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夢よもう一度!「オールー沖縄」の再構築、翁長那覇市長

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 今回バカ騒ぎした「特定秘密防止法」のように、沖縄2紙が大発狂する案件は概ね国益に供する、と書いた。

逆に言えば沖縄2紙が諸手を上げて支援する人物は国賊ということができる。

沖縄タイムスが社運を賭けて翁長那覇市長を応援するらしい。

「オール沖縄」が次々と崩壊していく中、今朝の沖縄タイムスは、「オール沖縄」の生みの親である翁長雄志那覇市長を一面トップで大々的に取り上げた。

見出しはこうだ。

県外移設 再結成を

翁長市長さん(63)那覇市長

政府と戦えるのは沖縄だけ

そして第二面の大半を使って翁長那覇市長のインタービュー記事を掲載させているが、まるで沖縄を救う救世主のような扱いに「オール沖縄」が崩壊した事実に対する沖縄タイムスの悔しさが透けて見える。

沖縄タイムスが翁長氏を前面に押し立てて「オール沖縄」の再構築を目論んでいるのだとしたら、あまりにも県民を愚弄した行いだ。

翁長氏は子分の沖縄県連が「辺野古容認」に寝返ったことに怒りを露にしていたが、その怒りの矛先を自民党本部に向け県連を再度寝返らすつもりなのか。

翁長那覇市長 自民党本部の対応「憤り感じる」

    翁長市長は6日の那覇市議会代表質問で、「一連の厳しい流れの中でも、オール沖縄の火はまだ消えない」と述べ、県外移設要求の「オール沖縄の堅持」や「大きな展開」「これまで通り、ぶれずに信念を貫く」と強調した。
  さらに政治家の公約について「政治は信なくば立たず。公約には政治家として約束した言葉の重みと責任がある」と述べ、那覇市議会が2日に「政府の圧力」に抗議する意見書を全会一致で可決したことについては「市民の思いや公約の重みを皮膚感覚として持っている」、「オール沖縄の火種はまだ残っている。多くの市民、県民にこの火種を受けとってもらうことが大きな展開への礎となる」と述べている。   いま翁長那覇市長を支えるのは那覇市議会だけになったようだが、那覇市議会と翁長那覇市長が大きな勘違いをしていることについて、ヒジャイ出版の又吉さんが自身のブログで厳しく批判しているので目を通して頂きたい。   ⇒那覇市議会意見書批判・翁長市長は裸の王様   那覇市の関係筋からの情報によると、那覇市に国の監査が入っているとのこと。   先月世界日報がスクープした那覇市による福祉法人に対する不当な公金支出や市有地を個人団体に無償貸与している疑惑も取りざたされている。   ⇒翁長市政に黒い疑惑!長期政権のツケか、住民訴訟の動きも  

ちなみに本日那覇市民会館で「沖縄振興特別推進交付金活用事業」として琉球史劇「大城忠勇伝」が上演される。

県の一括交付金の大半を那覇市が受給しておきながら、その一方で国の政策にはことごとく反旗を翻す翁長氏は一体何を目指しているのだろう。

翁長市長がこれほどにしてまで「県外」に拘るのは不可解だが、「県外」を一番喜ぶのは尖閣収奪を目論む中国である、といえば疑問は氷解しうる。

巨大龍柱の建立など翁長那覇市長の一連の中国へのゴマすり政策は、翁長氏が中国にタマを握られているからだ、との噂が浮かぶのもむべなるかな、である。

 

【おまけ】

■ ■「貶められた日本兵」連載の趣旨■■ その3

            ☆

■「特段の配慮」による「援護法」の民間適用■

大田少将の遺言は、「援護法」の拡大解釈による沖縄住民への適用という形で戦後姿をあらわす。

日本政府は「1952年(昭和27年)6月、米軍占領下の沖縄に政府出先機関である南方連絡事務所を設置する。 今でいえば沖縄開発庁の先駆けのようのものである。

そして教職員会と遺族会の強力な後押しによって、琉球政府でも翌53年4月に援護課を設け、援護法と恩給法に基づく復員処理事務に着手することになる。 

54年には琉球政府職員照屋昇雄さんが援護課に異動配属となっている。

慶良間島の「集団自決」に関しても、村役場の総務課が地元の窓口となり、総務課長の宮村幸延氏が「援護法」の住民への適用のため奔走を始める。

「援護法」は講和条約発効直後の1952年7月に制定されたが、沖縄には1年遅れて適用が制定された。

講和発効で日本が独立を果たす1年前のことである。

 

■「軍命」の持つ意味の変化■

 

「集団自決」は、1952年(昭和27年)前後から、その持つ意味に変化が起き始める。

「集団自決」が軍命令であるという記述は1950年(昭和25年)に発刊された『鉄の暴風』に見られるが、それまでの「軍命」は、「援護法」のための方便というより、親族や縁者を手にかけた生存者が、遺族の糾弾や罪の意識を逃れる為、「軍命でやむを得なかった」という言い訳のための「軍命」だった。 戦後生き残った者は、死んだ家族や世間に対して「軍命」とでも言い訳しなければ生きていけなかったのだ。

少なくとも、昭和25年沖縄タイムスが『鉄の暴風』を発刊し、集団自決は軍命によるというデマを流布させるまでは、「集団自決」の「軍命」は援護法のためというより、むしろ死者へ対する贖罪意識のために必要だった。

 

ところが、琉球政府援護課や村役場の担当係が、厚生省援護課と交渉していく過程で「軍命」は別の意味を持つようになる。

1965年頃までは、当時の沖縄教職員会も現在のように日教組のイデオロギーの洗礼は受けておらず、沖縄防衛のため散華された日本軍の将兵に対し崇敬の念は抱いてはいても、貶める気持ちなど微塵も有していなかった。

 

‘65年までの沖縄のこども達が書いた作文集が沖縄教職員会と日教組の共同で出版されている。 それには当時の子どもたちが、祖国日本を慕い、憧れている様子が活き活きと描かれており、沖縄戦に関しても、沖縄県民は日本軍に協力し祖国を守るために立派に戦ったというものばかりだ。 

 

昨今の沖縄メディアに見られる「日本軍に対する怨みや憎しみ」が当時はほとんど見られなかったことがわかる。 当時の遺族の方々が申請書に「軍の命令による」と記入したのは、援護法を受給する為に日本軍を貶めたのではない。いやむしろ民間人も軍人・軍属に負けず立派に戦ったので、受給資格があるという意味で「虚偽申請」したことが真相といえる。それは大多数の遺族が靖国に祀られる事を誇りに感じている事実からも容易に判断できる。 

だが、ここで日本軍にとって不運な事態が発生する。 遺族が申請する援護業務は自治労に加盟している公務員が行なっていたことだ。 左翼思想に染まった自治労は職務上知りえた「日本軍の命令による」という援護金申請書の記述を日本軍憎悪のイデオロギーに利用することを思いつく。

 

1969年前後より、本土復帰が現実のもとして見えてきたために、復帰と共に配備される自衛隊を排除するための工作として歴史を改竄し、「残虐非道な日本軍」の神話を作る必要に駆られたのである。 現在「平和教育」の一環とされる戦跡巡りで平和ガイドと称する人たちは、「残虐非道な日本軍により沖縄県民は戦争に追いやられた」などと日本軍への憎悪を煽る説明をしている。

ところが‘77年までの沖縄の戦跡ガイドには、沖縄県民は軍民協力し立派に戦ったと説明されている。 

「日本軍の命令による」という言葉も、当初の「贖罪意識」から援護金申請書記入の「方便」のためと変化。そして、復帰前後になると反日サヨク勢力による自衛隊配備阻止のための「歴史改竄」と、形を変えていくのである。 昨今、沖縄の新聞を賑わす「残虐非道な日本軍」の記事は、沖縄の祖国復帰の後に登場した神話であった。 

 

 本連載の目的は、反日サヨク勢力によって「残虐非道な日本軍」などと改竄された沖縄戦の記録を是正することにある。 だが、これら歪曲・捏造された証言も一旦公的刊行物に掲載されると公式な「沖縄戦史」として一人歩きすることになる。

 

■ 捏造された公的刊行物

 

公刊行物である『那覇市史』の中の「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題した記事には、父親と共に避難した壕で、侵入してきた米兵に父親を連れ出され射殺された知念勇氏の手記が掲載されている。 

 

「父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(『那覇市史 資料編弟3巻7』410頁)。 なお、採話者の嘉手川重喜氏は元琉球新報の記者である。 

 

後日、証言者の知念勇氏に会って確認したところ「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人は不思議がっていた。 知念勇氏は、証言はしたが掲載された「那覇市史」の確認を怠ったため歴史の改竄に気がつかなかった。

 

「座間味村史」など沖縄戦を捏造した数ある公的刊行物の中でも、「日本兵」と「アメリカ兵」と、敵対した兵隊の文言を、意識的に入れ替えて「残虐非道な日本兵」を作り上げた例は前代未聞である。

証言者の知念勇氏が「(残虐行為をしたのは)アメリカ兵」であると二度も念を押したにもかかわらず、取材者は、公的刊行物に「残虐非道の日本兵」として記録しているのだ。

 

■おわりに

 

日本政府が、大田少将の「県民に特別の配慮を」と書き残した電文を受け、日本政府が沖縄住民に示した「善意」が、復帰前後沖縄に流入した反日サヨクに悪用され、「軍命」という援護法受給のための方便であるにもかかわらず、「残虐非道な日本軍」の象徴と変化していった。

 

今回の「パンドラの箱訴訟」の完全勝訴と、それと平行して発表した「貶められた日本兵」という特集記事は、「援護法のカラクリ」を利用した反日サヨクにより、梅澤さんや故赤松さんが不当に着せられた濡れ衣をそそぐことに成功した。

 

これまで「援護法」関連の資料を独占し、日本軍を貶めてきた沖縄2紙などの反日サヨクは、7月の「貶められた日本兵」の発表以後、ひと言の反論もしていない。 

それに続く8月の「パンドラ訴訟」の敗訴確定に対しても、も黙して何も語ろうとしない。 

彼らの沈黙こそが梅澤さんや赤松さんを誹謗中傷してきたことが真っ赤な嘘であったことの何よりの証左である。 完

 

 

 

■イベントの御知らせ■

<12・14沖繩マスコミ正常化推進大会in沖縄市「名護の真実、沖繩の危機」>      

      〜沖縄マスコミの反米・反日報道に騙されるな〜

◎日 時:平成25年12月14日(土) 受付:午後1時 / 開会:午後1時30分
◎場 所:沖縄市市民会館中ホール (住所:沖縄県沖縄市八重島1-1-1)
◎参加費:500円

     ◇マスコミ正常化推進大会◇

◎「中国人の日本人なりすまし移住」
 講師:坂東忠信(外国人犯罪対策講師 元警視庁通訳捜査官)

◎「尖閣諸島を福建省にした中国」
 講師:鳴霞・めいか(月刊中国主幹)

◎「豊かな名護市へ」(ビデオ・メッセージ)
  島袋吉和(全名護市長、元全国市議会議長会監事)

◎「名護市民の願い」
  我那覇真子(名護市民)


   ◇マスコミ正常化写真展◇
〜沖縄を第二のウイグルにしてはならない!〜

写真展「ウイグルの実態! 偏向報道の実態!」

◎展示時間:午後1時〜4時30分

■主催:沖縄対策本部 ■後援:勁草会 / チーム沖縄
■お問い合せ:TEL070-5410-1675(仲村雅己)

 

※下記のFBページもしくはメールにて参加のご表明をお願い致します。

<FaceBookページ>
https://www.facebook.com/events/230574660436612
E-mail:nakamura.satoru7@gmail.com

(琉球新報12/2)

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