」と発言し、しかも「今沖繩では琉球独立運動が激化し、中国はそれを支援するべき」と結論づけているのだ。

 

 沖縄県擁護課が76年に発表したデータ(沖縄県平和祈念資料館HPより)によると、沖縄戦の犠牲者は日本人18万8136人で、うち沖縄県出身者は12万2228人(一般人9万4000人、軍人・軍属2万8228人)とある。

 

 一体、26万人という数字はどこから出てきたのか。私(仲村)は沖縄県で生まれ育ち、沖縄戦を経験した方が周囲に何人も存命しているが、「日本軍が沖縄県民26万人大虐殺」などを信じる人は1人もいない。

 

 中国共産党機関紙は最近、沖縄・尖閣諸島を「核心的利益」と呼び、領土的野心を露にしている。前出した唐氏の「琉球独立運動を中国が支援すべき」という発言も、沖縄県全域に対する野心の表れではないのか。日本人はもっと、他国のプロパガンダを警戒しなければならない。(ジャーナリスト 仲村覚)

                              ☆

 

沖縄戦で沖縄守備軍として戦った第32軍の壕跡の掲示説明文で、久し振りに発狂新聞が吠えた。

 

学問的に確定していない「慰安婦」と「住民虐殺」の文字が掲示版から削除されたからだという。

 

「慰安婦」や「スパイ容疑による住民虐殺」など歴史的に確定していない事項を削除した県の判断は正当であり、それをヒステリックに批判する沖縄メディアの方が狂っているのはいうまでもない。

 

QAB朝日テレビなどは、あの「従軍慰安婦」の火付け役の朝日新聞さえ使わなくなった「従軍慰安婦」という言葉を平気で連発し無知の知ならぬ無知の恥を晒している。

 

⇒第32軍司令部壕跡説明板 「慰安婦」「住民虐殺」を削除

 

二日連続で発狂報道をした沖縄タイムスだが、三日ともなるとさすがに恥ずかしいと思ったのか、昨日の一面、社会面から「発狂記事」は一斉に消えた。 

 

だが、今度は読者の「声」に代弁させるという得意技を使った。

 

26日のオピニオン面は「『慰安婦』『住民虐殺』に思う」と題する特集を組んだ。

 

読者を利用する、という姑息な手段に打って出たのだ。

 

読者の「声」の見出しを拾うとこうだ。

 

「論壇」32軍文言削除に抗議 ・・・  宮城淳(沖教組書記長、那覇市、58歳)

 

史実を曲げる陰謀許さない・・・ N・Yさん(84歳、那覇市)

 

戦争の残酷さ示すのが教育・・・ N・Jさん(72歳、沖縄市、牧師)

 

加害を考える 日本人の責任・・・ M・Tさん(39歳、北中城村、美術館スタッフ)

 

説明文記載で知事判断妥当・・・ K・Yさん(24歳、南風原町、沖国大4年)

 

知事歴史認識 県民に説明を・・・ F・Tさん(54歳、沖縄市)

 

6件の読者の投稿が「県民の総意」とは思わないが、タイトルだけを見ると5対1で圧倒的多数の読者が「削除」を批判している。

 

ところが、K・Yさんの「説明文記載で知事判断妥当」を読むと、祖母の話として「米国兵よりも日本兵のほうが怖かった」とか「マラリヤにかかって死にかかった」など「残虐非道の日本軍」を表す文言が躍り削除した県知事を批判するような記述である。 それが最後になって、「ただ、今回の説明文の記述について、仲井真弘多知事の判断は妥当だと考える。このような事実に対し、県側が記載すれば、それが県の判断だということになる」と取ってつけたような文言で結んでいる。

 

誰が読んでも整合性のない結語とタイトルは、掲載のバランスをとるためのアリバイ作りの「投稿」だと勘ぐられても仕方がない。結局実質的には「読者の声」の全員が「削除」を批判していることになる。見事な印象操作である。

 

それから「論壇」の宮城淳氏とは、極左授業でお馴染みの教員で、八重山教科書問題でも大奮闘のこの先生のことである。

 

⇒南の島の教科書騒動、問題教師の登場

 

          ☆

 

■「紙爆弾」の呪縛を引きずる極悪複合体

 

沖縄戦で米軍は、上陸の前沖縄中に「鉄の暴風」を吹き荒れさせ、沖縄住民の生命と肉体に壊滅的打撃を与えた。

 

米軍が上陸した後、降り注ぐ砲弾の合間に空から舞い降りてきたのは、膨大な数の「鉄の爆弾」ならぬ「紙の爆弾」であった。

 

炸裂する砲弾に替わる「紙爆弾」は、今度は沖縄住民の心を破壊していった。

 

沖縄戦で米軍は沖縄住民の身体のみならず心も共に破壊したのだ。

 

「紙爆弾」といわれる宣伝ビラは、60数万枚にも及ぶ膨大な数量が、小さな島にばら撒かれた。

 

その種類も日本軍用、沖縄住民用と内容が別れ、

 

目的別に更に20種類に細分されるという徹底ぶりだった。

 

だが、米軍の心理作戦部隊が最も重要視したのは、

 

本土出身の将兵と地元住民との仲を、疑心暗鬼の状態にして、

 

お互い離反させることであった。

 

沖縄住民と日本兵との間に楔を打ち込む。

 

これを目的にした宣伝ビラの例には、次のようなものがある。

 

沖縄住民用ビラ

 

<この戦争は、沖縄の皆さんの戦争ではありません。貴方たち沖縄人は、内地人の手先に使われているのです。皆さんは、彼ら内地人の犠牲になっているのではありませんか。(略)>(『沖縄戦下の米日心理作戦』太田昌秀 岩波書店)

 

このような沖縄人用の宣伝ビラを読むと、60数年前に米軍が書いたビラながら、その呪縛は現在の沖縄にも生きており、今でもどこかで良く見るアジ文である。

 

と思ったら・・・、

 

そう、当日記のコメント欄に時々嫌がらせを書いてくる「沖縄左翼ボーイ」たちのカキコにそっくりなのだ。

 

「お前はヤマトンチュの犬だ」とか。(爆)

 

60数年前の米軍心理部隊が沖縄住民と日本兵の間に打ち込んだ楔(くさび)が、現在も沖縄左翼の間に生きて彷徨っているわけだ。

 

恐ろしきは「心理作戦」そして「紙の爆弾」。

 

 

 

沖縄戦の証言者の中に、身内の者が「スパイ容疑で日本兵に惨殺された」いった話を良く聞く。

 

係争中の「集団自決訴訟」でも、被告側は「日本軍はスパイ容疑で無辜の沖縄住民を虐殺した」と、

 

争点とはまったく外れた論議を持ち込んで、

 

「悪逆非道の日本軍」の印象操作に余念がないのは周知の通り。

 

「うつろな目の少女」(オカッパ頭の少年)で一躍有名人になった大城盛俊氏も自分の母親が「スパイ容疑」で殺されたいう。

 

⇒「うつろな目の少女」の秘密!

 

上羽修著『母と子でみる44 ガマに沖縄戦刻まれた』のなかで、その経緯を次のように述べている。

 

<収容所で悲しい知らせを受けた。再婚していたお母さんが、大城少年が一番初めに避難していたワチバルの壕まで会いにきたことがあったが、その帰り、日本兵にスパイ容疑で射殺されていたのだ。お母さんがこともあろうにスパイという汚名を着せられ無残に殺されたことを知った大城少年は、どんなにつらかっただろうか。 

 

沖縄住民をスパイ視した日本兵による陰惨な虐殺事件が、沖縄の各地で起きている。ここに収容されていた住民も、山に潜む敗残兵に射殺されるという事件が起きた。彼等の論理ではアメリカに投降した者はみんなスパイであった。

 

「私たちはその日本兵を殺そうと、アメリカ軍の憲兵に日本兵の隠れていそうな壕を教えてやりました」

 

アメリカ兵は住民に親切だったのに対し、日本兵は住民にとってははなはだ危険な存在だった。

 

戦後、大城さんは右目失明と右足の障害のため良い仕事につけず、本当に苦労したという。>

 

沖縄戦にまつわる「スパイ」の話は、ことの性質上明確な証拠・書類の類は残っておらず、数件の例を除いて、ほとんどが伝聞による「スパイ虐殺」が主である。

 

上記証言者の大城氏の場合も、「日本兵がスパイ容疑で母親を射殺した」というが、米軍に収容されたときそこで聞かされた伝聞を、当時12歳の大城少年が事実確認することは無理であったのだろう。

 

本文は大城少年が「母親が殺された」と聞いたせいか、日本兵に対する憎悪に満ちており、次の文にもそれがよく表れている。

 

「アメリカ兵は住民に親切だったのに対し、日本兵は住民にとってははなはだ危険な存在だった」(この趣旨の文は「残虐非道の日本軍」を象徴する言葉としていろんな場面で登場する。そう、冒頭の「読者の声」で沖国大生のK・Yさんの文にも出てくる)

 

そして、事実確認もしないまま大城少年の心に植えつけられた日本兵への憎悪は、本人は無意識なのだろうが、次のようなスパイ行為へとエスカレートしていく。

 

「私たちはその日本兵を殺そうと、アメリカ軍の憲兵に日本兵の隠れていそうな壕を教えてやりました」

 

何気なく読み飛ばしそうな一文だが、実はこれには重大な意味が含まれている。

 

これはスパイの自白文である。

 

もし大城少年とその仲間が米兵を日本兵の隠れていそうな壕に案内する光景を、日本兵に目撃されていたら、それは紛れもない「利敵行為」であり、りっぱな「スパイ行為」である。

 

スパイというと、「007」のジェームス・ボンドや、CIAの秘密情報員を連想する人もいるかもしれないが、沖縄戦時のスパイは大体次のように類別される。

 

①通称CICと呼ばれた連合国軍総司令部第441部隊

 

②米軍の捕虜になった後、勧誘されスパイになった沖縄住民

 

③本人は無意識にスパイ行為をしていた沖縄住民

 

④日本軍の疑心暗鬼で「スパイ容疑」で処刑された無辜の沖縄住民

 

 

 

①のCICとは、Counter Intelligence Corpsの頭文字をとった通称で、日本語の話せる日本人二世を中心とし、その一部は沖縄戦以前に「南方帰りの県人」として沖縄に潜入していたいわれる。 沖縄上陸後は公然と捕虜になった沖縄住民をスパイに勧誘していたが、終戦後沖縄が米軍占領下の時代になっても、沖縄住民の共産化防止を任務として暗躍していた。

 

②の例は、明確な資料として残されてはいないが、琉球政府主席(知事)を務めた当間重剛氏が捕虜になったときの捕虜収容所で、CICにそれとなくスパイ勧誘されたと思われる様子が氏の自伝で次のように述べている。

 

<・・・その前に私は日本語のしゃべれるCICに呼ばれた。私の身分はすでに明らかにされていた。「これをやったらどういう結果が生まれるだろうか」と、そのCICが紙に書いてみせたのがplebiscite。“国民投票”とか“人民投票”とか、言う意味だ「国民投票やって、何をきめるんだ」「日本に帰りたいか、アメリカに帰属するかを沖縄の人たちに決めさせるんだ」「それは日本帰属に決まっているよ。アメリカにつきたいというのはいないよ」そしたらこのCIC「そうかな」と言ったきり、それから口をきこうともしなくなった。私が、ぐるぐるあちこちひきずり回されたのはその後まもなくたってからであった。

 

あのころ、私は伊良波で全く対照的な人物像をみた。一人はいかにも古武士的な風格の裁判長で、もう一人は敬虔なクリスチャン検事正だ。検事正は山下という人で、戦前からのクリスチャンだったようだ。捕虜になってからは、戦時中のようにクリスチャンであることに肩身のせまい思いをする必要もなくなり、今度は却って胸に十字架をぶらさげて歩くようになった。

 

一方、古武士的な裁判長は、CICに対しても“お前たちは今に負けるよ”と主張して譲らなかった。裁判長の頑固さをCICに対しても“お前たちは今に負ける”と主張して譲らなかった。裁判長の頑固さをCICは“危険思想の持ち主”と思ったのか、あるいは“いじめてやろう”と思ったのかどうかは知らんが、この人だけは、ひとりトゲ鉄線の中に囲まれ、日本に帰るまで「あっち掃除しろ」「こんどはこっちだ」とこき使われているようだった。民間人は捕虜になると、いろんな班にわけられた。DDTを散布する衛生班、食料を配る配給班。一般労務をする労務班等々。>(「当間重剛回想録」1969年3月25日)

 

捕虜になった民間人をスパイにする②の例は、本島のみならず離島でもあったようで、先島戦記刊行会代表の瀬名波栄氏が『沖縄春秋』(1974年1月発行)に寄稿した「離島戦史の裏面」と題する文に次のような記述がある。

 

<沖縄戦も一段落した昭和20年の7月頃(6月頃の説もある)宮古平良町の成川部落で沖縄出身者とみられる挙動不審の男が現れた。その態度に不審の点が多々あるのに気がついた部落民が、その旨憲兵隊に通報、憲兵隊が現場へ急行して取り押さえて調べた。 その男は最初、名護出身のアラサキ某と名乗り、クリ舟に乗って漁労中、難に遭い宮古島に漂着したと申し立て、スパイ容疑を極力否認したが、陳述があいまいでそのうえ所持品の中からスパイ行為を裏付けるようなメモ帳が現れ、ついに包み隠すことができず、米軍のスパイである旨を自白した。 
それによると、同人は米軍のもとで抑留されていたが、スパイになるように強制され、他の仲間三名と共に潜水艦に乗せられ、一人だけ宮古島近海でに下ろされ、ゴムボートで狩俣海岸に上陸した。 任務は、宮古島の陸海軍部隊の兵力概況と高級指揮官の階級氏名を探ることが主で、脱出の際は海岸で信号弾を使用して合図すれば、時を移さず米潜水艦が救出にくる手筈になっていた。宮古に潜入したのは自分だけで、たの三名のことは知らない。上陸後しばらく人目のつかない所に潜んでいたが、そのうち手持ちの食料が尽き、食料を求めて出てきたところを捕まった。
憲兵隊ではこれに基づいてスパイ容疑は動かせないと断定、司令部に報告、指示を仰いで処断したようで、銃殺刑に処したという説が強いが、当時後方を担任していたM参謀の回想にによると、西表島へ監禁したのではないかとも言う。 もし殺害したとしたら痛ましい戦争犠牲者ともいえる訳だが、当時の日本軍は追い詰められて勝算を失ったせいか、スパイ対策には神経過敏と言えるほど気をつかっていたようで、沖縄人を色メガネで見る向きが少なくなかったようである。>(「沖縄春秋」1974年)

 

③の本人が無意識に「スパイ行為」に走った例は「うつろな目の少女」の大城少年が典型だが、本人や周囲の人が無意識だけに、これが発覚して処刑された場合でも、被害者側としては「無実の罪」を訴えるだろう。

 

③と④で処刑された場合の峻別は、客観的資料や証言に乏しく、さらに「反日本軍イデオロギー」がこれに加わると、事実の解明には困難が伴うと思われるが、いずれにせよ今後の研究・調査が待たれる。

 

             ☆

 

■厚生省援護局、市町村援護課、琉球政府、

「戦災に打ちひしがれた沖縄を援護したい!」・・・・・・3者が造った善意の悲しいウソが反日左翼複合体に利用され、いつしか「スパイ容疑による住民虐殺」という神話を一人歩きさせることになる。

 

さらにこれが中国に情報ロンダリングされると、「日本軍による25万人の琉球人虐殺」と大変貌するのだから言葉を失う

 

 

 

 

 

 

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 ■「住みよい那覇市を作る会」
(代表者:金城テル)よりのお願い。 

 

現在、那覇市障害者福祉センター訴訟(翁長雄志後援会々長がこのセンターを管理し事業を行っている福祉団体の会長をしていた件)と久米至聖廟訴訟(翁長前市長が龍の柱をシンボルとする中国との交流拠点づくりを進めていた件)ではそれぞれの訴訟内容が複雑なため、担当弁護士をそれぞれ置いて那覇市住民訴訟を行っています。被告は那覇市と翁長雄志氏です。知事になったからといって責任が逃れられることはありません。

本件は徳永、照屋両弁護士が手弁当で代理人を務めていただいておりますが、訴訟実費を含む活動資金が枯渇しております。

何とぞ訴訟活動を継続するために広く皆様のご支援をお願いします。

支援金の口座 ゆうちょ銀行口座

住みよい那覇市をつくる会

名  称 スミヨイナハシヲツクルカイ 記  号 17090 口座番号 10598191

 

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