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NHK反日・偏向番組を糾す!

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現在沖縄2紙を筆頭に「沖縄は歴史的、文化的に日本とは異なるので独立すべきだ」といった琉球独立論が盛んに行われ、「しまくとぅば」の普及などは学校教育にも取り入れられる有様だ。

独立にの動機になる要件は大雑把に言えば(1)言語の相違、(2)人種の相違、(3)民族・歴史の相違などが上げられるが、(1)(2)(3)のいずれをとっても沖縄は日本の一地方というのが現在の学問的成果である。

そんな中上記いずれの事実をも無視し、「平和で豊かな琉球王国が武力で日本に編入された(琉球処分)たため、沖縄が幾多の苦難に遭遇した」という「日本悪玉ー中国善玉」説に基づいたNHKのトンでも番組が放映された。

はるかなる琉球王国
〜南の島の失われた記憶〜

●本放送 平成26年 9月 3日(水) 22:00〜22:43 総合 全国

エピソード1 生き残り大作戦 琉球王国のシンボル・首里城(世界遺産) アジア各地の産物を集め、中国と貿易することで繁栄を築いた琉球王国。日本の戦国大名である薩摩島津家の侵攻を受け、窮地に陥る。日本と中国、二つの大国のあいだでの生き残りをかけた琉球王国の作戦とは?     エピソード2 “したたか”外交で危機を乗り越えろ 日本が幕末の時代に入ろうとしていた頃、琉球には次々と欧米列強の船がやってきます。武器を持たない琉球は、外交交渉でなんとか外国勢力を遠ざけていました。しかし、そこへ来たのが、強力な艦隊を率いたアメリカのペリー提督。琉球王国とペリー、対決の行方やいかに−。   ペリーと交渉した琉球の青年通訳・板良敷朝忠(再現)   エピソード3 琉球を守れ!若者たちの奮闘 中国人に変装した琉球の青年・幸地朝常 明治新政府が日本の政治を掌握した時、急いだのは国境の画定でした。琉球を日本に取り込む案、あるいは東アジア安定のためとして中国と分割する案…いずれも琉球王国存亡の危機!その時、立ち上がったのは琉球の若者たちです。彼らの奮闘の物語。                                      ☆

友人の紹介のFC2動画で上記NKK番組を見た。

冒頭から「中国皇帝」のシンボルである龍の像が首里城に多数見られることを誇示し、満州族の清朝皇帝のことを「中国皇帝」と言い換え、琉球王国が「中国皇帝」の支配下にあったと視聴者を洗脳する意図が感じられる反日番組。

先ずは同番組の【動画】をご覧頂きたい。

時間のない方は飛ばして、概略をご覧下さい。

【動画】はるかなる琉球王国 〜南の島の失われた記憶〜

【同番組の概略】

(1)中国の庇護の下、平和で豊かな生活を享受していた琉球王国は、慶長の薩摩侵略の後、外国船の開国要求を巧みな外交交渉で切り抜けたが、武力を背景に琉球処分を迫る日本(明治政府)のため日本国に組込まれ、琉球王国は滅亡してしまう。

(2)琉球王国の滅亡の危機に立ち上がった琉球の若者たちが宗主国・清に援軍を求めたが成功せず、逆に琉球を本島以南と分離支配する折衷案を清国に提案。

(3)清に援軍を求めて渡った幸地朝常は祖国の分断阻止を死を以って訴えたため、祖国分断は免れた。

(4)琉球の若者たちの必死の努力にも関わらず、琉球王国は侵略国日本に組み込まれ、結果的に悲惨な沖縄戦に巻き込まれる。 

(5)戦後も米軍基地の重圧に苦しめられ、現在でも米軍用機オスプレイの被害を被っている。

(6)琉球王国の悲劇は、武器なき平和な島を武力で滅亡させた日本の琉球処分に起因する。

 

結局、番組全体を支配するのは「悪玉・日本」に対し、「善玉・中国」という論調である。

番組に登場する学者・西里喜行琉球大学名誉教授は共産党機関紙「あかはた」を購読する偏向思想の持ち主であり、歴史学者・大城将保氏はれっきとした共産党員。そして証言者はすべて中国の子孫の久米三十六姓たちという極端に偏向した番組である。

番組が悪と捉える明治維新はその成立過程に全国各地で幾多の戦いが行われ、その間犠
牲者数は1万人以上に上る。
その一方で、番組が侵略と決め付けている琉球処分では一人の犠牲者も出ていない。

明治維新で近代化に成功した日本に抵抗し、滅亡寸前の清国に救援を求めた幸地朝常らが何故救国のヒーローなのか。

当時の琉球には既得権に拘って琉球処分に反対する頑固党と明治維新で近代化に成功した日本に従がう親日派の開化党で二分されていた。

番組では琉球処分を肯定する開化党については一言も触れていない偏向ぶりである。

開化党で親日派としての論陣を張ったのは当時の琉球新報があり、同紙の記者をしていた大田朝敷はその著書『沖縄県政五年』で、ペリーとの外交交渉の裏には薩摩の指示があったと記している。

そして、さらにその薩摩に指示を出していたのは徳川幕府だったという。(紙屋敦之著「歴史のはざまを読むー薩摩と琉球」)

したがって慶長の薩摩侵攻(1609年)以来、琉球王国はもはや独立した王国の体をなしておらず、薩摩の「附庸国」(仮面王国)として、鎖国を国是とした徳川幕府が中国との貿易のため設けた「出島」の役割を果たしていた。

その約24年後、長崎奉行の基にオランダ相手の貿易の拠点「出島」が設けられることになる。

つまり徳川幕府は長崎口「出島」と薩摩口「琉球王国」という二つの貿易拠点で鎖国による物資や外国の情報を得ていたことになる。

現在は琉球王国という表記が一般的だが、そもそも琉球王国という名称自体が後世の後付けであり、当時の名称は琉球國(りゅうきゅうこく、ルーチュークク)である。

日本でも当時は現在で言う「国」という概念はなく、宮崎地方は日向の国、鹿児島地方は薩摩の国などと称していた。 戦国時代はまさに「国盗り物語」の世界であった。

琉球の名称は、7世紀の中国の史書『隋書』卷81 列傳第46 東夷 流求國條に記述される、大業6年(610年)に隋が侵攻した国、流求に由来するが、この「流求」がそのまま「琉球王国」(今日の沖縄県周辺)を指したわけではない。

明との交易が本格化した14世紀頃には今日の沖縄県周辺の呼称として定着し、「琉球國」(りゅーちゅうくく)という国号が、1872年の日本政府による琉球藩設置(琉球王国の廃止)まで用いられた。

幸地朝常、林世功等脱清人の「救国運動」は本来、国内問題であるはずのものを、清に訴え国際化して事態をこじらせ、結果的に琉球分割の危機を招いてしまった。 番組で西里教授が琉球分断について「琉球には人間が住んでいないようなドライな行為」と批判的に述べているが、幸地朝常らが中国に画策しなければこの問題は起きてはいない。

そもそも幸地朝常、林世功等は一体は何を守るため何と戦っただろうか。

彼等は久米三十六姓から成る一握りの士族階級の既得権を守るため、中国に嘆願を繰り返したにすぎない。

番組では彼らが琉球分島案を阻止した英雄として描かれているが、琉球分島案の危機を招いたのは他ならぬ幸地朝常、林世功等で有るということは歴史の事実である。

本来ならば彼等は琉球の危機を招いた責任者として糾弾されなければならず、あたかも功績があったヒ−ロ−として評価している同番組こそ欺瞞というべきものである。


明治維新は武士が既得権を捨てることで、武士の自己犠牲により成功した。

だが、幸地朝常、林世功等はみずからの既得権、王府の既得権を守るためだけに行動したのではないか。彼らの救国運動は琉球の民の幸せには一顧だにした気配はない。

王府の高官であれば清国の悲惨な状況は知っていたはず、当時の列強の帝国主義時代にあって、しかも諸外国が琉球に寄港するのを見ていてながら、琉球の危機を感じないその言動は自己中心的で愚かとしか言いようがない。

幸地らは「救国の英雄」というより、むしろ「亡国の愚者」と名付けたほうが歴史的には正確である。

260年間琉球が薩摩に支配されたということは、薩摩の恩恵、日本の影響も中国以上に大だった。

危険を伴う600〜800km、10日の中国航路に対して、日本からは島伝いの航路となる。

生活必需品は当然日本からのものが多く、いくら薩摩が日本風を禁じようとも260年間は否応なしに精神的、文化的にも大きく日本の影響を受けたのは間違いない。

薩摩侵攻以前も琉球国の公文書は「ひらがな」だったことが日本文化の影響を大きく受けていた何よりの証拠である。  薩摩侵攻後中国との貿易のため公文書を「漢文」にしたのは、琉球国を日本から独立した「王国」の体裁を保つため薩摩の指示で行った。(仮面王国)

琉球処分を、明治政府が武力で琉球国を併合したとする番組の解釈は大間違い。

軍隊は送ったがそれは一部の過激派(脱清人)らによる不測の事態に備えるための正当な行為である。 その軍隊は人民に銃口を向けてはいないし、実際死者は一人も出なかった。明治政府はその前に琉球藩を置いていおり、突然に併合したわけではない。

琉球処分に対し、王府や一部の役人達は既得権益を守るため反対だったかもしれないが、一般民衆の大半を占める農民は明治新政府の大和世に期待していた。

特に史上希にみる悪法の人頭税に長年苦しめられていた宮古、石垣の先島地方の農民は琉球処分(廃藩置県)に大賛成だった。
http://www.beats21.com/ar/A01051824.html
http://www.tabiken.com/history/doc/J/J226R200.HTM

明治4年明治新政府から琉球側に最初の琉球処分((王国解体)の通達がなされて琉球国は琉球藩となったが、王府側では頑固党(親シナ派)と開化党(親大和派)がそれをめぐって相争うようになる。

明治新政府は宮古島島民の台湾遭難事件(明治4年)を奇貨とし明治7年台湾征伐を行い大久保利通を全権大使として清国との交渉に当たらせ琉球の日本帰属を認めさせる。

だが琉球国の日本帰属を明確に示した重大な歴史的事件である「台湾征伐」について番組はひと言も触れていない。

明治新政府は同8年それを琉球側に伝え清国側との朝貢関係を断つよう命じるが、既得権を失うことを不服とした頑固党は新政府が佐賀の乱、西南の役で忙殺されている隙をつき明治10年3月琉球処分の撤回を求めて清国に救援の密使(幸地親方)を送る。

琉球側の要請を受け清国は翌11年日本に抗議するが国際問題になりつつある状況に内務卿伊藤博文(大久保利通は5月に暗殺される)は先手を打って翌12年3月松田道之に命じ軍隊を伴わせ琉球処分(廃藩置県)を断行。そこではじめて首里城が明け渡され沖縄県が誕生する。

しかし頑固党の密使(幸地親方)はそれでも諦めず時の宰相、李鴻章に何度も嘆願しその情意に動かされた李鴻章はその頃清国を訪れていたアメリカ前大統領のグラント将軍に日本政府との仲介を頼み込む。

グラント将軍はこれを聞き入れ琉球2分割案すなわち北琉球(奄美)中琉球(沖縄本島)は日本が領有し南琉球(宮古、石垣)は清国が領有すると言った内容の仲裁案を日本政府に提示する。


日本政府はアメリカ前大統領の調停とあって無視もできず国際問題となった琉球問題に再度交渉の場につく。

その際日本政府は明治4年に締結した日清修好条約の改正を代償条件としてその案に同意することを清国に提示するが清国はそれには同意せず日本を警戒し別案(奄美は日本が宮古、石垣の先島は清が領有し沖縄本島は琉球王国に復活させるという案)を提示する。

しかしそれは日本政府の拒否にあい清国はやむなく日本政府の提示した2分割案に合意する。

条約は10日後に調印する予定だったが、清国が調印を引き延ばしたため結局分島案は決着を見ることなく曖昧のままに終わる。
 
清国が調印を遅延した理由として

? 条約内容をリークした琉球密使幸地親方が合意撤回を必死に清国側に嘆願したこと
? 欧米列強の圧力に屈して結んだ不平等条約と同等な特権を日本側に与えることに対し国内の抵抗が大きかったこと
? ロシアとの国境紛争の最中であったこと(イリ条約で解決)
?フランスの安南侵攻があったこと(後に清仏戦争となり天津条約を締結)
?朝鮮をめぐって日清間に軋轢があったこと(後に日清戦争となる)


沖縄では先の琉球処分を日本の侵略としてとらえ琉球を被害者として見る向きがあり清国へ渡った幸地親方を始めとする頑固党一派を分島案を阻止した功労者として評価する識者もいる。
http://www.jca.apc.org/~runner/oki_sosyo/oki-jyunbi3/dai2.html
http://w1.nirai.ne.jp/ken/rekishi.htm
しかし琉球王国は1609年薩摩の侵攻により実質的には滅びている。

その後は薩摩藩の支藩(附傭国)であり続けたと考えるのが妥当で、外交権は薩摩が握っていた。

幕末まで琉球王国はさも独立国であったかのような前提でもって文化人・学者達は琉球論を展開するため大半の人が琉球処分即日本の侵略として捉えがちだが、当時の国際情勢の中にあって、近代化に成功した明治政府の一県になること(廃藩置県)は、琉球にとっては最善であったことは言うまでもない。

幕末期、明治初期の琉球国首脳は国際情勢が見えなかった。

何より琉球国は独立国であると錯覚してしまった。あるいは錯覚はしなくとも過度に清国を過大評価し期待し過ぎていた、その反動として当然のことながら維新後の明治新政府を見くびり清国が出れば日本は譲歩するだろうと考えていた。

当時の清国はアヘン戦争、太平天国の乱と欧米列強の進出に遭い内外共に難題を抱え争乱期にあって国力の低下が著しかった。琉球を顧みる余裕等無かったのではないか。

琉球は260年間薩摩の支配下にありながら己の立場がどういうものか解せず現状認識が非常に甘かった。その認識の甘さは他でもない清への過度の期待に因るものでありそれはまさしく1609年慶長の役(薩摩侵攻)で明を頼った謝名親方の轍と全く同じである。260年後再び同じ轍を頑固党の幸地親方、林世功は踏みつつあった。

明治12年(1879年)の琉球処分(廃藩置県)以降も頑固党による琉球王国復興の工作は尚も執拗に続き、藪蛇の「琉球分割案」を引き起こしたのも幸地朝常ら頑固党の責任である。

(※これまでの記述は当日記の読者太平山さんの書き込みを参考にさせて頂いた。特に後半部分は一部編集の上そのまま引用させて頂いたことを、この場を借りて御礼申しあげます。)

つづく

           ☆

 

第37回世日フォーラム沖縄

沖縄と日本の未来を考える講演会

9月7日の統一地方選挙が終わり、いよいよ11月16日投開票の県知事選挙戦に突入しました。3選を目指す自民党推薦の仲井真弘多知事に対し、「オール沖縄」を掲げて、革新諸派の支持を受けた翁長雄志那覇市長、それに元郵政民営化担当相の下地幹郎氏が出馬表明し、保革中道の三つ巴の様相を呈しています。

そこで当フォーラムでは、全国的に人気の高いブログ「狼魔人日記」の管理人である江崎孝氏を招いて、最近の沖縄情勢から見た知事選の行方について講演していただくことになりました。ご多忙とは存じますが、読者の皆様始め、知人、友人の方、万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。           

演 題 「沖縄がアジアの中心となる日」

        〜沖縄の将来にとって誰が知事にふさわしいか〜

講 師   江崎 孝 氏(コラムニスト)

プロフィール;江崎 孝 えざきたかし
1941年 沖縄生まれ。 慶應義塾大学(経済学部)卒業、
東京にて商社勤務の後、沖縄にて貿易会社経営。
同時に雑誌『WILL』や『正論』などで評論活動開始。
現在人気ブログ「狼魔人日記」の管理人、チャンネル桜沖縄支局
のレギュラーキャスターを務めている。
著書『マルチ商法を斬る』、『沖縄「集団自決」の謎と真実』(共著)

【日 時】平成26年10月12日(日)午後1時30分開場       

     午後2時開演、4時終了       

【会 場】沖縄県立博物館・美術館 講座室

      〒900-0006 那覇市おもろまち3−1−1

      電話 098(851)5401(博物館班直通)

【会 費】1,000円 ⇒ 500円

【主 催】世日フォーラム沖縄     

【後 援】世界日報社那覇支局、自主憲法制定沖縄県民会議、勁草会

【連絡先】世日フォーラム沖縄事務局      電話&FAX:098 (862) 9195

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