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昨日(11日)の沖縄タイムス「読者欄」に普天間基地に関して対立する二つの意見が掲載されたので紹介する。
両論併記でバランスを取った格好の沖縄タイムスだが、最近の沖縄タイムスは何かヘンだ。
◆沖縄タイムス 2010年8月11日 オピニオン面
沖縄の扱いは植民地と同じだ
U・Jさん=70歳 (西原町)
普天間基地のある宜野湾市の伊波洋一市長は、移設先とされる名護市辺野古への米軍基地建設に反対して、結果的に早期移設をこ阻み、市民の身近な問題、騒音や安全の解決看過しているとの投稿があった。 これは、本質隠しのえせ論理である。
沖縄の米軍基地を考える時、沖縄返還時の密約を見落としてはならない。 有事という言い訳は付いているが、核の持込やそして基地の自由使用が沖縄の基地本質なのだ。 従って、基地から生ずる有害事象による汚染、騒音被害など住民の生活権や人権を侵害しても、沖縄住民は何一つ要求できないのだ。 これは先の普天間爆音訴訟の判決でも明らかではないか。
普天間基地の本質は、密約を暴露して、返還交渉の過ちを沖縄に謝罪し続けた故今泉敬氏が、命を懸けて訴えたかったこと、すなわち、沖縄に対する植民地扱いの不当性なのだ。 辺野古の基地建設は、それを受け入れることなのだ。 ◇ 沖縄タイムスの「読者の声」ファンなら先刻ご承知のことだろうが、名前こそ出してはいないが、文中伊波宜野湾市長批判の投稿としているのは、7月25日の「久高貞夫さんの投稿」のこと。 通常、自分の論調に反する投稿、寄稿に対して複数の批判文で袋叩きするのがお得意のはずの沖縄紙が、久高さんご本人の投稿文を再掲載するとは想定外であった。 それも昨日の沖縄タイムスは、何と上記U・Jさんの久高批判文と同じ紙面で久高さんの投稿を掲載しているではないか。 しかもご本人の顔写真つきの「論壇」で。 沖縄タイムスの投稿規程によると、オピニオン面の「読者の声」(主張・意見)は400字、「論壇」は1000字とあるので、久高さんの「論壇」による反論は「批判文」の二倍半にも及ぶ。 これでは久高さんがどう見ても有利ではないか。 沖縄タイムスのオピニオン面に一体何が起きたのか、不可解である。 ◆沖縄タイムス 2910年9月11日付 オピニオン面 「論壇」 久高貞夫さん (宜野湾市、会社員、75歳) 安全保障の認識は必要 米軍基地は友好な抑止力 わたしは立派な抑止力だと思う。 民主党が去年の衆議院議員選挙で政権奪取の手段として沖縄の基地は」抑止力もなく無用の長物と、普天間基地は県外、国外移設とあおり今となってわが国の安全保障上米軍基地は不可欠、と結局辺野古案に回帰した。 民主党政権もようやく安全保障の重要性を認識し現実的な対応策を選択した。 当然の帰結である。
日本の国土、生命、財産を守る安全保障に関しは、日本国民なら誰も依存は無いはず、にもかかわらず辺野古反対論調だけが突出し安全保障については語らず基地の弊害論だけが目に付く。 辺野古移設を容認するにはもちろん基地がある故に派生するもろもろの問題、危険性、騒音、環境等の最重要課題は、移設作業と並行して早急に解決すべきであることは言うまでもない。
抑止力ー何かしようとすることを抑えること「広辞林」−とある。 次元の低い例で恐縮だが幹線道路に速度監視カメラが設置されている。 違反すれすれに高スピードで運転している時カメラに気がつくと皆ブレーキを踏む。 次に町中にほとんど警察官不在の交番がある。 その周辺地域は空き巣狙いは無いと聞く。 カメラ、無人交番この二つの存在は、立派な抑止力の証拠である。 次に軍事的抑止力がなくなった例として、フィリピン、ベトナム、中国等が領有権を主張している南沙諸島に初めに漁船を送り次に調査船を派遣、最後は圧倒的軍事力を背景に軍艦を出動させ、関係国に有無を言わせず占拠し中国領と宣言、現在実効支配している。
前原誠国交大臣野党時代の国会質疑=それはフィリピンのクラークとスーピック両米軍基地撤去後(★註)、軍事的抑止力を失った結果である。
沖縄の米軍基地の存在は領土拡張、資源略奪をたくらむ外敵の侵略を阻止する最も有効な抑止力といえまいか。 すでに日本の固有の領土である尖閣諸島を自国領土と法律で定めている中国の軍艦、潜水艦がわが国の領海を侵犯し調査、訓練し近い将来の侵攻に備えていることは容易に想像できる。 かような現実を直視し、世界に冠たる独立国でありながら米国に国防を委ねている世界に類のない変則国防策を国民は真摯(しんし)に受け止め、独自防衛力を備えるまでは米軍基地の存在は容認すべきだろう。
一党独裁の貪欲(どんよく)な国に支配されている新疆ウイグル族やチベット族のように抑圧されるのは、わが国民、県民、子孫にとって最たる悲劇だ。 ようやく防衛省は遅まきながら与那国に警備隊の派遣を検討しているようだ。 拍手を送りたい。 ★註:文末の「おまけ」で基地撤去後の元クラーク米軍基の惨憺たる有様のレポートを紹介しています。 ◇ 対立する二つの意見に、読者のコメントを期待します。 コメントは無くても、久高さんの意見に軍配を上げるかた、クリック応援お願いします。 【おまけ】 久高さんもご指摘のフィリピンの元クラーク米軍基地を昨年訪問した「加藤朗の目黒短信」さんの探訪記を以下に抜粋引用します。 「米軍基地出て行け!」を叫ぶ沖縄にとってはフィリピンの例は参考になるはずだが、フィリピンの基地跡の惨状を見ると沖縄タイムスも報道に躊躇するのだろう。 なお今回はスービック基地跡は探訪できなかった模様です。 September 25, 2009
元クラーク空軍基地訪問 < クラーク空軍基地は、スービック米海軍基地とともに冷戦時代には東南アジアにおける米軍の拠点だった。特にベトナム戦争時には重要な戦略拠点であった。しかし、冷戦が終わり戦略上の重要性は著しく低下した。また1991年にピナツボ火山の爆発で大量の火山灰が降り注ぎ、大きな被害を受けた。さらに同年、フィリピン上院1947年に締結され99年間の軍事基地協定の拡張を拒否した。こうした事情が重なって米軍はスービック海軍基地とともに1991年11月26日に返還した。
元クラーク空軍基地訪問の目的は、米軍の基地返還後の跡地の利用がどのようになっているかを確かめることにあった。>
< 米空軍が使用していた広大な飛行場は現在国際空港として使われている。とはいえ、私がいた間に離発着した航空機は全くなく、滑走路や駐機上にも飛行機の姿はみえなかった。ターミナルも外観を見るかぎりアメリカの田舎の空港にあるような見すぼらしい施設でしかなかった。
ガイドブックには免税店やファースト・フード店、レストラン、ホテルなどの商業施設が掲載されている。たしかにあるにはあったが、とてもはやっているとは思えない。とにかく人が少ない。基地外には人があふれかえって、すさまじい喧騒なのに、基地内はシーンと静まり返り、アメリカのさびれた田舎街の静けさだ。
カジノ付きのホテルもある。昼間だったせいもあるあるが人の出入りは全くなかった。恐らく夜でも、そんなにはやっているとは思えない。基地外の貧困にあえぐフィリピン人がカジノに来ることなど全く考えられない。マニラや外国からわざわざカジノを楽しみに来る金持ちもそれほど多いとは思えない。アメリカで言えばラスベガス近郊の、周囲には砂漠しかないモーテルのカジノのように、ホテルの周辺には何の娯楽もない。これではバクチにしか関心のない客しか来ないだろう。
基地内を一時間近く走ったが、人にも車にも出会うことはあまりなかった。人の出入りがみられたのは、フィリピン軍の駐屯地と警察の訓練施設の周辺だけだった。
フィリピン政府は基地の返還に成功したものの、あまりに広大な基地をもてあましているようだ。たしかにこれだけ広大な敷地を再開発しようとすれば、莫大な資金が必要となるだろう。それだけの余裕は今のフィリピン経済にはない。>
< 基地の跡地利用というのは、一朝一夕には進まない。それにしても返還後18年経った今もほとんど再開発が進んでいないというのは、基地返還そのものが良かったのかという疑問さえ抱かせる。>
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沖縄の米軍基地を考える時、沖縄返還時の密約を見落としてはならない。 有事という言い訳は付いているが、核の持込やそして基地の自由使用が沖縄の基地本質なのだ。 従って、基地から生ずる有害事象による汚染、騒音被害など住民の生活権や人権を侵害しても、沖縄住民は何一つ要求できないのだ。 これは先の普天間爆音訴訟の判決でも明らかではないか。
普天間基地の本質は、密約を暴露して、返還交渉の過ちを沖縄に謝罪し続けた故今泉敬氏が、命を懸けて訴えたかったこと、すなわち、沖縄に対する植民地扱いの不当性なのだ。 辺野古の基地建設は、それを受け入れることなのだ。 ◇ 沖縄タイムスの「読者の声」ファンなら先刻ご承知のことだろうが、名前こそ出してはいないが、文中伊波宜野湾市長批判の投稿としているのは、7月25日の「久高貞夫さんの投稿」のこと。 通常、自分の論調に反する投稿、寄稿に対して複数の批判文で袋叩きするのがお得意のはずの沖縄紙が、久高さんご本人の投稿文を再掲載するとは想定外であった。 それも昨日の沖縄タイムスは、何と上記U・Jさんの久高批判文と同じ紙面で久高さんの投稿を掲載しているではないか。 しかもご本人の顔写真つきの「論壇」で。 沖縄タイムスの投稿規程によると、オピニオン面の「読者の声」(主張・意見)は400字、「論壇」は1000字とあるので、久高さんの「論壇」による反論は「批判文」の二倍半にも及ぶ。 これでは久高さんがどう見ても有利ではないか。 沖縄タイムスのオピニオン面に一体何が起きたのか、不可解である。 ◆沖縄タイムス 2910年9月11日付 オピニオン面 「論壇」 久高貞夫さん (宜野湾市、会社員、75歳) 安全保障の認識は必要 米軍基地は友好な抑止力 わたしは立派な抑止力だと思う。 民主党が去年の衆議院議員選挙で政権奪取の手段として沖縄の基地は」抑止力もなく無用の長物と、普天間基地は県外、国外移設とあおり今となってわが国の安全保障上米軍基地は不可欠、と結局辺野古案に回帰した。 民主党政権もようやく安全保障の重要性を認識し現実的な対応策を選択した。 当然の帰結である。
日本の国土、生命、財産を守る安全保障に関しは、日本国民なら誰も依存は無いはず、にもかかわらず辺野古反対論調だけが突出し安全保障については語らず基地の弊害論だけが目に付く。 辺野古移設を容認するにはもちろん基地がある故に派生するもろもろの問題、危険性、騒音、環境等の最重要課題は、移設作業と並行して早急に解決すべきであることは言うまでもない。
抑止力ー何かしようとすることを抑えること「広辞林」−とある。 次元の低い例で恐縮だが幹線道路に速度監視カメラが設置されている。 違反すれすれに高スピードで運転している時カメラに気がつくと皆ブレーキを踏む。 次に町中にほとんど警察官不在の交番がある。 その周辺地域は空き巣狙いは無いと聞く。 カメラ、無人交番この二つの存在は、立派な抑止力の証拠である。 次に軍事的抑止力がなくなった例として、フィリピン、ベトナム、中国等が領有権を主張している南沙諸島に初めに漁船を送り次に調査船を派遣、最後は圧倒的軍事力を背景に軍艦を出動させ、関係国に有無を言わせず占拠し中国領と宣言、現在実効支配している。
前原誠国交大臣野党時代の国会質疑=それはフィリピンのクラークとスーピック両米軍基地撤去後(★註)、軍事的抑止力を失った結果である。
沖縄の米軍基地の存在は領土拡張、資源略奪をたくらむ外敵の侵略を阻止する最も有効な抑止力といえまいか。 すでに日本の固有の領土である尖閣諸島を自国領土と法律で定めている中国の軍艦、潜水艦がわが国の領海を侵犯し調査、訓練し近い将来の侵攻に備えていることは容易に想像できる。 かような現実を直視し、世界に冠たる独立国でありながら米国に国防を委ねている世界に類のない変則国防策を国民は真摯(しんし)に受け止め、独自防衛力を備えるまでは米軍基地の存在は容認すべきだろう。
一党独裁の貪欲(どんよく)な国に支配されている新疆ウイグル族やチベット族のように抑圧されるのは、わが国民、県民、子孫にとって最たる悲劇だ。 ようやく防衛省は遅まきながら与那国に警備隊の派遣を検討しているようだ。 拍手を送りたい。 ★註:文末の「おまけ」で基地撤去後の元クラーク米軍基の惨憺たる有様のレポートを紹介しています。 ◇ 対立する二つの意見に、読者のコメントを期待します。 コメントは無くても、久高さんの意見に軍配を上げるかた、クリック応援お願いします。 【おまけ】 久高さんもご指摘のフィリピンの元クラーク米軍基地を昨年訪問した「加藤朗の目黒短信」さんの探訪記を以下に抜粋引用します。 「米軍基地出て行け!」を叫ぶ沖縄にとってはフィリピンの例は参考になるはずだが、フィリピンの基地跡の惨状を見ると沖縄タイムスも報道に躊躇するのだろう。 なお今回はスービック基地跡は探訪できなかった模様です。 September 25, 2009
元クラーク空軍基地訪問 < クラーク空軍基地は、スービック米海軍基地とともに冷戦時代には東南アジアにおける米軍の拠点だった。特にベトナム戦争時には重要な戦略拠点であった。しかし、冷戦が終わり戦略上の重要性は著しく低下した。また1991年にピナツボ火山の爆発で大量の火山灰が降り注ぎ、大きな被害を受けた。さらに同年、フィリピン上院1947年に締結され99年間の軍事基地協定の拡張を拒否した。こうした事情が重なって米軍はスービック海軍基地とともに1991年11月26日に返還した。
元クラーク空軍基地訪問の目的は、米軍の基地返還後の跡地の利用がどのようになっているかを確かめることにあった。>
< 米空軍が使用していた広大な飛行場は現在国際空港として使われている。とはいえ、私がいた間に離発着した航空機は全くなく、滑走路や駐機上にも飛行機の姿はみえなかった。ターミナルも外観を見るかぎりアメリカの田舎の空港にあるような見すぼらしい施設でしかなかった。
ガイドブックには免税店やファースト・フード店、レストラン、ホテルなどの商業施設が掲載されている。たしかにあるにはあったが、とてもはやっているとは思えない。とにかく人が少ない。基地外には人があふれかえって、すさまじい喧騒なのに、基地内はシーンと静まり返り、アメリカのさびれた田舎街の静けさだ。
カジノ付きのホテルもある。昼間だったせいもあるあるが人の出入りは全くなかった。恐らく夜でも、そんなにはやっているとは思えない。基地外の貧困にあえぐフィリピン人がカジノに来ることなど全く考えられない。マニラや外国からわざわざカジノを楽しみに来る金持ちもそれほど多いとは思えない。アメリカで言えばラスベガス近郊の、周囲には砂漠しかないモーテルのカジノのように、ホテルの周辺には何の娯楽もない。これではバクチにしか関心のない客しか来ないだろう。
基地内を一時間近く走ったが、人にも車にも出会うことはあまりなかった。人の出入りがみられたのは、フィリピン軍の駐屯地と警察の訓練施設の周辺だけだった。
フィリピン政府は基地の返還に成功したものの、あまりに広大な基地をもてあましているようだ。たしかにこれだけ広大な敷地を再開発しようとすれば、莫大な資金が必要となるだろう。それだけの余裕は今のフィリピン経済にはない。>
< 基地の跡地利用というのは、一朝一夕には進まない。それにしても返還後18年経った今もほとんど再開発が進んでいないというのは、基地返還そのものが良かったのかという疑問さえ抱かせる。>
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