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☆沖縄県内の「告別式」最新情報。
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昨日はチャンネル桜の名物番組「日本よ、今…「闘論!倒論!討論!」の収録を沖縄支局で行うとのことで、夕方からの収録に備え午後3時ごろから沖縄支局で待機した。
ところが東京から来沖、参加予定の水島社長の飛行機が羽田空港のシステム不具合で社長の支局到着が大幅に遅れ、3時間に及ぶ収録は午後8時過ぎから開始された。
2回の休憩を挟んで最後の1時間の収録の最終間際、丁度筆者が最後の熱弁を振るっているとき、事件、いや事故が起きた。
今度は収録システム障害が起き、音声が収録されないとのことだ。
疲れた体と脳ミソに鞭打って再度1時間分の収録は取り直しをした。
その時、時刻は既に6日の午前12時過ぎ。
結局再度の収録を終え家に帰ったときは、既に午前2時半ごろになっていた。
昨夜は就寝が午前3時で、起きたのは午前6時。
睡眠時間は3時間である。
収録番組はチャンネル桜から6月7日(土)に放映とのこと。
お楽しみに。
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今朝の沖縄タイムス第一面トップの大見出し「翁長氏、出馬に前向き 『公明協力』」には、何
をいまさら、という感想しか湧かない。
だが、17面「地域」の「しましま+トピック」の頁のトップ記事には思わず笑ってしまった。
見出しはこうだ。
普天間移設に係わる訪米報告会
辺野古反対世界へ訴え
稲嶺名護市長 県民意思伝える
玉城衆院議員 承認は知事の罪 ■ロビー活動継続
この見出しを見て失笑した理由は、外交・国防案件は国の専管事項という常識を知らない市長が、首相か外務大臣にでもなったつもりでのこのこ訪米したおかしさもさることながら、
「世界へ訴え」の割には、地方紙のそれもローカル面にしか掲載されてないという可笑しさである。
訪米の成果が期待通りだったら一面か少なくとも社会面のトップを飾ってもおかしくはなかったはずだ。
実は、わが相棒の我那覇真子キャスターが名護市民として同報告会に参加し、その模様を詳細に報告してくれていた。
それで、その可笑しさも倍加していたのだ。
我那覇さんによると、稲嶺市長は専ら旅行のスケジュールの説明に終始、各訪問先での要請活動の様子を報告したがその成果については多くは語らなかったとのこと。
次に登壇した玉城デニー議員からは、まるで折角の報告会に冷や水をかけるような「正直な」発言が飛び出し、会場はすっかりシラケきってしまったとのこと。
玉城議員いわく「折角沖縄からアメリカまでやってきたというのに、一行を待っていたのは罵声だった」とのこと。(爆)
デニーさん正直すぎる!
それでもくじけず移動の車中で稲嶺市長と2人で励ましあったというから、笑い、いや、涙なくしては聞けない「哀愁のアメリカ旅行」だったようだ。
米国の政府関係者が辺野古移設は「すでに終わったこと」という認識だったことを正直に吐露したとのことだが、その点は取材のため同行した沖縄タイムス北部支社の伊集竜太郎記者が、5月28日の記事で詳しく報じているので抜粋・引用する。
沖縄タイムス 5月28日
知事承認の影響 実感
民意の直訴 下
会談した下院議員やシンクタンクからは、「日米両政府間で決めたこと」という見解が多かった。 ある下院議員は、「残念ながら政府はあなた(市長)より権限が強い。 私たちはこの結論(辺野古移設)に乗らざるを得ない」と率直に語った。
今回の訪米で、米政府当局である国務省との会談は副部長対応にとどまり、国防総省とは会談できなかった。 国防総省高官は「埋め立てを承認した沖縄県知事の決定を日本政府は歓迎している。 われわれがそれを飛び越えることは、内政干渉に繋がりかねない」と語った。
沖縄防衛局移設に向けた海底ボーリング調査を7月に着手する。(北部支社・伊集竜太郎)
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嘘捏造が得意の米国特約記者平安名純代女史なら、「米国高官に大歓迎を受けた稲嶺名護市長」などと大嘘を平気で発信しただろうが、同行記事を書いた北部支社の伊集竜太郎記者にはまだジャーナリスト魂が残っていると思われる。
「不都合な真実」を書いたため出世しないのではないかと、老婆心ながら気がかりである。
さらに我那覇キャスターは、今回の「哀愁のアメリカ旅行」をコーディネートしたのはケビン・メア氏を罠に嵌め更迭させた反日サヨク弁護士で猿田佐世氏であると報告した。
国際的反日サヨク弁護士の猿田佐世氏が名護市政に絡んでいることだけで、驚きだが、稲嶺市長の本性が暴露されたことは収穫である。
猿田氏が、在沖米総領事の経験もある米国務省日本部長のケビン・メア氏を米国アメリカン大学の「成りすまし学生」の立場で罠には嵌め、辞任に追い込んだのは有名な話である。
猿田氏がメア氏を嵌めた顛末は、津嘉山武史が『うらそえ文藝』(17号 2012年5月)に寄稿した論文に詳しい。
ちなみに津嘉山武史とは筆者のペンネームである。
以下、同論文から関連箇所を抜粋・引用する。
なお、津嘉山論文を読んだ櫻井よしこ氏が「週刊新潮」の記事で絶賛しているので、これも文末の【おまけ】に抜粋引用する。
「弱者の恫喝」
「メア氏・ごまかし発言」と「田中氏・犯す発言」 津嘉山武史(狼魔人)
沖縄の新聞には「差別」という文字が目に付く。「差別」を武器に吠える沖縄紙の報道を「弱者の恫喝」という人もいるくらいだ。本来「弱者の恫喝」とは、弱者の立場にあった人達が、「差別」を声高に叫ぶことにより強い立場に変身し、強い立場にあった人々を逆に恫喝することを意味する。被差別部落出身など不条理な差別を受けていた人たちが、差別した側の贖罪意識につけ込んで度を越した恫喝をする例がそれだ。 他に例を挙げれば、一部の在日コリヤンやアイヌ出身の人たちにも言えることだが、これらに共通するのは声高に「差別」を叫んで恫喝するのは、ノイジィー・マイノリティということ。大多数は、サイレント・マジョリティであり、「弱者の恫喝」を迷惑がっているという。
差別部落解放同盟の人たちが、言葉狩りをして「差別だ」などと叫ぶと、有名ジャーナリストの筑紫哲也氏でさえも土下座で謝罪させられたという。 ところが最近では解放同盟などの先輩「弱者」に代わって「沖縄」が「差別」を叫ぶ恫喝者としてマスコミを賑わすようになっている。「沖縄」による「弱者の恫喝」である。
■「メア発言」の真相
沖縄問題に関わる日米の政府高官が、昨年一年間で2人も更迭された。 二つの更迭劇に共通するのは沖縄に関する政府高官の「発言」がその理由だったことである。
沖縄は「ゆすりたかりの名人」と発言したとされるケビン・メア米国務省日本部長と、沖縄問題を「犯す」と例えたとされる田中聡沖縄防衛局長の更迭は、それぞれの組織内の事情によるものではない。いずれも沖縄の地元紙が連日2人に対して常軌を逸するバッシング報道を浴びせたことに起因する。 だが同時に「沖縄」を腫れ物扱いにする日米両政府が、「沖縄」に迎合して行った更迭劇でもあった。 ここで「沖縄」とカッコつきで表記する理由は、沖縄紙の報道の中に「沖縄の総意」とか「沖縄の怒り」などと記されている沖縄は、必ずしも沖縄の総意を表してしてはおらず、一部のプロ市民の言動を「沖縄」と表しているという意味である。一連の沖縄紙のバッシング報道のとき、メア、田中両氏とも、発言の真偽を本人に問いただす前に、バッシング報道が沖縄の地元紙に出たこと自体が問題とされ、その時点で既に更迭の話がほぼ決まっていたという。
■腫れ物扱いの「沖縄」
「普天間移設」問題で大失態を演じた民主党政権がいま、「弱者の恫喝」に怯えている。最初の首相に就任した鳩山由紀夫氏は、「普天間移設」を最低でも県外と主張し、自民党政権の試行錯誤の結果である日米合意を反故にしてしまった。 その後、民主党政権は「寝た子を起こした」贖罪意識で「沖縄」を腫れ物扱いするようようになる。
「沖縄」による「弱者の恫喝」が見事に功を奏した例が米国務省日本部長のケビン・メア氏の更迭劇であった。 メア氏の更迭劇の真相は、アメリカン大学に学生として潜伏していた女性活動家の猿田佐世弁護士が仕掛けた罠に、在沖総領事の経験もあるケビン・メア氏が見事に嵌められたという見方が今では一般的である。 メア氏は、自国の大学生相手の講義ということもあって気を許したのだろうが、外交官として脇が甘かったのは事実であり、その責任を問われても仕方がない。
時間を巻き戻してメア氏更迭劇を振り返ってみる。
■ 「沖縄はごまかしの名人」
事の発端は、共同通信が昨年3月6日に配信した「和の文化『ゆすりの手段に使う』メア米日本部長が発言」と題する記事であった。それを受けて沖縄2紙が「差別発言」などと連日、メア氏糾弾のキャンペーンを張り、東日本大震災発生後も、止まることはなかった。
報道されたのは3月だが、「沖縄はごまかしの名人」などの侮辱的発言をしたとされる講義は、報道の3ヶ月も前の出来事であった。記事が3ヶ月も経ってから、日米間の安全保障に関する重要協議「2プラス2」の最終準備をするための会議が始まる直前に報道された点に、メア氏は「非常に意図的なものを感ずる」と述べている。(『決断できない日本』)
■罠に嵌ったメア氏
インターネットを見ると、メア発言の裏にはこれを仕掛けたある人物の存在があった。 これは、沖縄紙は決して報じないが、米国の外交関係者の間では良く知られた事実だという。
確かに講義を依頼してきたのは、アメリカン大学の准教授だったが、その背後にいたのが猿田佐世という日本人の女性弁護士だった。この猿田氏が学生たちの研修旅行を企画・募集したことは、アメリカン大学の公式ブログに明記されていた。この女性は、沖縄を始めとする反基地運動やその他の左翼的運動を積極的に行なっていた活動家で、土井たか子氏が代表を務める「憲法行脚の会」の事務局長でもある。
猿田氏は自身のブログで日米関係は「ごくわずかな人によって対日政策が決定されている」と述べており、ニューヨークやワシントンに留学していたようだ。そして「ごくわずかの人」の一人としてメア氏にターゲットを絞り、2,3回会ったという。 だが、メア氏は彼女が左翼活動家とはまったく知らなかったというから、彼女は自分の正体を隠して、メア氏に接触し、失脚させる機会を窺っていたといわれても仕方がない。
そして猿田弁護士の企みなど夢想もしないメア氏は、無防備にも、学生たちに講義を行うことになる。
沖縄紙の報道では沖縄に先祖を持つ学生がリーダーとして英雄的に扱われ、メア氏の講義を「沖縄差別の表れ」など糾弾する発言が大きく報道された。だが、この学生は偶然沖縄人を先祖に持っていただけであり、それを沖縄紙が「民族差別」に利用し、針小棒大に報道したにすぎず、実際の学生のリーダーはアメリカン大学の学生に成りすました猿田弁護士であった。ここでメア氏の「沖縄侮蔑発言」の真偽を検証するのは同氏の著書に譲るとして、沖縄2紙であたかも実際に存在したかのように報じられた学生の講義メモについて検証する。
■共同通信が添削した講義メモ
この講義録と称する英文メモが沖縄紙に発表されたとき、その和訳をめぐって居酒屋論議に花が咲いたと聞く。ところが自称英語に得意な酔客が「これは差別文」だなどと口角を飛ばした「講義録」は、実は存在しなかった。 沖縄紙で紹介されたのは、学生たちの断面的メモに共同通信の石山永一郎記者が添削や助言をし、講義の2ヶ月半後に複数の学生の共同作業によって再構成された作文であり、その目的はメア氏の失脚であった。
メア氏の講義から2ヶ月半も経過した2月14日になって、石山記者から初めてメア氏に対して、学生たちのまとめた「講義メモ」に関する事実確認とコメントを求める取材依頼がEメールで寄せられた。メア氏は、直ちに、「講義メモ」は「事実ではないし、正確でもないし、完全でもない。所謂『発言録』は学生達が書いたもので私が言った事ではない。第三者からの伝聞だけをもとに記事を書く事自体が極めてアンプロフェッショナルだ。だからこれ以上のコメントはしない」旨を返信した。
自分の指導の下に作成された「発言録」のみを証拠の「講義録」として、石山記者は、翌々週の3月6日に「メア発言」の記事を配信し、「沖縄侮蔑発言」の大騒動を引き起こすことに成功した。東日本大震災の5日前のことである。
そしてその記事に過剰反応して吠えたのが、集団リンチにも似た沖縄2紙の一連のメア氏バッシング報道である。沖縄2紙は社説やコラムでメア氏に罵詈雑言を浴びせるだけでは飽き足らず、内外の識者といわれる人達を実に30人余も動員して「識者の意見」などの特集を組んで「差別発言」「侮蔑発言」などとメア氏を糾弾した。
まさに一犬虚に吠え百犬声に和すという大愚を、実際にメディアが行ったのである。
■沖縄では平和学習に徹した学生たち
12月6日にメア氏の講義を聞いた学生たちは、12月16日から、約13日間、東京および沖縄を訪問し、東京では共同通信の石山記者の家に泊まっている。猿田氏と石山記者は以前から旧知の仲なので、これも猿田氏の紹介であろう。
学生たちは18日から27日まで沖縄に滞在していたが、彼らは沖縄側のコーディネーターとも言える女性活動家・阿部小涼琉球大学准教授に案内され、沖縄左翼のドンといわれる大田昌秀元県知事に面会したり県平和祈念資料館や辺野古のテント村などお決まりの「平和学習コース」を回り、キャンプ・シュワブ基地のフェンスに「AMERICAN UNIVERSITY OKINAWA 2010 PEACE NO BASES! (アメリカン大学 沖縄2010 平和を 基地はなくせ)との横断幕を掲げた。この横断幕は猿田氏が作ったと、彼らのブログに記されている。学生たちは東京に戻ってからも、再度石山記者の自宅に泊り、夕食をご馳走になっているが、その時学生たちと石山記者の間で、どのような会話が交わされたのか、想像に難くない。
メア氏の更迭劇に続いて年末には日本政府側の田中聡防衛強調が沖縄紙の集団リンチの犠牲になって更迭されている。学生の送り元のアメリカ側に猿田弁護士といううら若き女性活動家がおり、受け入れ側の沖縄では阿部小涼准教授という若い女性活動家が学生たちの案内役を買って出ていた。若い女性活動家が学生たちを洗脳する・・・ 新興宗教の勧誘に似ていると感じるのは筆者だけだろうか。(つづく)
■琉球新報の逆鱗に触れた田中氏の本音とは
昨年11月29日の琉球新報の一面トップは、田中防衛局長の発言として「犯す前に犯すと言うか」の刺激的な大見出しが躍った。田中氏は新聞報道の直後更迭され、「弱者の恫喝」の犠牲になった。単独で第一報を報じたのは琉球新報だった。「やる」を「犯す」と解釈したらしいが、セックス妄想に耽る人が聞くと「やる」という曖昧な動詞も淫らなに聞こえ、「犯す」や「強姦」を連想するらしい。絶えず差別意識を持つ人が無意味な文言に過剰反応し、言葉狩りに走るのと同じ構図である。
約10人の同業記者とに現場に同席しながら、これを29日の第一報では報じなかった沖縄タイムスは、その理由を「懇談会には、本紙を含む県内外の記者約10人が出席し、完全オフレコで行われた。 田中氏は酒を飲んでいた。 発言時、本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった」と述べているが、その後の沖縄2紙の紙面には「差別だ」「侮蔑だ」などの常套句が躍り多くの識者が怒りを露にしているのは「メア発言」の場合と同じ構図である。
だが琉球新報の記者の逆鱗に触れたのは、「やる」或いは「犯す」という発言より、むしろ田中局長の国防に関する正直なひと言だった。記者に「沖縄における軍隊の意義について」と質問され、田中氏は「薩摩に侵攻されたときは(琉球に)軍隊がなかったから攻められた。基地のない平和はありえない」と答えている。
田中氏は「完全オフレコ」の機会を利用して、ばか正直にも、記者たちと胸襟を開いて本音で語るとつもりでいた。そして、無防備にも、率直に本音を語ってしまった。
■「反戦平和」は免罪符
沖縄の言論界には、誰が言い出したか、「反戦平和は免罪符」という言葉がある。
沖縄で議論を戦わそうとする者は、とりあえず枕言葉として「反戦平和」を念仏のように唱えて、それからおもむろに「しかしながら現実を鑑みると・・・」などと自論を展開すべきである。これを上手く使い分けて、地元紙の顔色を窺いながら、地元紙の宣撫にほぼ成功しているのが仲井真県知事だという。
田中氏は、面倒でも重要なこの「免罪符の儀式」を省略して、ストレートに「基地のない平和はありえない」などと真っ向から「反戦平和」に冷や水をぶっ掛けてしまった。
田中氏の論は防衛局長としては当然すぎるほどの正論であるが、これに神経を逆撫でされた琉球新報が、まともに反論することなく田中氏を叩きのめすのに、手段などを選ぶはずはない。琉球新報にとって、その時の田中防衛局長は「やる」或いは「犯す」の文言の当否にかからず、叩き潰し葬り去るべき当面の敵であった。
それが翌日の琉球新報の一面を飾った「犯す前に犯すと言うか」の大見出しである。
琉球新報の暴走記事に付和雷同したマスコミは、田中防衛局長の本人の弁明には聞く耳待たず、翌日の各紙の朝刊は田中批判のオンパレードであった。
田中防衛局長は、本人が正確には何を言ったかは不透明のまま、集団リンチにあい即更迭された。発言の真偽はともかく、地元紙が一面で報道したこと自体が問題だというのは「メア発言」の場合と同じである。またしても「弱者の恫喝」が猛威をふるったのだ。
伝聞情報をもとに付和雷同し追従報道をした他マスコミも問題だが、相手が沖縄というだけで過剰反応し、本人の弁明を聞く前から更迭も止むなしと決めていた政府の態度も問題だ。沖縄をことさら腫れ物扱いする政府の態度こそ、ある意味、差別の極地といえる。
そして本音で物が言えなくなった現状こそ、沖縄問題をより複雑にしていることに国民が気づくべきである。
【追記】宜野湾市長選挙の直前の3月、突然飛び出してきたのが真部防衛局長の「講和」問題である。伊波洋一候補に追い風になると見られた「局長講和」を、沖縄メディアは一斉に取り上げ、一時はこれで伊波氏の圧勝だといわれていた。だが、周知の通り新人の佐喜真惇候補が勝利した。選挙後も沖縄紙は執拗に真部局長の更迭を求めたが、「法令違反はない」ということで更迭は不問にされた。「弱者の恫喝」は一歩及ばなかったようだ。
【おまけ】
2012.06.07 (木)
「 沖縄の二大紙が報じない県民の声 」 櫻井よしこ『週刊新潮』 2012年6月7日号
日本ルネッサンス 第512回
http://yoshiko-sakurai.jp/2012/06/07/4069
反戦平和が免罪符
むしろ、両紙と沖縄県民の思いは離れる一方ではないか。たとえば今年2月12日投開票の宜野湾市長選である。反米軍基地闘争の立役者で当初、圧倒的に有利と報じられていた伊波洋一氏が、新人の佐喜真淳氏に僅差で敗れた。伊波氏は2010年の沖縄県知事選挙に宜野湾市長2期目を途中で退任して出馬して敗れ、2月の選挙で市長への返り咲きを狙い、再び敗れたわけだ。
同市には普天間飛行場があり、伊波氏が勝てば普天間問題の解決はさらに難しくなると見られていた。二大紙は伊波氏を持ち上げたが、県民、市民は結局、氏を選ばなかった。このことに見られるように、沖縄県民は必ずしも、米軍基地にはなんでも反対、自衛隊にはすべて反対、日本本土には常に強い反感を抱く、ということではないのである。
長年の沖縄取材で得たそのような沖縄観が、沖縄の小さな文芸誌「うらそえ文藝」(2012年5月号)で沖縄の人々の声として特集されている。沖縄の人々の本当の気持は二大紙の社論や報道とは重ならないと、同誌を読んで改めて実感した。
300余頁、年1回発行の同誌は「沖縄思想が対応する現実問題」と題した宮城能彦沖縄大学教授(社会学)と、詩人で同誌編集委員の星雅彦氏の対談をはじめ、「ゆすり・犯す」を主題とする5編の時事評論を掲載している。評論集の総合タイトル「ゆすり・犯す」が、ケビン・メア前米国沖縄総領事が学生たちへの講義で言ったとされた「沖縄はゆすりたかりの名人」という言葉と、田中聡前沖縄防衛局長がオフレコの場で語ったとされる「犯す前に犯すと言うか」との発言を指しているのは言うまでもない。
5本の評論の中には、沖縄人権協会理事長で、左翼運動の中心的な人物、福地曠昭氏の、メア・田中両氏に対する徹底的で感情的な非難の評論がある一方で、両氏への非難に事実関係から迫り、「ゆすり」や「犯す」という発言の存在自体を否定したのが、評論家の津嘉山武史氏である。どちらに説得力があるか。事実を押さえて、事の経緯を辿った津嘉山氏の評論の前では、福地氏の評論は色褪せて見える。
津嘉山氏は、「沖縄を始めとする反基地運動やその他の左翼的運動を積極的に行なっていた活動家で、土井たか子氏が代表を務める『憲法行脚の会』の事務局長」としての、猿田佐世という弁護士に言及し、メア氏は、「(猿田弁護士が)仕掛けた罠に、(略)見事に嵌められたという見方が今では一般的」と結論づけている。
反戦平和が免罪符となっている沖縄の言論界で、津嘉山氏の評論は言論人としての誇りと信念なくしては展開できないものだ。集団の力を恃んで碌に検証もせずに一方的な決めつけ記事を書く二大紙の記者、論説委員全員がお手本とすべきであろう。
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