秦 郁彦
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昨日の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の傍聴記である。
出来る限り証人尋問の雰囲気の再現を試みるが、筆者が現場を見て感じ取ったままに書くので、尋問で行われた会話の言葉尻の正確さより、大意を掴んでの感想なので、会話文が必ずしも下記引用の文字通りなされたわけではない。
【追記】18:45
被告側証人の名前に誤記がありましたので、お詫びして訂正いたします。
× 江川⇒ ○枝川 健治。(えがわと発音するので誤記しました)
★
■破綻は突然やってきた。
それまで粛々と反対尋問が続いていた法廷に、原告代理人の怒声が響き渡った。
法廷の空気がピーンと張り詰めた。
徳永弁護士「じゃー、地(じ)の文を同じ文で書いた場所が何処にあるのか!指摘して下さい!」
枝川証人「・・・・」
徳永弁護士の反対尋問に対し、饒舌に答えていた枝川(えがわ)証人が返答に詰まり沈黙してしまった。
証人尋問は午後1時半に始まった。
原告側証人の星雅彦氏、上原正稔氏と被告側証人の枝川健治氏、名城知ニ朗氏の4人が裁判官の前に立ち、型どおりの証人宣誓を終えた。
星氏の尋問の終了後、被告側証人の枝川氏が証言台に立った。
被告代理人の尋問の中で枝氏の口から何度も侮蔑をこめた「2重掲載」というキーワードが繰り返された。
「掲載拒否の理由は2重掲載に当たるから」
「2重掲載は物書きとして恥ずべき行為である」
「一言一句同じ文字の2重掲載に原稿料を払うことは出来ない」
「新聞社として2重掲載を許すわけにはいかない」
原告の上原氏は、当初から「掲載拒否の理由は言論封殺である」と主張し、正面突破を狙って「沖縄戦の歴史論争」を挑む覚悟であった。
被告の新報側は最重要証人の前泊博盛沖国大教授(当時の担当記者)が敵前逃亡をすることにより、上原氏との歴史論争を避けた。
そして「2重掲載」による「契約上のもつれ」という別の土俵に逃げ込む作戦だった。
それは枝川証人と被告側代理人の問答の中から明確に浮き上がってきた。
枝川証人の反対尋問を受け持った徳永弁護士は、「2重掲載」の矛盾を突いていった。
徳永「小説などの文学作品とドキュメンタリー作品との違いを混同していませんか」
枝川「いえ、混同していません」
徳永「では、ドキュメンタリー作品の定義はなんですか」
枝川「・・・」
徳永「事実と資料に基づいて人間の物語を書き上げること・・・ということでよろしいですよね」
枝川「はい」
徳永「では、上原さんの作品のどこが2重掲載に相当するのですか」
枝川「上原さんの前の作品『沖縄ショウダウン』に掲載されている文章を寸分違わず掲載するのは2重掲載に当たるので許すわけにはいかなかった」
提出資料を参照しながら徳永弁護士と枝川証人との攻防戦がしばらく続くのだが、ここで事実として判明したことは枝川証人が「2重掲載」と主張し『沖縄ショウダウン』に掲載されている「一言一句違わぬ同じ文章」とは、沖縄戦当時渡嘉敷島の上陸して集団自決を目撃した米兵のグレン・シュアレス伍長の日記のことであった。
原文は英文なのでこれを発掘者の上原氏が翻訳し、『沖縄ショウダウン』に重要な第1次資料として掲載していた。 沖縄戦、特に慶良間島の集団自決にテーマを絞り、軍命の有無を論じるため「慶良間でなにが起きたか」を書く予定の上原氏が米軍側の兵士が集団自決の現場を目撃したことを克明に綴った日記を一次資料として引用しても、ドキュメンタリ作家の執筆手法として何らおかしい事は無い。
新しく発掘した資料や前に使用した資料に新しい視点を当てて、新たな物語を作成するのが上原氏の執筆手法なのだ。
10年前に『沖縄ショウダウン』で引用した「米兵の日記」では集団自決の現場に「日本兵」がいたと上原氏は翻訳したが、後になって米兵(グレンシュワレス氏)が「日本兵」と日記に書いたことは民間人の「防衛隊」を勘違いしたものであることがその後の研究で明らかにされている。
ドキュメンタリー作品で一次資料を再度引用すること(2重掲載)は良くあること、・・・と言うより必要欠くべからざる手法でもある。
この時点で新報側の「2重掲載」の根拠は破綻を示していた。
原告側代理人の厳しい質問で、枝川証人の主張する「2重掲載が」が不当な言いがかりであることが証明された。
だが、ここで引き下がっては琉球新報の敗訴が確定する。
そう感じたのか、枝川証人が反撃にでた。
枝川「いくら資料とはいえ上原さんが書いた一言一句違わぬ文章を掲載することは新報社とし許すわけにはいかない」
徳永「一言一句同じ? では一次資料を引用者が書き換えたり改竄しても良いと仰るのですか?」
枝川「いいえ。 でも一次資料とは言っても上原さんが書いた文章が一字一句同じなのでよ」
徳永「上原さんの文章と言っても一次資料の翻訳文ですよ!書き換えるわけにはいかないでしょう」
枝川「でも、せめて地(じ)の文章くらい書き換えるべきでしょうが」
これまで静かだった法廷内に突然徳永弁護士の怒声が響き渡った。
冒頭に引用した必殺の質問だ。
「じゃー、地(じ)の文を同じ文で書いた場所が何処にあるのか!指摘して下さい!」
勿論上原氏が資料の引用以外の「地の文章」で同じ文を書いた箇所はない。
枝川氏はこれまで繰り返してきた「資料の2重掲載は許せない」という主張が粉砕されたことで狼狽し、自ら墓穴を掘ってしまった。
苦し紛れに発した強弁が「でも、せめて地の文章くらい書き換えるべきでしょうが」だった。
このひと言が致命傷、つまり己を埋葬する墓穴となった。
枝川氏は「2重掲載をチェックするため上原さんの原稿と『沖縄ショウダウン』を読み比べ照合していたと発言していたが、徳永弁護士の質問に答えることが出来ず、照合したのは嘘であり、上原氏の著書『沖縄ショウダウン」を読んでいないことが暴露された。
被告側の唯一の論拠である「2重掲載」という掲載拒否の理由は、後付の屁理屈であることが法廷の中で暴露されたのだ。
徳永弁護士の鋭い質問にボロボロになった枝川氏が虚ろな目で証言台を立ち去った瞬間、筆者はこの裁判がここで決着を見たと感じ取った。
本来琉球新報側の最重要証人のはずの前泊氏が敵前逃亡をしたと知ったとき、ピンチヒッターとして証人尋問受ける人は大変だろうと思った。
が、枝川証人がこれほどまでに追い詰められるとは思わなかった。 枝川氏こそ貧乏くじを引かされた立場であり、事情も知らないまま社命により証言台に引き釣り出された被害者なのではないか。 多数の傍聴人の前で血祭りに上げられる姿を晒したことは、お気の毒としか言いようが無い。
嗚呼!すまじきものは宮使いである。
続いて被告側証人の名城氏と原稿の上原氏が証言台に立ったが、枝川氏の尋問で勝負あったと考えたのか、被告側代理人の尋問もピンと外れの時間潰しのような質問が続き、被告側代理人の落胆振りが垣間見える一幕であった。
次回の審理は9月18日午前10時から那覇地裁で「最終弁論」が行われ既に仮死状態の琉球新報に最後の止めを刺す予定である。
そして判決は12月一杯に下るというのが原告側弁護団の見通しである。
最後になったが今回の証人尋問の弁護団にこれまで孤軍奮闘してくださった徳永弁護士に上原千可子弁護士が加わり星証人の尋問を担当した。
上原弁護士はまだ二十代と思われる独身の美人で独身の新進気鋭の弁護士である。 ビールとワイン、日本酒などの醸造酒系がお好きのようだが焼酎、ウイスキーなど蒸留酒系が苦手の模様。 したがって泡盛は苦手のようだが、徳永主任弁護士は泡盛と沖縄ソバが好物のようである。
そうそう、上原弁護士は沖縄料理ではラフテー(豚の角煮)、ナーべ−ラー(ヘチマの味噌煮)がお好きのようである。
ちなみに上原弁護士は原告の上原さんとは親戚でもなんでもない。 偶然同じ姓というだけのことである。
つづく
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