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■南から来た特攻隊^沖縄の軍神
沖縄紙が沖縄戦を扱うとき、日本兵はつねに「残虐非道の日本兵」という印象がつきまとう。
「従軍」慰安婦も、その類で女性を「性奴隷」にして、それを正当化してはばからない日本兵の醜悪な姿・・・これが沖縄紙の描く日本兵だ。
元慰安婦の敵前逃亡により第一ラウンドは不戦勝ながら橋下氏の完勝に終わった。
だが27日の日本外国特派員協会での記者会見や米国訪問での会見という言葉の壁を伴う問題が残っている。
橋下氏に幸いするのは前日の26日(日)に放映の新報道2001』フジテレビで、強力な助っ人である西尾幹二東京電機大学名誉教授らと同席で、慰安婦問題に関し討論会をも様子という。
西尾教授はドイツ文学者だが外国特派員協会で慰安婦の大嘘を暴いた歴史の専門家でもある。
参考ブログ⇒「恥を知れ、アメリカ」 西尾幹二氏 外国特派員協会で慰安婦問題を語る
5月26日(日)放送『新報道2001』フジテレビ
午前7時30分〜8時52分頃まで
ゲスト:中山康秀氏(自民党国防部会部会長)
渡辺 周氏(元防衛副大臣)
橋下 徹氏(大阪市長、日本維新の会の共同代表)
笠井 亮氏(共産党拉致等特別委員)
コメンテーター
:西尾幹二氏(ドイツ文学者)
宮家邦彦氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)
古市憲寿氏(社会学者)
<「歴史認識」と国益の守り方と外交姿勢のあり方とは>
■慰安婦問題を巡る波紋
・橋下市長の発言の真意とは
■ 慰安婦問題の本質と日本政府の役割とは
・なぜ同じことが繰り返されるのか?
・問題の本質はどこにあるか、なぜ日本だけが批判対象化
→日本の外交力・発信力はどうあるべきか
・・韓米によるパンパッシングの理由とは
→米国の橋下市長・安倍首相への批判 日本はどう主張すべきか
→河野談話の曲解を招いた“曖昧”さ・・・海外での政治力にどう影響が出たか
・今までの日本の謝罪、賠償は充分ではなかったのか
■ 歴史認識とは、どうあるべきか
・-国益を守る日本外交にするための姿勢とは
→来月開催のサミットでの日本の役割
→村山談話&河野談話 継承の行方
橋下氏はぜひとも西尾教授に外国特派員協会での会見での注意事項等を教えてもらってほしいものである。
英語による海外発信についてはこんな頼もしい若者がいることを昨年知った。
トニー・ブレアと慰安婦の不都合な真実 [Tony Blair & Comfort Women] 谷山雄二朗
橋下氏も指摘するように日本人は国際舞台での広報が不得意である。
韓国がここまで日本を貶めるため世界に捏造宣伝をしている以上、日本も本気で海外広報に力を入れるべきである
外国語のことは当然ネーティブスピーカーら専門家に相談すべきだが、その際気をつけるべきは日本的な言葉の言い換え、例えば売春婦⇒慰安婦などは極力避けて、平沼氏の指摘するとおり、「戦地売春婦」(Battlefield prostitute )などストレートな翻訳のほうが誤解を避ける方法だとおもう。慰安婦(Comfort Women)だと「慰安のための性奴隷」などと曲解される恐れがあるからだ。
沖縄紙が報じる「残虐非道な日本兵」の印象操作に掛かると「戦艦大和は沖縄人の虐殺が目的だった」とか「特攻隊は犬死」などと沖縄防衛のため散華した英霊を貶める記事となる。
沖縄2紙を読む沖縄県民には南から来た特攻隊の話しを知るものは少ない。
【守れ!国境の島】特攻敢行した沖縄の軍神 戦争、軍事を否定する風潮は日本人の魂奪う
石垣島出身の「軍神」といわれた伊舍堂中佐【拡大】
★(3)
靖国神社の遊就館に、石垣島出身の「軍神」とうたわれた人の写真がある。1945年3月26日、沖縄戦の特攻(特別攻撃)第1号として部下とともに石垣島から10機で出撃、慶良間諸島沖で米空母に体当たり攻撃した伊舍堂用久中佐(いしゃどう・ようきゅう、当時24歳)だ。
自らの運命を予見するかのように空を仰ぐ姿は、当時の新聞に掲載されたものだという。打ちひしがれていた当時の国民に、沖縄の軍人が敢行した特攻は強いインパクトを与えた。
伊舍堂中佐は小学校まで石垣島で過ごした。陸軍士官学校を卒業後、航空隊で中国戦線を転戦し、45年、「誠第17飛行隊」の隊長として石垣島の基地に配属された。「自分の故郷は自分で守る」と意気込んでいたと伝えられる。
関係者の回想によると、まれに見る部下思い。地元に住む家族が手作りのごちそうを持参して会いに来ても、「部下の手前、忍び難い」と拒み通したという。
家族思いの一面もあった。自らが指揮する編隊が台湾に向かうため石垣島上空を通過した際、航空機を生家の上空で旋回させ、通信筒を投下。中には父宛てに「お元気で」と記した手紙があった。
特攻を前にした中佐の辞世の句を紹介する。
「指折りつ 待ちに待ちたる機ぞ来(きた)る 千尋(ちひろ)の海に散るぞ楽しき」
典型的な日本の武人として、故郷を守るため従容として死地に赴いた。戦死時の階級は大尉。特攻後、2階級特進した。
現在の石垣島、さらには沖縄で、中佐はほとんど忘れ去られている。中佐のおい、伊舍堂用八さん(75)は「沖縄ではみんな『軍人は悪』というイメージしか持たない。沖縄戦の特攻を知らない人も多い」と話す。
沖縄戦が終結した6月前後に石垣島の各学校で行われる「平和教育」は「戦争の悲惨さ」を強調するだけだ。
米国同時多発テロの当時、用八さんは居酒屋で「特攻隊はテロリストだ」と観光客が話すのを聞き、「そうではない」と口論になった。戦争や軍事に関係するものをすべて否定する風潮が、日本人から魂を奪い去りつつある。
しかし、石垣島では有志を中心に、終戦記念日をめどに中佐の顕彰碑を建立する動きが始まった。近く募金活動が始まる。尖閣諸島を抱え、安全保障の意識が高まっているのだ。
尖閣の地名は中佐の出身地と同じ「石垣市登野城(とのしろ)」だ。故郷を守るために身をささげた中佐も、天から尖閣問題を憂えているに違いない。
■仲新城誠(なかあらしろ・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点にする地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)など。
■守れ!国境の島
⇒(2)「第2の尖閣諸島」化の危機せまる与那国島
⇒(1)土足で“裏庭”を荒らす中国船 「慣らされる」領海侵犯
☆
伊舎堂大尉については5年前の当日記で触れているので、これを紹介おする。 ☆ 伊舎堂大尉が見た沖縄の空と海 2008-11-23 07:41:50 | ★集団自決2006年8月17日
特攻隊の見た星 石垣島に来ることになる前は、長野県の八ケ岳東麓、標高1350メートルの野辺山高原にいた。夏は避暑地、冬は一段と星空も美しいが、氷点下の日が続く厳寒の地である。27年前、ここにミリ波という波長の天体電波観測では、世界の群を抜く性能を誇る直径45メートルの電波望遠鏡を備える野辺山宇宙電波観測所が完成し、最先端の研究が続けられている。
ある日突然、観測所の入り口に石碑が建った。表には「三重航空隊」「野辺山派遣隊」の文字が刻まれていた。建立のいわれを尋ねてみて驚いた。この観測所のある場所が、太平洋戦争最後の特攻隊の訓練地であったというのだ。
昭和20年5月、いよいよ本土決戦を覚悟した軍は、B29爆撃機に体当たりし撃墜するためにわが国初のロケット型特攻機「秋水」を開発する一方、ひそかにこの野辺山高原に海軍飛行予科練習生である少年兵を全国から集め搭乗員とすべく訓練していたのだ。その数1196名。
そんなわけで、特攻隊にも関心を深くしていたが、石垣島に来てみるとなんと最初の特攻隊員は、石垣島出身で陸軍の伊舎堂用久中佐だと知らされた。天文台の仕事を通じて、最初と最後の特攻隊について知ることになった。
何年か後に石垣市の平和祈念館で催された伊舎堂用久展で、ガラスケースに収められた遺品の中に、夜間に星の位置を測り飛行する天測航法のための手帳があった。そういえば、元予科練の方は「夜でも自分の機の位置が分かるように星の位置は正確に憶(おぼ)えていた」とよく自慢された。
ゼロ戦で沖縄の空を何度も飛んでいたという方が石垣島を訪ねて来たことがある。地上から眺める星空の美しさに平和の尊さをも感じてもらえたと思っている。
(宮地竹史、石垣島天文台副所長)
◇
「日本軍は住民を守らなかった」
「米軍より日本軍の方が怖かった」
これらは「集団自決訴訟」を通して、沖縄の新聞が大々的に繰り返してきた反日キャンペーンのスローガンである。
彼等の視点に欠落しているのは、島を取り囲んで軍民見境なく無差別攻撃をかける米戦艦に体当たり攻撃をかける特攻機の若い兵士や、沖縄救援に向かう途中撃沈された戦艦大和の兵士たちのことである。
沖縄救援のため若き命を散らした特攻隊や戦艦大和のことは、多くの記録や映画等で知る人も多いが、彼等の終着目的地地であった沖縄のマスコミが彼等の命をかけた救援劇を報じる事はない。
いや、それどころか、「戦艦大和は沖縄人虐殺のために沖縄に向かっていたのだから、撃沈されて良かった」といった「識者」のトンデモ論を掲載して反日感情を煽る新聞もあるくらいだ。
⇒続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!
昭和20年の3月下旬、慶良間諸島を取り巻いて、雨あられと無差別に艦砲射撃を加える米艦船に捨て身の特攻作戦で散った若者たちのことを報じる新聞はない。
本土から来島した石垣島天文台副所長の宮地さんが特攻隊員伊舎堂用久中佐のことをコラムで書いているが、沖縄人で伊舎堂中佐のことを知る人はいない。
沖縄戦では、第6航空軍(福岡)所属の振武隊と第8飛行師団(台湾)所属の誠飛行隊が次々と編成され、出撃していった。
知覧を飛び立って沖縄に向かった特攻隊の話しは、最近では映画等でよく知られるようになったが、沖縄戦では慶良間を取り囲む米艦船に、真っ先に戦いを挑んだ特攻隊は、実は北の知覧からではなく南の空から飛来していた。
台湾所属の誠飛行隊はその日(26日)、23日以来の米艦船の慶良間攻撃のため上陸も近いと察知して、八重山の白保特攻機地に待機していた。
座間味、昭和20年3月26日。
その日は沖縄戦にとって象徴的な日であった。
米軍の沖縄上陸は、公式には翌月の4月1日となっており、戦後の米軍占領時代には4月1日は記念日として公休日になっていた。
ところが米軍が座間味島に上陸したのはその6日前の3月26日、つまりその日の未明に座間味島民が集団自決を決行し始めた日である。
その日は、ブルース少将の率いる米第77歩兵師団が、慶良間諸島の阿嘉島、慶留間島、座間味島へ上陸を開始する日でもある。
米軍上陸開始の噂に、逃げ場を失いパニック状態に陥った座間味島の住民172人がその日の未明に集団自決をしている。
その日の米軍の動きは実にあわただしい。
先ず米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将が、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命され、
米第77歩兵師団により慶良間諸島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置されている。
26日に慶良間諸島に上陸したアメリカ軍は、チェスター・ニミッツアメリカ海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。
更に同じ26日には、「軍は住民を守らなかった」という戦後左翼のスローガンとは裏腹に、多くの若き特攻隊が及ばずと知りながら、米艦隊に決死の攻撃を敢行していた。 その中には石垣基地から飛び立った特攻隊機もあった。
同じ26日の未明、当時15歳の宮平秀幸少年は家族と共に艦砲射撃を避けながら壕から壕へと彷徨っていた。
そして自分の壕に向かう寸前遭遇した「参謀長」と呼ばれていた山城教頭に抜刀の上一家皆殺し寸前の身も凍る体験をしていた。
⇒「眼前の敵」 座間味で何があったか
その同じ時刻の26日の未明、島を取り巻く米艦船に体当たり攻撃をかけて散った沖縄出身の特攻隊員のことを宮平一家が知る由もなかった。
その日の早朝午前4時、沖縄出身の特攻隊員伊是名用久大尉は、特別攻撃隊「誠第一七飛行隊」(四機編成)の隊長として「九九式襲撃機」に搭乗して石垣基地を出撃した。
座間味島を取り囲み島に「鉄の暴風」を降り注いでいた米艦隊に、果敢に《特攻》攻撃を加えた。
そして、午前5時50分頃には慶良間諸島西方洋上の敵空母群に突入したが多勢に無勢、雄図むなしく慶良間の洋上に散華した。
石垣市出身の伊是名用久大尉は陸軍士官学校第五十五期の満二十四歳、二階級特進で中佐となっている。
宮平一家は勿論、当時の座間味島の住民には、これらの事実を知る由はなく、ただ逃げ場を求めて島中を逃げ惑うのが精一杯であった。
伊舎堂中佐の遺言(辞世)がやけに明るいのは、部下を率いる特攻隊長として部下を勇気付けする意味もあったと思うが、もうひとつの大きな意味が含まれている。
遺されたか家族が、若くして先立つ身の不孝を思って悲嘆に暮れないよう、
精一杯の明るさを遺した武人の優しさ・・・これがが辞世の句に読み取れる。
「軍は日本を守らなかった」
「米軍より日本軍の方が怖かった」
沖縄マスコミと反日左翼が、いかに大声でこのスローガンを叫んでも、
及ばなかったとはいえ、多くの日本軍の若者が沖縄防衛のため、
尊い命を沖縄の海に散らしたことは、紛れもない歴史の事実である。
また、多くの米兵が沖縄住民に残虐行為を加えたことも紛れもない歴史の事実である。
昭和20年3月26日午前5時過ぎ。
島を取り囲む米艦船に体当たり突撃を敢行した伊舎堂大尉(当時)の目に、
沖縄の空と海そして座間味島、渡嘉敷島はどのように映ったのだろうか。
合掌。
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【おまけ】
橋下発言の切っ掛けは、「沖縄は米兵の性犯罪が頻発している」という沖縄2紙の誇大報道を鵜呑みにしたことだが、沖縄2紙が決して報じることのない辺野古界隈の住民と米兵の親善交流を示すニュースです。
▼キャンプ・シュワブ・フェスティバル
25日(土)と26日(日)午後2時開場、キャンプ・シュワブ(名護市)で装甲車など海兵隊の装備の展示のほか、日米料理の屋台、移動式遊園地などがある。ステージでは各種ライブが催される。土曜日には人気アメリカンロックグループのヒンダーが登場=写真=。入場無料。悪天候の場合は翌週に順延。
問い合わせ=MCCSスペシャルイベント部(電)098(970)5828
パンドラの箱掲載拒否訴訟控訴審
第二回口頭弁論のご案内
一昨年一月の提訴よりこれまでご支持ご支援賜りました皆様に心から感謝を申し上げます。いよいよ今回をもちまして控訴審も結審を迎える事になりました。ご都合の宜し い方は傍聴並びに報告会の参加をお願い申し上げます。
記
控訴審第二回口頭弁論
日時 :五月三十日(木) 午後一時十分より
場所: 福岡高裁那覇地支部(那覇地裁に同じ)
報告会
日時: 同日 午後二時より
会場 :奥武山護国神社二階会議室
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