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昨日のエントリーで「外交による国防こそ大切」という主婦のY・Kさんに対する高橋さんのコメントを紹介したが、石原昌光さんが別の視点でコメントして下さっているので、紹介します。 なお煩雑を承知でY・Kさんの「原文」を再度引用しておきます。
◆沖縄タイムス 2010年8月5日 オピニオン面
外交力による国防こそ大切
Y・Kさん=60歳 (那覇市、主婦)
7月30日本欄で有馬光正氏は、宜野湾市の伊波市長に対して「いたずらに普天間基地の県外移設ばかりを強調するのは、市民の安全を無視した自己主張に過ぎない」と指摘しています。沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくないわたしとしては、軍事力でなく平和外交によって国民を守るべきだというのが伊波市長の信念であり方針であると解していますし、それこそ21世紀に必要とされる政治家のあり方だと確信しています。 有馬氏は、参院選前の6月5日付本欄でも「国防意識高い政治家選ぼう」と主張しています。 国防観も人それぞれいいと思うのですが、沖縄戦で国防の犠牲になり、戦後65年間も過重な国防負担にあえいでいる沖縄だけに県民の多くが国防アレルギーになっていると思います。
それよりも日米安保は必要だが米軍基地は絶対に受け入れられないという本土政治家たちの身勝手な国防意識を正すことの方が先決かと思われます。 ◆石原昌光さんのコメント メリットもデメリットも背負うのが愛郷心 那覇市、主婦Y・Kさん
「私としては、沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくない」ですか、、、
個人的な意見を言えば、
「じゃあ、あなたは県外に引っ越せば?」としか言えませんね。
沖縄は昔から、その地理的優位を最大限利用して繁栄し世界史に名を刻んできました。
東アジアの中継地点であり、貿易に有利であるという事は、軍事的にも利用価値が高い事の裏返しではないですか?
一方では、貿易拠点として発展を願いながら、もう一方では、戦争は御免だ!基地は拒否する
!とは
不道徳の極みではありませんか。
沖縄に生まれ、そこで生活する以上、故郷のメリットもデメリットも受け止めて背負うのが愛郷心です。
沖縄が絶えず戦争の脅威に曝されるのは、日本が悪い訳でも米国が悪い訳でも、支那が悪い訳でもない。
国際情勢という抗い難い力が働いている結果であり、日本も米国も支那もその中でもがいているのです。
もちろん、その渦の中で可能な限り自己に有利な状況を作り出す努力は必要で、日本は、米・支に比して、その努力が足りない。
しかし、沖縄左翼は、それ以下であり「どうして私達が渦の中にいるのだ!ここから出せ!私達は陸に上がりたい!」と実現不可能な妄言を真顔で話している。
世の中には、逃れられない現実というものがあるのです、例えば自動車が出現した現代を生きる私は、自動車事故で命を奪われる危険を絶えず背負って生きている。
だからといって、「私は自動車事故で死にたくない!自動車を廃止しろ!自動車の発明者は、私の命を危険に曝したのだから損害賠償をしろ!」なんて主張しません、一方で私は自動車社会の恩恵を受けているのですから。
国防にアレルギーなんか感じている場合ではないのです。
沖縄に生まれたからこそ背負わねばならない沢山の大変な事を引き受ける覚悟を持たねば、、
◆ こんな意見を良く聞く。 「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」 「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。 一見まともに見えるこの意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一に見ていること。 米軍基地は国防のためでありその設置する場所は自ずと限られてくる。 つまり地政学的条件に適しない地域にその住民が誘致したとしても設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。 その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of the Pacific)といわれるように地政学上重要な位置にある。 沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった⇒http://blog.netlink.ne.jp/s-tyler/17166-msg.html 「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。 米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点と考えたから進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。 そう、沖縄は捨石ではなく要石だったのだ。 ただ、物事には常に二つの側面がある。 現在の位置に沖縄が存在するということは石原さんのご指摘のとおりメリットもあればデメリットもある。 沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことも石原さんがご指摘の通りだ。 この沖縄の地政学的地位を酒用がない「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、県民が決めればよい。 「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛み」を加筆編集して再掲する。 沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。 その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。 非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。 米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいということだ。 普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地のx全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。 「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。 沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。 このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる〜笑) ♪〜あなたが噛んだ 小指が痛い〜♪ 好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。 好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。 一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。 だが、そう言い出したらキリがない。 「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、 と今度は肛門が騒ぎ出す。 だからと言って肛門を口の隣りに移設することも出来ない。 小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。 沖縄が地政学的重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。 こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。 所詮それは叶わぬ夢だが。 ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。 『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。 《私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)》 続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。 「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。 回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。 勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。 だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。 ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加していると聞く。 モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。 米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。 雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。 花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。
それよりも日米安保は必要だが米軍基地は絶対に受け入れられないという本土政治家たちの身勝手な国防意識を正すことの方が先決かと思われます。 ◆石原昌光さんのコメント メリットもデメリットも背負うのが愛郷心 那覇市、主婦Y・Kさん
「私としては、沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくない」ですか、、、
個人的な意見を言えば、
「じゃあ、あなたは県外に引っ越せば?」としか言えませんね。
沖縄は昔から、その地理的優位を最大限利用して繁栄し世界史に名を刻んできました。
東アジアの中継地点であり、貿易に有利であるという事は、軍事的にも利用価値が高い事の裏返しではないですか?
一方では、貿易拠点として発展を願いながら、もう一方では、戦争は御免だ!基地は拒否する
!とは
不道徳の極みではありませんか。
沖縄に生まれ、そこで生活する以上、故郷のメリットもデメリットも受け止めて背負うのが愛郷心です。
沖縄が絶えず戦争の脅威に曝されるのは、日本が悪い訳でも米国が悪い訳でも、支那が悪い訳でもない。
国際情勢という抗い難い力が働いている結果であり、日本も米国も支那もその中でもがいているのです。
もちろん、その渦の中で可能な限り自己に有利な状況を作り出す努力は必要で、日本は、米・支に比して、その努力が足りない。
しかし、沖縄左翼は、それ以下であり「どうして私達が渦の中にいるのだ!ここから出せ!私達は陸に上がりたい!」と実現不可能な妄言を真顔で話している。
世の中には、逃れられない現実というものがあるのです、例えば自動車が出現した現代を生きる私は、自動車事故で命を奪われる危険を絶えず背負って生きている。
だからといって、「私は自動車事故で死にたくない!自動車を廃止しろ!自動車の発明者は、私の命を危険に曝したのだから損害賠償をしろ!」なんて主張しません、一方で私は自動車社会の恩恵を受けているのですから。
国防にアレルギーなんか感じている場合ではないのです。
沖縄に生まれたからこそ背負わねばならない沢山の大変な事を引き受ける覚悟を持たねば、、
◆ こんな意見を良く聞く。 「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」 「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。 一見まともに見えるこの意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一に見ていること。 米軍基地は国防のためでありその設置する場所は自ずと限られてくる。 つまり地政学的条件に適しない地域にその住民が誘致したとしても設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。 その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of the Pacific)といわれるように地政学上重要な位置にある。 沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった⇒http://blog.netlink.ne.jp/s-tyler/17166-msg.html 「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。 米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点と考えたから進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。 そう、沖縄は捨石ではなく要石だったのだ。 ただ、物事には常に二つの側面がある。 現在の位置に沖縄が存在するということは石原さんのご指摘のとおりメリットもあればデメリットもある。 沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことも石原さんがご指摘の通りだ。 この沖縄の地政学的地位を酒用がない「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、県民が決めればよい。 「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛み」を加筆編集して再掲する。 沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。 その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。 非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。 米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいということだ。 普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地のx全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。 「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。 沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。 このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる〜笑) ♪〜あなたが噛んだ 小指が痛い〜♪ 好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。 好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。 一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。 だが、そう言い出したらキリがない。 「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、 と今度は肛門が騒ぎ出す。 だからと言って肛門を口の隣りに移設することも出来ない。 小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。 沖縄が地政学的重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。 こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。 所詮それは叶わぬ夢だが。 ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。 『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。 《私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)》 続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。 「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。 回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。 勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。 だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。 ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加していると聞く。 モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。 米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。 雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。 花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします ブログセンターランキングへクリックで応援願います。