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本日の沖縄タイムスの一面を見て仰天した。
トップに躍る酔っ払い米兵の大見出しのことではない。
左トップの次の記事を見たからだ
『1フィート』理念継承へ
大田元知事が新研究所設立
沖縄戦フィルム常時上映
<住民を巻き込んだ凄惨な沖縄戦の実相を長年伝え、来春解散する『沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会』の理念を引き継ごうと、会の顧問で元県知事の大田昌秀さん(87)が年明けに新たなNPO法人『沖縄国際平和研究所』を設立し、自身が収集した沖縄戦フィルムの常時上映を始める。鉄血勤皇隊として地上戦を生き延びた大田さんは『改憲や自衛隊の国防軍化が危惧される今、新しい伝承運動が必要』と意気込む。・・・・「1フィート運動の会」の結成に深く関わった大田さんは「鉄血勤皇の学生たちの死を無駄にしないためにも、伝承の灯を守りたい。厳しい世相の中、沖縄全島の平和実現を、目指す研究所として歩みたい」と話している。>(沖縄タイムス 12月29日)
反日サヨクの巣窟「1フィート運動」が、昨日の醜悪な記者会見で幕を下ろすと思ったら、なんと大嘘つきの大田昌秀元県知事が「理念継承」だって。(爆)
大田氏は自著などでは、「1フィート運動は自分が創立した」などと大嘘をついているが、昨日の「解散記者会見」で、上原正稔さんが創立したと証言されては、自分が創立者などの大嘘もつけず、「1フィート運動の会の結成に深く関わった」などと曖昧な表現で逃げるしかなかったのだろう。
大田氏の「大田平和研究所」なるものは、何時行っても訪れる人影は見えず、開店休業状態。 そのうち此処も同じく店仕舞かと思っていたら1フィーと運動の解散に「渡りに船」と飛びつき、自分の金儲けのネタにする魂胆らしい。
それにしても上原正稔さんにあれほど激しく面罵されてながら、そのことはおくびにも出さず神妙な顔で質問に答える同会の幹部の面々は恥を知らないのだろう。
また彼らを必死でかばう沖縄マスコミも恥知らずの極致である。
平和の理念 継承を 「1フィート」活動終了発表 琉球新報
解散を表明し、次世代の運動の広がりに期待を寄せるNPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会の福地曠昭代表(左から2人目)ら=27日、県庁記者クラブ
来年3月の活動終了を表明しているNPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会(福地曠昭(ひろあき)代表)は27日、県庁記者クラブで会見し、3月15日に那覇市の八汐荘で開く解散総会で活動に幕を下ろすと正式に発表した。
福地代表(81)は「これまでの運動の成果を生かし、沖縄戦の歴史的教訓を引き継ぐ新しい平和教育や県民運動が、若い世代を中心に展開されることを期待すべきだと考えた」と説明。平和の理念を継承する次世代が決意を持って運動の裾野を広げていけるよう望んだ。
1フィート運動は戦争を知らない世代に沖縄戦の実相を伝えようと、1983年に始まった。県内外から寄せられた寄付で米国立公文書館などから沖縄戦の記録フィルムを買い取り、各地で上映会を開いてきた。解散の理由について、沖縄戦に関する公的機関が整備されたことなど、一定の役割を終えたとしている。
これまでの寄付総額は8889万1870円、収集したフィルムは約11万フィート(約50時間)。会見で福地代表らは県民の運動への協力に感謝した。解散に伴い、フィルムは県公文書館へ、ガマの調査で見つかった遺品は県平和祈念資料館などに譲渡する方向で話を進めているという。
石原絹子理事(75)は沖縄戦で戦争孤児になった。会見で「戦争で家族を失った悲しみや苦しみを嫌というほど体験した。若い人や子どもたちにそういうことがあってはいけない」と訴え「後輩たちにバトンタッチし、明るく平和な21世紀をみんなで築いていく気持ちだ」と力を込めた。
◆記録活用が課題 関係者
沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会が活動を終了することについて、会の関係者や沖縄戦体験者などからは、残念がる声のほか、「この記録をどう生かしていくかが今後重要だ」と指摘する声があった。
沖縄戦を研究する石原昌家沖縄国際大名誉教授は、同会の活動により「沖縄戦の体験を語らなかった人たちが、体験を語り始める機運が生まれた。(1フィート運動は)その後押しになった。沖縄戦の体験を継承する大きな役割を担ってきた」と意義を語る。「自衛隊を国防軍にしようという動きもある現在、若い人たちがこの成果を生かす活動をしてもらいたい」と望んだ。
同会のフィルムと住民の証言を織り交ぜた映画「軍隊がいた島」「沖縄戦の証言」の監督を務めた謝名元慶福さんは「フィルムを取り寄せる役割は終わったということだが、米国の軍隊の視点で撮影した映像に沖縄の体験者の証言を突き合わせ、伝えていく作業は必要。日本が戦前に回帰するような方向の中、その仕事はより強く求められている」と語った。同会の上映会で体験を伝えたこともある安里要江さん(92)は「フィルムを集めることはとても貴重で良い活動だった。(活動終了は)もったいないと思う」と述べた。
☆
RBCテレビ1フィート運動の会 来年3月 活動に幕
一昨日の1フィート運動の会の記者会見の主役は同会の創立者上原正稔さんで、反日サヨクの巣窟に成り果てた同会を、上原さんが20数分に渡り糾弾する衝撃場面の一部始終をマスコミは目撃していた。(記者会見の席だから当然だが)
にもかかわらず翌日のマスコミは一行もこの衝撃のシーンを報じることはなかった。
「不都合な真実」は一致団結で「報道しない自由」を守ったつもりだろうが、この事件が図らずも「異論を許さぬ全体主義・沖縄」を見事に象徴することになった。
2012年12月27日の「1フィート運動解散記者会見」。
これは沖縄のメディア史上最大の汚点として永遠に刻まれる。
まさに沖縄の恥である。
だが、反日サヨクと沖縄メディアが必死に隠蔽を試みても、いまや時代はネット全盛である。
天網恢恢疎にしてもらさず、天知る、地知る、ネット知る、
いや、真玉橋のオジー知る。
読者の真玉橋のオジーさんと安仁屋正昭さんのコメントです。
■「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」解散記者会見1/2
【必見動画】
http://www.youtube.com/watch?v=KT-sLTFl6fI
マスコミが決して報道することのないオキナワの事実
0:27あたりから話題の人物登場です
■昨夜はNHKと民放1社の1フィートの会の報道見ましたが
その裏でが上原正稔氏とのバトルがあったとは、誰も想像すら出来ないでしょう
メデイアの「報道しない自由」の恐ろしさを痛感しました
しかし、福地も石川も共に沖教組を牛耳ってきた人達であり、豊平良顕や牧港篤三などは「鉄の暴風」の出版と引き換えに米軍政府から優遇を受けた売国奴達です
この役員名簿は、沖縄をダメにした100人にそのまま入れるべきと思います
それにつけても、この真玉橋のオジーの映像は永久保存版ですね
昨日のエントリーで触れた1フィート運動から生まれた「白旗の少女」について、詳細が知りたいと言うメールを多数頂いた。
上原正稔さんを追い出してすっかり反日サヨクの巣窟と化した「1フィート運動の会」はフィルムに映った映像を継ぎはぎし、日本軍への憎悪を煽るような編集映画を作製していく。
大田昌秀氏の著書「これが沖縄戦だ」に掲載された「白旗の少女」を題材にサヨク識者がイデオロギーまみれの絵本を出版し、子どもたちの洗脳を計ったが、さらにその絵本はアニメ(動画)となって、大人たちの日本兵への憎悪を増幅していく。
この動画に出てくる日本兵の顔が時代劇の悪代官以上に醜悪に描かれているのは1フィート運動の幹部たちの心情をそのまま反映していて興味深い。
ちなみに大田氏は自著「2人の少女の物語」の中で「オカッパ頭で少女に変装した少年の嘘まみれの話を実しやかに書いている。
これについては当日記の「オカッパの少年」で詳しくレポートしてある。
【動画】琉子の白い旗
「沖縄記録フィルムーフィート運動の会」が入手したアメリカ軍の記録フィルムの中に、白旗をかかげ、手をふりながら投降する少女がありました。 その姿は印象的で感動をよび大きな話題となり、一九八五年「りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり」(文・新川明、版画・儀間比呂志)という素晴らしい絵本が出版されました。
映画はこの絵本を素材に、アメリカ軍の沖縄空襲(一九四四・十・十)から沖縄本島上陸(一九四五・四・一)、日本軍の潰滅(六・二〇)、そして投降(六・ 二五)にいたる少女の生きざまと、戦場で出会った鉄血勤皇隊の、少年兵との交流を通して、平和の尊さ、人間が生きることの大切さと喜びを描きます。
大阪・兵庫での上映情報はこちら ↓↓
株式会社大阪教映社
http://www.kyoeisha.net/
■白旗の少女
以下は読者のご要望に応えて過去記事白旗の少女を抜粋して再掲したのもです。
☆
「白旗の少女」については、過去に何度かエントリーした。この物語は、「一フィート運動」で入手した米軍の記録フィルムに写っている白旗を振って歩く少女がモデルとなっており、
戦後、偏向した「平和教育」の教材として利用 (悪用)されてきた。
写真では、少女の後ろに、たまたま通りかかった日本兵が歩いており、この光景を、反戦運動家達は、わずか7歳の
少女を盾にして投降する 「卑怯な日本兵」というストーリーに仕立て上げた。
今回のドラマでも、ドラマだからといって、ご本人の証言を捏造したり原作とかけ離れたたストーリーには注視が
必要である。
◇
沖縄戦において米軍は圧倒的物量をほこり、その戦力の余裕から数多くの報道班を配備した。
彼らが撮影した多くのフィルムは冷徹に戦争の実像を記録をした。
だが、後世これらを見た沖縄の「識者」たちはそれを基に数多くの神話を捏造した。
イデオロギーまみれの「平和教育」のために。
「白旗の少女」の写真を知る者は多いが、「平和教育」のために作られた少女にまつわる神話の背景を知る者
は少ない。
<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。
1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。
少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>
◇
「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” 2008年3月26日
文部科学省は25日、2009年度から主に高校高学年で使われる教科書の検定結果を公表した。高校英語教科書には、
沖縄戦で白旗を掲げて米軍に投降した「白旗の少女」と沖縄の長寿の秘密を探る「東洋の長寿の秘密」が登場する。
「白旗の少女」は三友社出版で2、3年生対象、「東洋の長寿の秘密」は増進堂で3年対象のリーディングの教科書に
それぞれ05年から掲載されている。また音楽ではBEGINの「島人(しまんちゅ)ぬ宝」、寺島尚彦さんの「さとうきび畑」が
登場するなど、沖縄を題材としたものが紹介されている。
「白旗の少女」は沖縄への修学旅行生が増加し、関心が高まる中、平和問題につながる教材として05年に発行した
教科書に初めて掲載され、現場教師らに好評だったことなどから今回も掲載を決めたという。
内容は沖縄戦末期に一人戦場をさまよった少女が白旗を持って一人米軍に投降し、奇跡的に一命を取り留め、
その時撮られた写真が“白旗の少女”として写真集に掲載され、少女は写真を撮ったカメラマンと43年ぶりに再会を
果たした―という体験談をまとめた。(略)
◇
米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿には心を痛める。
その中でも特に有名な白旗の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。
☆
「白旗の少女」は、アメリカ軍が沖縄戦を撮影したフィルムを買い取る「一フィート運動」の成果として、
1984年に紹介されたフィルムに写っていた。
手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、
健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。
(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)
後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影したらしい。
以後「白旗の少女」の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。
「白旗の少女」の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。
「白旗の少女」が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』というタイトルの本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。
「白旗の少女」が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。
「平和教育」のため、沖縄の「識者」の予断により歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿に衝撃を受けたのである。
米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは結構なことだが、それを扱う「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される例は多い。
例えば子供用の絵本として出版されたの『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、版画・儀間比呂志)には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)では、次のような文がある。
<ゆっくりと目をあけると
すきとおるひかりのむこうに
アメリカ兵のすがたがみえました。
戦車のかげで鉄砲をかまえたまま
白い歯をみせてわらっています。
ふりかえると、日本兵たちが
両手をあげてついてきました。
おじいさんや女の人も
よろよとつづいていました。
そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。>
同書の「あとがき」には次のようなことが書かれている。
<さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました。 >
<私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、もんぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は元沖縄タイムス社長で、「沖縄イニシアティブ方式」と呼ばれる卑劣な手段で沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリストである。
「沖縄イニシアティブ方式」の詳細は、雑誌『WILL』2008年8月増刊号に寄稿してあるので参照されたい。
また、版画による絵を担当した儀間比呂志氏は沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は大きなインパクトを与えた。
絵本が糾弾するのは、「白旗を持った少女を盾にその後ろからついて来て、米兵に命乞いする」といった日本兵の卑劣な姿であった。
で、実際はどうであったのか。
記録映画版の映像で動画を見ると、「虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に白旗を持った少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振った」といった印象である。
それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する「少女を盾にした卑劣な日本兵」という雰囲気は画面からは読み取れない。
1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。
それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。
そして二年後の1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)が刊行される。
そしてその本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。
<・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません。(204、205頁)>
比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。
不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。
ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。
記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。
だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。
その昔、佐藤栄作が辞任会見の折に、
「テレビはしゃべったことをそのまま映すが新聞はウソを書くから記者は出て行け」
と新聞記者を会場から追い出した話しを想い出す。
では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。
否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。
これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。
「
【追記】 朝日の大嘘記事
沖縄1フィート運動に幕 米が保管の戦時映像収集 【谷津憲郎】米国が保管する沖縄戦の記録フィルムを買い取り、各地で上映してきた沖縄県の「1フィート運動の会」が30年の歴史に幕を下ろす。メンバーが高齢化する一方で、沖縄県公文書館などもフィルム収集に取り組んでおり、「民間活動としての役割は果たした」と判断した。集めたフィルムは11万フィート(約33キロ)にのぼるという。
白旗の少女=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から
3代目の会代表をつとめる福地曠昭(ひろあき)氏(81)らが27日、発表した。「解散を惜しむ声も耳に入っている。しかし若い世代がきっと思いを受け継いでくれる。新しい運動が巻き起こることを切望する」と語った。
米軍に保護された子ども=「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」から
会の正式名称は「子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」。1983年、ひめゆり学徒隊の引率教師だった故仲宗根政善氏らの呼びかけで生まれた。
「若い人たちがきっと受け継いでくれる」と語る福地曠昭代表=27日午後3時、沖縄県庁
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