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県知事「辺野古は争点にならない!」

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☆沖縄県内の「告別式」最新情報

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                     ☆  【緊急速報】 梅澤裕元座間味島の船舶特攻隊長が97歳でご逝去されましたが、梅澤さんの汚名返上のため琉球新報と戦ったドキュメンタリー作家上原正稔さんが急遽記者会見をすることになりました。
急のことではありますが、有志の参加をお願いいたします。  梅澤さんは戦後集団自決の軍命令を下したという汚名を着せられ、子息をはじめ周囲の方々から誤解を受け、職場も転々とせざるを得ませんでした。
2011年より、沖縄を舞台に戦われた「パンドラ訴訟」は劇的な逆転勝訴を勝ち取ったことにより、汚名を晴らす一端となりました。
しかし、大江・岩波はもとより、沖縄の新聞社もメディアも、そして沖縄の為政者の誰も梅澤氏に謝罪したものは居ません。
梅澤さんご自身の胸中を察するに、必ずしも晴れ晴れとした心境にはなれなかったと思われます。そういう意味で、上原正稔氏の記者会見は意義深いものがあると思います。時間の許す方は、是非会見に来て下さい。  会見者は、上原正稔氏・星雅彦氏と三善会会長の当山正範氏です。 日時:8月12日火曜日 13時より 会場:県庁5階 記者クラブ 問い合わせ:090−9780−7272 にしこりマデ                   ★

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「辺野古移設の是非は争点にならない!」

これが仲井真県知事の主張。

「辺野古撤回」が法的に不可能と知っている県民なら誰もが仲井真知事に同意する。

良識ある県民なら「辺野古撤回」が「普天間の固定化」に繋がることを知ているからだ。

 

7日に行われた仲井真県知事の立候補表明記者会見の席でのこと。   司会進行を担当した元気一杯の「復帰っ子」(祖国復帰の年に生まれた)島袋大那覇市議が記者団に向かってこう発言した。   「県内41の市町村長のうち、仲井真県知事を支援する市町村長は実に31人もいるのですよ。 この点を明日の新聞には大きく書いて下さいよ」   勿論翌日の沖縄2紙には「県内市町村長41人のうち31人は・・・」などの大見出しを見ることはなかった。   ただ司会の発言には勘違いが有り、仲井真知事を支持するの市町村長は31人ではなく、実際には30人が正確のようである。   次のその内訳を示す。     ○仲井真県知事を支持表明した首長(30人)   宜野湾市 石垣市 浦添市 糸満市 沖縄市 豊見城市 うるま市 宮古島市 南城市 国頭村 東村 本部町 恩納村 宜野座村 金武町 伊江村 嘉手納村 与那原町 渡嘉敷村 座間味村 粟国村 渡名喜村 南大東村 北大東村 伊平屋村 伊是名村 久米島町 八重瀬町 多良間村 与那国町     ●仲井真知事の不支持首長、11人   那覇市 名護市 大宜味村 今帰仁村 読谷村 北谷町 北中城村 中城村 西原町 南風原町 竹富町   仲井真知事の支持、不支持は「30人vs11人」という構図になるが、これは「73%vs27%」という割合になる。   沖縄県下全41市町村長のうち、実に73%の首長が仲井真県知事に支持表明している意義は大きい。   昨年12月の県知事による埋め立て承認以来、沖縄2紙は県知事を「公約違反で新基地建設を誘致したウソツキ」というネガ・キャンペーンで、仲井真県知事に牙を剥いている現状だ。   そんな中、名前を出して県知事支持を表明することは、首長として大きなリスクを負う事になる。   「反戦平和は免罪符」を社是とする沖縄紙が「新基地建設」を目論む仲井真県知事を支持する首長に悪意ある報道でシッペ返しするのは目に見えているからだ。   仲井真知事の支持を表明した宮古島市長が、三回にわたって社会面トップで散々叩かれたことは記憶に新しい。 あたかも「台風警報発令中の市長室でドンちゃん騒ぎの酒盛りをした」かのような印象操作で。   沖縄紙の悪意に満ちた報道には、宮古島市の下地市長に対し、お気の毒としか言いようがない。                 ☆   最近発狂新聞の社説をまともに論じることはほとんどない。   あまりにも事実歪曲が激しく、その上論理不明で稚拙な論調に一々反論するのも面倒なので、「論評に値しない」などと切り捨ててきた。   だが、時には相手にしなければ敵前逃亡の謗りを受けかねない。   そこで本日は琉球新報の社説を取り上げてみよう。     県知事選 審判まで「辺野古」中止を 琉球新報社説 2014年8月9日 

 11月16日に投開票される県知事選に3人が立候補する構えを見せている。仲井真弘多知事(74)、翁長雄志那覇市長(63)、下地幹郎元郵政民営化担当相(52)の3氏だ。今回の選挙は普天間飛行場代替施設の名護市辺野古移設の是非が最大争点だ。3氏は辺野古移設についての自身の立場を明確に有権者に示してほしい。
 仲井真氏は前回の知事選で普天間の「県外移設」を公約に掲げて当選した。しかし昨年末には国の埋め立てを承認し、最近は辺野古移設について「辺野古は最短」などと容認姿勢を強めている。自身の公約との整合性について十分な説明責任を果たすべきだろう。
 翁長氏は自民党県連幹事長だった15年前、県議会で辺野古移設推進決議を可決に導いた当事者だ。現在は「辺野古ができたら100年基地が残る」として反対し「オール沖縄」の超党派で県外移設を要求している。現在の心境に至った理由を説明すべきだろう。
 下地氏は6月時点で「嘉手納統合を行わなければ5年以内(運用停止)の約束は果たせない。同時に日米政府との約束(辺野古着工)を果たすことも重要」との考えだった。立候補表明では県民投票の結果に委ねるとした。自身の立場を明確に示すべきではないか。
 一方、日本政府は辺野古への移設作業を着々と進めている。台風などで延期している海底ボーリング調査の浮具(フロート)、浮標灯(ブイ)の設置に向けた作業を11日以降にも再開する可能性がある。反対行動に対処するため海上保安庁が10隻以上の巡視船を沖縄に集結させるなどしている。国の圧倒的な力で移設反対の声を封じる狙いだとしか思えない。
 政府が作業を急ぐ姿勢には、普天間移設が最大争点となっている知事選の前に、工事を後戻りできないほど進めようとする意図を感じざるを得ない。菅義偉官房長官も「埋め立て承認を受けている。法に基づいて淡々と手続きをし、着手するということだ」と述べている。知事選の結果にかかわらず辺野古移設を進めるとの意思表示にほかならない。沖縄の民意をどう考えているのか。
 沖縄に民主主義が適用されているというのなら、政府は辺野古移設の是非が最大争点の県知事選が終わるまで移設作業を中止すべきだ。県民の審判を見届けるのが筋である。

                                  ☆

>今回の選挙は普天間飛行場代替施設の名護市辺野古移設の是非が最大争点だ。

辺野古移設は現在着々と執行中であり、行政法上いまさら埋め立て撤回が不可能なことは翁長氏を支援するグループも承知の事実であり、琉球新報がこの事実を知らないはずはない。

それをあえて「辺野古移設の是非が最大の争点」などと大嘘をつくのはあまりにも読者をバカにしてはいないか。

辺野古移設はもはや誰も止めことの出来ない厳然たる事実。

その是非が争点になるはずがない。

>菅義偉官房長官も「埋め立て承認を受けている。法に基づいて淡々と手続きをし、着手するということだ」と述べている。知事選の結果にかかわらず辺野古移設を進めるとの意思表示にほかならない。

>仲井真氏は前回の知事選で普天間の「県外移設」を公約に掲げて当選した。しかし昨年末には国の埋め立てを承認し、最近は辺野古移設について「辺野古は最短」などと容認姿勢を強めている。自身の公約との整合性について十分な説明責任を果たすべきだろう。

県知事は県議会や百条委員会委員会で何度も説明してきたではないか。

県知事の仕事は県民の生命と財産を守ること。 

だとしたら人口密集地に隣接し「世界一危険な米軍基地」といわれる普天間基地をより安全な場所に移転し、県民の負担軽減を図ることは県知事としての最重要な責務。

現在最速で実施可能な移転先が辺野古在の「シュワーブ基地内」ということになる。

県民の負担軽減をはかるには「普天間移設」が目的であり、「辺野古移設」ではない。

つまり「辺野古移設」は負担軽減のための手段である。

辺野古移設は既に「終わった案件」であり、いまさら「名護市辺野古移設の是非が最大争点」などと県民を誤誘導するのは、仲井真氏に「公約違反」のレッテル貼りをして翁長氏を支援する卑劣な作戦に他ならない。

>反対行動に対処するため海上保安庁が10隻以上の巡視船を沖縄に集結させるなどしている。国の圧倒的な力で移設反対の声を封じる狙いだとしか思えない。

法的に撤回不可能と悟ったプロ市民たちは辺野古に集結し、連日違法な阻止行動を行っている。

違法な妨害行動を阻止するために海上保安庁が出動するのは法治国家として当然の行為。

警備する防衛局側ともみ合いになって、流血沙汰にでもなることが彼らの目的であり、作戦は大成功のはずだ。

血がにじんだ包帯姿で抗議する「市民」の写真で発狂新聞の一面を飾ることができたら、目的達成であり、抗議行動は大成功といえるだろう。

辺野古、工事強行!

権力の横暴

市民に流血の怪我人続出

このような扇情的大見出しで煽って、仲井真知事に対するネガキャンペーンにするのが抗議団の目的だ。

仲井真知事出馬表明の会見で、「マスコミは辺野古のことばかり」と司会者が皮肉っても、記者の質問は辺野古関係ばかり。

記者の不勉強さ加減だけが目立つ会見だった。

そもそも「根っからの保守」を自称する翁長氏と共産党や労働組合系の反日団体の主張とは水と油で、唯一の合意しているのは辺野古反対だけ。


しかも、当初の「承認撤回」を変更し、「反対と言い続ける」では納得できない革新系支持者も多いと聞く。

翁長氏は「県外」とは主張しても「基地撤廃」ではなく「日米安保堅持」だが、これではは革新勢力の「基地撤廃・反基地、日米安保破棄」とは決して相容れることはない矛盾である。

 

沖縄2紙が報じることのない県知事選に関する現況を産経が報じている。

埋め立て「撤回」は困難…翁長氏も公約掲げず

《沖縄知事選 埋め立て承認「撤回」実効性なし 翁長氏も公約掲げず》

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設が争点になる同県知事選は、普天間飛行場の危険性除去のため辺野古移設を容認し、現実路線を掲げる現職の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏に対し、翁長雄志(おなが・たけし)那覇市長は移設反対を唱える。ただ、辺野古移設を阻止しようとしても事実上困難で、革新陣営には移設反対を主張する翁長氏の「本気度」を疑問視する声が広がりつつある。(半沢尚久)

 普天間飛行場の名護市辺野古への移設について、仲井真氏は7日、出馬の記者会見で「普天間飛行場を5年以内に運用停止させ、辺野古に移す政府の案は非現実的ではない」と表明した。「普天間問題の解決は進んでおり、元に戻せば混乱する」とも述べた。

 仲井真氏は昨年12月、政府が申請した辺野古埋め立てを承認した。今後、安倍政権とのパイプを生かした沖縄振興の必要性も前面に打ち出し、普天間返還を急ぐ重要性を訴えていく。

 これに対し翁長氏は、辺野古の埋め立て承認の「撤回」に踏み込むことには消極的になっている。

 翁長氏を支持する沖縄県政野党5団体は、翁長氏と交わす協定で「新知事は埋め立て承認を撤回」と明記する方針だった。7月、翁長氏との調整で「新知事は埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせません」となり、撤回の実効性は事実上ゼロに後退した。

政府高官や県幹部によると、行政法の解釈では埋め立て承認という行政処分を撤回できるのは、米政府が辺野古移設を中止するなどの状況の変化があり、「要件充足性」が失われた場合だけだ。現状ではそうした変化はないため撤回は不可能であり、仮に撤回をすれば県は多額の損害賠償も求められ、非現実的な方策だといえる。

 翁長氏が「撤回」を公約に掲げることを拒否したのはこのためとみられる。ただ、野党5団体の革新政党の中には、「翁長氏は本気で辺野古移設を阻止するつもりがないのでは」との疑念がくすぶっている。

 下地幹郎(みきお)氏は、辺野古移設の是非を問う県民投票を行うことを公約に掲げる。反対が上回れば、下地氏の持論である米軍嘉手納基地(嘉手納町など)への普天間飛行場の機能統合案を代替措置として提示することも視野に入れる。

 

■御知らせ■

ジュンク堂書店 那覇店のイベント

詩集『艦砲ぬ喰え残さー』刊行記念

星雅彦さんトークショー

詩人で沖縄戦の研究でも造詣の深い星雅彦さんが、詩集『艦砲の喰え残さー』の刊行記念のトークショーを催します。

詩集のタイトル『艦砲の喰え残さー』(艦砲の食い遺しー生き残り)でもお分かりのように、テーマは戦没者への鎮魂の意味を込め、沖縄戦で論争の分かれる「渡嘉敷島・集団自決の軍命論争」について実証的検証の成果をお話しされます。

私・江崎も進行役としてお手伝いいたします。

お気軽にご参加下さい。

テーマ;『艦砲の喰え残さー』、集団自決の軍命について

日時: 8月16日(土) 午後3時〜約1時間

会費: 無料
●整理券は必要ありません。トークショーはご参加無料です。
●席に限りがございます。満席の場合はお立見になります。
●終演後、詩集お買上の方にサインを致します。

会場: 那覇・ジュンク堂地下1階イベント会場

主催:ジュンク堂 860−7155


星雅彦(ほし・まさひこ)


1932年那覇市生まれ。詩人、美術評論家。東京ではハイドレッドセンターの美術仲間たちと交友をもち、ルポライターもしていた。1964年の暮れに沖縄に引き揚げてからは、主に詩と評論と小説を書いていた。1960年代半ばから70年初期まで、沖縄タイムスの『新沖縄文学』などに小説を10編ほど執筆するかたわら、美術論『価値体系の対立と変化』や美術エッセイなどを発表。また復帰のころから、沖縄タイムスや琉球新報に美術月評や展評をほぼ毎月執筆していた。一方、1969年に沖縄県史料編集所より依頼があり、2012年頃までの40年間、沖縄戦の体験者からの聞き取りの仕事にとりかかり、約1年半で200人余りの人に取材を行い、琉球政府の『沖縄県史9巻 戦争記録1』を上梓した。この追体験が今日の集団自決問題への発言となっている。
                               ☆

 

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