☆沖縄県内の「告別式」最新情報。
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本日午後7時よりチャンネル桜「沖縄の声」に出演します。
ご視聴頂ければ幸いです。http://www.ch-sakura.jp/1428.html
なお同番組への提案・感想などのコメントは下記メルアドに頂ければ適宜番組で紹介いたします。
★ご意見・提案は⇒ezaki0222@ybb.ne.jp
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雲仙・普賢岳 大火砕流から23年NHKニュース 6月3日 4時20分
43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で23年です。
被災地の島原市では、犠牲者を追悼する行事や、大火砕流の被害を忘れないための集会などが開かれることになっています。
平成3年6月3日に起きた長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流では、地元の消防団や住民、報道関係者など合わせて43人が犠牲となりました。
大火砕流から23年となる3日、大火砕流で自宅を失った人たちが移り住んだ長崎県島原市の仁田団地には、犠牲者を悼む献花台が設けられ、住民や市長が花を手向けます。
また、地元の小中学校では、被災した人から当時の体験を聞き、噴火災害を忘れずに、防災について考える集会が開かれるほか、給食に乾パンなどを出す非常食体験が去年に続いて行われます。
そして、大火砕流が発生した午後4時8分に、市内全域にサイレンが鳴らされ、多くの犠牲者が出た農業研修所の跡地などで遺族や市民が黙とうを捧げます。
また、夜には、雲仙岳災害記念館で、小中学生が作ったキャンドル1000本に火をともして、噴火災害の記憶の風化を防ぐ催しも開かれる予定で、大火砕流の被災地は追悼の祈りに包まれます。
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本日・6月3日は、23年前の1991年、長崎県の雲仙・普賢岳の噴火による火砕流により、多くの消防団員、警官らが殉職した日である。
だが23周年の本日、人災といわれたこの災害の真相を報じるメディアはほとんどない。
上記引用のNHKニュースでもマスコミによる人災については一言も触れていない。
マスコミにとっては「不都合な真実」だから、である。
当日記のアクセスは、当日アップのエントリーが一番多い。
当然古くなるにしたがって少なくなる。
だが、7年前の古いエントリーが今でも常に上位のアクセスがある。
昨日もベスト5位のアクセスがあった。
23年前の1991年の6月3日に起きた「マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害...」のエントリーのことである。
自然災害といえば最近では3年前の「3・11東日本大震災」や地震関連で「阪神・淡路大震災」がマスコミで報じられるが、同じ天災でも合計43名の死者・行方不明者と9人の負傷者を出した雲仙・普賢岳噴火災害の報道をマスコミが避けるのには深いわけがある。
「雲仙・普賢岳の災害」について述べる前に、南シナ海で中国が撒き散らしている災害について触れておく。
シンガポールで行われたアジア安全保障会議での安倍首相の日米連携した中国批判、それに対する中国の反論。
そして、すかさず菅官房長か再反論したことは最近の日本政府の対中国発言としては白眉である。
2014.6.2 13:00
安倍首相は5月30日にアジア安全保障会議で基調講演した際に、名指しを避けながら中国に国際法順守を求めた。これに対し、王氏が「安倍氏は間接的に中国を攻撃した」などと反発していた。
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これまでのように中国の日本批判に対し、わが政府は「正しいことは自ずと世界に知れ渡る」などとと信じて沈黙を守ってきたが、今回の菅官房長官のように中国の言いがかりには逐一反論すべきである。
安倍ー菅コンビは、民主党政権時代の菅首相と仙谷官房長官のコンビに比べ、天と地ほどの差があり、現在考えうる最強のコンビといえるだろう。
最近の世界の世論は日本に追い風が吹きつつある。
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■マスコミが報じない「雲仙・普賢岳災噴火害の真相」1991年(平成3年)6月3日午後4時8分、長崎県の雲仙・普賢岳の噴火で発生した火砕流で多くの死傷者が出た。
取材に当たっていた報道関係者16名、火山学者ら4名、消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、農作業中の住民4名の合わせて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった。
だがこの被害が天災ではなく人災、いや、「マスコミによる災害」といわれる理由はこうだ。
報道関係者が立ち入り禁止区域の中に勝手に入り込み取材を続けたため報道関係者に雇われ独断で避難できなかったタクシー運転手、報道関係者が無人の民家に無断でしかも土足で侵入し、冷蔵庫の飲み物を勝手に飲んだり、コンセントの電気を無断で使用する等した。
これを警戒すべく一旦後方に下がりながらも再度禁止区域に入らざるを得なくなった消防団員、警察官が、それぞれ火砕流に巻き込まれ殉職した。
被害は、報道関係者が無視した立ち入り禁止区域に限られていた。
消防団員のほとんどが地元農家の跡取り息子だったため、その後の農業復興に甚大な被害をもたらした。
被害の背景には、メディアの取材競争が過熱し、十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため立ち入り禁止地域内の「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。
その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張するジャーナリストらが許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となった。
これが、雲仙・普賢岳噴火被害が人災(マスコミ災)といわれる理由である。 勿論、本日の沖縄タイムスのどの頁を開いても、「雲仙普賢岳噴火災害」の記事を見つけることは出来ない。 メディアにとって「不都合な真実」だからだ。 【おまけ】 まさかの噴火−「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より− 2大惨事発生 なぜ消防団が犠牲に土石流の危険がなくなったということで、5月26日から出ていた避難勧告が上木場地区を除いて6月1日にはいったん解除されました。この日までは消防団も安全な白谷の公民館で連日警戒活動に当たっていました。
この間、一部の報道関係者が留守宅の電気や電話を無断で使用するという事件が発覚しました。
マスコミは、当時、火砕流がもっともよく見える北上木場地区の「定点」といわれた場所で、火砕流の迫真の映像を撮影しようと毎日のように取材を行っていました。この「定点」を含む地域一帯はすでに避難勧告地域に指定され、住民は全員避難していて、住宅には誰もいませんでした。報道関係者は、この無人となった家に上がり込み、テレビカメラのためにコンセントから無断で電源を盗用しました。このため消防団は、土石流の警戒に加え事件の再発を防ぐ目的もあって翌2日には再びこの「定点」の近くの北上木場農業研修所に警戒本部を設けることにしました。そして6月3日の夕方4時8分、それまでにない大規模な火砕流が発生し、この「定点」付近にいた人たちを一瞬のうちに飲み込みました。
亡くなった12人の消防団員のほとんどは、農家の大切な跡取り息子たちでした。彼らを失ってしまったために、遺族の生活再建や地域の復興は困難を極めました。
この惨事の後、マスコミは地元住民から痛烈な非難を受けることになりました。他方、当時、その場所が本当に危険な状況であったのなら、なぜ、もっとはっきり警告しなかったのか、また強力な規制がなぜできなかったのかなどを指摘する人もいました。さらに消防団の指揮命令系統のあり方にも大きな課題を残しました。
6月3日前の定点風景(マスコミはここで毎日火砕流を撮影していた)。
6月3日はこの場所にいたほとんどの人が亡くなった(提供 テレビ長崎)
北上木場の農業研修所では消防団員と
警察官の14人が火砕流で亡くなった
(手前が焼失したパトカー)
(H4夏 撮影・杉本伸一) 被災直後の北上場農業研修所(写真下中央)
(H3.6.5 撮影・太田一也)
☆ 【おまけ】2 古い当日記の記事が今でも広く読まれているのは、読者の拡散のおかげだと思うが、そのなかでガジェット通信が当日記を取り上げた例を紹介する。 ☆ マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」 - ガジェット通信
2012.12.28 14:00 記者 : 寄稿
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今回は『狼魔人日記』からご寄稿いただきました。
死者・行方不明者43人を出した長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から16年を迎えた3日、被災地の島原市では火砕流発生時刻の午後4時8分に市内にサイレンが鳴り響いた。
消防団員らが亡くなった同市北上木場町の北上木場農業研修所跡では、遺族らが「慰霊之鐘」を打ち鳴らし、犠牲者を悼んだ。
同市平成町の雲仙岳災害記念館前では、災害を次世代に伝えようと、島原商工会議所青年部などが初めて企画した「いのりの灯(ともしび)」があり、小学生らが手作りのキャンドル約1,000本に灯をともした。
火砕流では、読売新聞大阪本社写真部員だった田井中次一さん(当時53歳)ら報道関係者や警戒に当たっていた消防団員らが犠牲になった。
(2007年6月3日20時15分 読売新聞)
◆教訓を伝える大切さを感じているのはマスコミも同じ。大火砕流で同僚三人を亡くしたテレビ長崎(KTN)報道部の槌田禎子記者(49)は、噴火災害を取材し今も被災地を見詰め続ける一人として使命感を代弁した。
「取材競争の過熱や日々のプレッシャーからマスコミは節度を保てず行動し、被災住民らに迷惑をかけた。私たちは犠牲者のことを胸に刻み、被災地がどう再生していくか継続して取り上げていく必要がある」
2006年6月2日長崎新聞掲載
長年テレビの報道カメラマンを務めた友人はカメラを構えると恐怖感は薄らぐと証言している。
「カメラのファインダーを通してみると普段は恐ろしい暴力団にも不思議と危険を感じなくなる」。
暴力団も報道カメラを向けられると、多少は怯んでしまうのだろう。
だが、自然の猛威にとってはカメラマンもクソもない。
燃えさかる火砕流はカメラマンも消防団員も容赦無く襲った。
被害に遭った消防団員、や警察官は退避勧告を無視して危険地帯に入り込んだマスコミの身を案じて警戒していた。
マスコミが伝えない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」がここにある。
(雲仙・普賢岳噴火災害の)報道について
被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し十分な知識を持たない報道関係者が火山学者の存在を免罪符として、取材のため、「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こしていたため消防団員、警察官が引きずり込まれる形で危険な地域に多く存在し犠牲となっている。犠牲者発生以降この反省も踏まえ報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張する報道関係者が許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となっている。(ウィキペディア)
以下コピペ
64 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/06/04(月) 12:46:45 ID:er+ywW1V0
マスコミ関係者などが死んだ「定点」は、避難勧告がでていた。
危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。しかし、マスコミ関係者は、強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めていた。
そんな中、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。
住民に不安が高まり、そのためもあって、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。消防団員以外の地元犠牲者はたしか5名。それ以外が約35名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。
そしてこれが重要なんだが、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 18:55:51 ID:J5ssSuib
当時消防団員だったからよく覚えているよ。
手柄狙いで勝手に居座ったマスコミのために、行かなくてもよい団員が行かされて焼け死んだんだよ。消防団員って素人だよ。プロの消防士じゃなくて、ほぼボランティアなのに、命令でそこに派遣されたんだよ。
で鬼畜なのはマスコミ
その後、何年もこの事件を取り上げるたびに、多くのマスコミ関係者などが犠牲となったって枕詞で始めやがる。で、死んだマスコミ関係者の話を美談として自分語りする。
あの現場には、新婚の団員や、子供が生まれたばかりの団員や、もうすぐ結婚するはずだった団員や、親の介護してた団員がいたんだぞ。
マスコミはそんなこと一つも報道しないけどな。
もう一度言うが、その団員達はそこに居たくて居たんじゃない。
執筆: この記事は『狼魔人日記』からご寄稿いただきました。
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